2017年1月12日木曜日

高山城下 金森左京屋敷 (かなもりさきょうやしき:岐阜)

飛騨高山③
岐阜県高山市桜町2
金森左京屋敷跡碑

古い町並みのはずれにある風情のある江名子川
その畔にある八幡宮御旅所、その前に石碑 があります。

*翌朝行った「川上別邸史跡公園」も元は金森左京屋敷(別宅か?)の跡地なので市街に左京屋敷が2か所存在します。
江名子川沿いの金森左京屋敷跡

宮川に合流する前の江名子川の流れを外堀とするなら そのの外側に面した屋敷地
前回Blogの鮎崎城左京町であり城裏手からココに至る道すがら左京町名を見ながら歩いてきました。
絵図から

川沿いの細長いところは馬場だったようです。


 ~金森左京家~
金森長近から3代目 重頼の弟(母親は江馬氏)の 金森左京重勝が高原郷3000石を分与され初代となる。
藩主一揆の責を問われ、転封されたが、左京家越前3000石旗本として幕末まで続きます。

次は高山城に向かいます!

高山関連の過去Blog:
2017/1/12 金森長近の松倉城攻略拠点 鮎崎城
2017/1/8 飛騨国 国分寺
2014/12/26 高山城と熊

金森左京屋敷跡 地図
JR 高山本線高山」駅下車、北東へ1kmほど。
駐車場:なし 碑の撮影程度なら路上可能
トイレ:なし 八幡宮や屋台会館ナド

金森長近の松倉城攻略拠点 鮎崎城 (あいさきじょう:岐阜)

飛騨高山②
岐阜県高山市左京町
桜山八幡宮と鮎崎城

豊臣秀吉の命により自領越前大野城から飛騨に攻め込んだ金森長近は、三木氏の松倉城を睨みココ攻略拠点としました。場所は、の高山祭りが行われる桜山八幡宮裏山で、現在 北山公園なっています。
相応院の後方から

分かり易い登城路桜山八幡宮本殿右手から秋葉神社に登り、さらに進むと次に相応院お堂があそこを通り過ぎたところがこの写真です。
当時の石垣か!?

1郭グルリと巻いて降りる道の北側埋もれた石積みを発見! 当時の石垣かは不明?
1郭

松倉城高山市街とその反対側にある三仏寺城ナドも視覚に入り、物見として好立地であるとおもいます。(鍋割城もみえるらしい⁉)
振り返って1郭から2郭

12郭から成るとなっているが、3段(1.2.3郭)に見えなくもない! 2郭が崩れ先が下がっているか? 如何??
東南から

眼下の窪みにみえ、小さなも元の削平地利用にみえます。
櫓台か?(これは妄想)

上の写真「東南から」の左側続き部分
文字で示したの幅いくらも収穫できないなら山奥でない限りワザワザ削平しないだろうと思うレベルの小ささでした!


次は、金森左京屋敷へ!!

高山関連の過去Blog:
2017/1/8 飛騨国 国分寺
2014/12/26 高山城と熊

 
鮎崎城 地図
JR高山本線「高山」駅下車、北東へ徒歩25分 1.3km。或はバス利用で桜山八幡宮を目指す。
駐車場:あり(八幡宮)
トイレ :あり(八幡宮)

近くには、南に金森氏館跡高山城。南南東に川上邸史跡公園。 南西に松倉城。 東に鍋山城

2017年1月8日日曜日

飛騨国 国分寺 (ひだのくにこくぶんじ:岐阜)

飛騨高山①
岐阜県高山市総和町1-83
飛騨国分寺 山門

成人の日連休で冬の飛騨にやって参りまりした。
高山駅のバスセンターに着くと雪は無く余裕で歩けます!
すぐに歩き出しそこから北東に歩いて300mほどの国分寺に!!
本堂

現在の本堂室町時代の建築ながら調査では下に金堂礎石が残存しているそうです。
 と、ゆうことは!
縮小したでしょうけど、746年(天平18)の創建当初からお寺そのものは場所を移動しておらず、樹齢1250年と云われるの大銀杏と共に珍しい存在です。
三重塔

創建当初の七重塔は被災・移動しながら、五重塔(これは金森氏が焼く)→三重塔(江戸時代)へと建替えられています。
創建当時の塔の心礎

文部省(当時)指定


次は鮎崎城に行きます!

~~
ささやかなひと時!

味処 山車地酒をチビチビ呑りながら書いているので、また落ち着いたら続きをアップします。
昼間とは一転雪景色

15:00頃から雪が降りだしこのとおり。


高山関連の過去Blog:
2014/12/26 高山城と熊
飛騨国分寺 地図 (山門前)
JR高山本線高山」駅下車、東北東に300mほど










2017年1月5日木曜日

水野監物邸跡(江戸中屋敷) (みずのけんもつてい:東京)

本年もよろしくお願いします



東京都港区芝5-20-20

水野監物邸跡

年末の仕事帰りに田町駅近くの岡崎藩中屋敷 水野監物邸に寄ってきました。
案内板

案内板によれば、水野家は天保の改革を行った忠邦を出した家であり。赤穂浪士吉良邸討ち入り後に出頭しますが、その内の9名が預けられた藩邸の内の一つで、水野家は浪士を丁重に扱ったとのことです。
水野監物邸跡へはこの道へ!

西口を出て第一京浜(国道1号)を横断し、TUSTAYAローソンの間の道路を入ると慶応大学へ向かう「慶応仲町商店街」のアーチがみえるので、それをくぐり少し行くと、道が左に折れる辺りの右側(東側)路地の繁みに隠れた所に案内板がひっそりと立っています。

帰宅してからWikipediaをみると・・・ 「灯篭のみ残る」と書いてありました~!
現地で灯籠に気が付いていたのですが、まさか屋敷遺構(おそらく移設)とは思わなかったで撮り逃しました!

この後は 芝大門 更科布屋でチョッと早い年越しそばを楽しみました♪

水野監物邸 地図
JR 山手線、京浜東北線「田町」駅下車、北へ250m。
都営地下鉄 三田線、浅草線「三田」 駅
駐車場:なし 近隣の駐車場
トイレ :なし

近くには、東南東に江戸開城西郷南洲勝海舟会見の地石碑。 東北に薩摩藩邸。 西南西に東海道高輪木戸跡の石垣がある。

2016年12月24日土曜日

お城EXPO と 2号ドック(おしろえきすぽ、にごうどっく:神奈川)

神奈川県横浜市西区みなとみらい1
■ お城EXPO
今回のポスター

先週17日小田原お城通りと線路の間で行われた発掘調査発表会に行くつもりでカメラも準備万端で支度しましたが、、
よんどころない理由で中止にしました。
今週の金土日にパシフィコ横浜で「お城EXPO」が開催されるのでこれはリベンジ‼ とばかりにやって参りました。
入城~ いゃ 入場すると甲冑武者のお出迎え!

一緒に記念撮影OKです。
お城ジオラマ復元堂コーナー

よく出来ていて欲しくなりますね~
これは完成見本で、 ナント! 1mmサイズの人間だそうです。
この他、各ブースには城郭書籍、土産、小物や城の名を冠した日本酒まで多数あります。
因みに城郭本を2割引きで求めました。
姫路市ブースの天守模型

各地から天守模型(姫路、小田原)やナドが来ていました。
吉田郡山城の城郭模型の所で毛利氏の熱弁をに聞き入ってしましました。
吉田郡山城 (安芸高田市)

熱弁をふるっております。 以前はこんな光景は見られなかったですが、 みなさん真剣に聞き入っています。
熊本城復興支援コーナー

募金を募っております。
不思議な線刻石

熊本城の崩落石垣の中から見つかったもので、石垣の表には出ていなかった部分。
松本観光コンベンション協会 ブース

他にも多数出展しており、横浜市の城郭では小机城、茅ヶ崎城、篠原城の話s。埼玉の鉢形城では発掘計画ナドの話も聞けたので満足してます。各ブースの写真を乗せられなくて残念です。
熊本のひごまる、姫路のしろまるひめ
 ひこにゃん他 多数集合

ただし、大ホールと展示会場の往復だったので、ゆるキャラにはあまり会えなかったです。

現存12天守模型コーナー





大ホール 講演ナド(撮影禁止)
 今回のメイン目的が講演の為、後北条氏系にお詳しい方々が集中する25日(土)を選びました。 *順不同、敬称略

トークショー 「山城の魅力を語る!」千田嘉博(奈良大教授)、春風亭昇太(落語家)、MCは萩原さちこ(城郭ライター)

昇太さんと千田さんの掛け合い最高です。山城の魅力再発見といったところ。

講演会 「秀吉の小田原攻めの意義と背景」黒田基樹(駿河台大学教授)

年代を追っての事例のお話しで、復習しながら聴きました。

フォーラム 「小田原攻めの実態に迫る」小和田哲男さん(静岡大名誉教授)、諏訪間順さん(小田原城天守館長)、伊東潤さん(歴史小説家)

発掘ナドで新発見があるわけでも無いので新ネタは少ないですが、こちらも参考になる話しが多々ありました。


また、
小田原市ブースにて 「先週 小田原で催された調査発表会の現場は上から、一端でも眺められないか?」  と、質問したところ・・・
おそらく工事が進んでいてダメだろうとのことでした。
構築途中放棄された堀障子がでたようで、作業用の削り残し階段ナド 規模は小さいですが興味深い遺構があったので残念無念!

お城エキスポ 23~25日

お城エキスポ 地図



神奈川県横浜市西区みなとみらい2-2-1
■ 三菱2号ドック
ドックのゲート側から

それは、ランドマークタワーの真下にあり、
 「桜木町」駅の裏がまだ開発されていなかった(日本丸が横浜に引取られた)頃は、確か2つのドックが残っていたとおもうのですが、、 

こんどは反対からドックゲート方向

先に見えるパシフィコ横浜で「お城EXPO」が開催されました。
うしろに看板がみえている Hard Rock Cafe Yokohama の店内に飾ってあるギターを眺めるのが好きです。 ←城と全然関係ないですが・・・
通路が開けられた石のドック

この旧横浜船渠第2号ドックは明治29年(1896)に竣工で商船用石造りドックでは日本最古のもの。
壊さずに上手いこと改造されていますね!

うちに過去に使用していた頃の写真があったはず、古いフィルムを引張りだしてみてみますかね~!?


三菱2号ドック 地図

2016年12月16日金曜日

世界遺産 韮山反射炉(にらやまはんしゃろ:静岡)

静岡県伊豆の国市韮山字鳴滝268 (国指定史跡・世界遺産)
遊歩道の茶畑から

韮山反射炉安政元年(1854)に江川英龍(坦庵)が起工、道半ばで死去、英敏が引き継ぎ2代で完成させた。 
H27年(2015)に世界遺産指定されました。

保護のため鉄筋で覆われ早くから大切に保存されているようです。 稼働した炉が残るのは唯一だそうです。
火入れの口

ココは教科書に必ず載っていましたが、当時は韮山反射炉があると教えられただけで、何たるかを教えてもらえない状況でした。
そして時がたち、鹿児島尚古集成館反射炉跡を見学して初めて熱を集中させ炉温を上げる仕組みを知ったわけです。

炉の空気の取り込み口

焚所風入口灰穴
風の取込み口とココに灰を落として処理する口かと思われます。
出湯口

今は埋められたようですが、この下に鋳型を設置して銑鉄を流し込みました。
臼砲

この臼砲は本物らしい!?
この他カノン砲(レプリカ)もあります。
反射炉型ベンチ

こんなところにまで反射炉が!
反射炉と江川英龍像 及び煎茶ソフト

反射炉江川英龍像を同時に写るポイント!

煎茶ソフトは新茶をふんだんに使用とのことです、サッパリ系です。
お土産反射炉江川さんでガンガン攻めてきます! 

反射炉物産館の展示コーナー

江川さん関係の展示とモニターからは反射炉解説CGが流れています。


長らく韮山関係が続きましたが今回で終わりです。
この地で鎌倉、室町、戦国、江戸と夫々に事件があり、歴史の積み重ねがこの地に凝縮されているところが凄いです!
また、韮山城砦群をみに来たいとおもいます。

過去Blog: 2016/12/10 韮山代官 江川邸

韮山反射炉 地図
駐車場:あり
トイレ :あり

近くには、

2016年12月10日土曜日

韮山代官 江川邸(えがわてい:静岡)

静岡県伊豆の国市韮山韮山1
江川邸 門と桝形

戦国期は江川曲輪と呼ばれた江川邸。 背江川砦(背後の山)と併せ韮山城の一角を為していました。

平安時代末期に大和から移り住み、江戸時代には伊豆韮山代官を務めた江川家のです。
江川邸の門と入場券販売所

ココで江川邸韮山郷土資料館 共通券を求めます!
土間

1600年頃に建てられた主屋 に50坪の土間!!
なにげに大砲(レプリカ)が展示されています。


江川邸にはが3棟あります、コチラは時代の新しい蔵ですが、もう1棟は兜造りの蔵です。
邸内の役所跡

いわゆる代官所の跡ですね!
江戸時代末期甲州代官兼務していたようです。

日本初の パン発祥の地の碑

江川塾を開設し佐久間象山ほか入門者が集まってきました。
幕末韮山反射炉やのお台場(東京湾)を造った36代江川英龍日本初パン(乾パン)も焼いたそうです。


江川邸裏門

小田原合戦時に豊臣軍との戦闘での矢玉の古傷が残るほどの古いであります。
江川氏菩提寺 本立寺

このあと韮山城の砦群の一つである江川砦へ登るべく、取り付きを探しウロウロと歩き、地元の方と挨拶を交わしながら江川砦への道を聞くと、、 昔はココかから登ったとゆう所へ案内してくれたのですが眼前が藪状態で進むに敵わず断念!
韮山城 江川曲輪の堀らしきところ

このとき案内してくれた方が仰るには 「うちは奈良から江川さんと一緒に逃げてきた家だ」だそうで、13人の従者末裔らしいです。
韮山郷土資料館

江川邸裏門を出てすぐに資料館があります。

◇江川家 (清和源氏)
源頼親大和守となり赴任し大和源氏となる。
後に宇野氏を名乗ります、保元の乱の頃に大和から13人の従者と共に伊豆に移ってきます。
資料館の韮山城模型

宇野(江川)氏は源頼朝の挙兵を助け、伊勢宗瑞(早雲)が伊豆を平定するにあたり宗瑞臣従し、韮山城の土地を提供するなど早くから仕え北条家中では重職にあったようです。
天正18年(1590)小田原合戦では徳川へ寝返えり、韮山代官にったようです。


過去Blog: 2016/11/16 太閤の大軍を迎え撃った 韮山城

江川氏邸 地図 (駐車場のところ)
伊豆箱根鉄道韮山」駅下車、東へ
駐車場:あり
トイレ :あり

近くには、南に韮山城
周囲に対 韮山城付城群。南西に守山城北条氏邸堀越御所。南東に韮山反射炉