2014年10月14日火曜日

乃木神社 第40回 管弦祭 (のぎじんじゃ かんげんさい:東京)

東京都港区赤坂8-11-27
本日、10/14火曜日は乃木神社で管弦祭が催されました。
18:00開演ですが仕事帰りに遅れて到着!
立ち見ですが座席よりは良く見えます。

第一部 催馬楽・管弦
 ○催馬楽 「更衣」
 ○管弦  「傾盃楽急」 唐の宮廷の宴のために作曲され、同じフレーズを繰返す演奏があり、酒に酔ったところを表現しているそうです。
 ○管弦 「抜頭」 唐の皇后が皇帝の浮気に嫉妬して鬼と化したり、胡人の小が親を食った猛獣を討ち取り狂喜する様を表現しますが、喜怒哀楽を舞に凝縮したモノであるようです。
第二部 舞楽
 ○左方 「桃李花」 いにしえの楽書には3月3日の曲水の宴で奏す。と書いてあるそうです。
 ○右方 「貴得」 匈奴の王が漢に屈しますが、厚遇されたコトを喜ぶ様をあらわす舞。
 *左方の舞:中国から渡来の舞楽。
 *右方の舞:朝鮮半島経由の舞楽。

乃木邸
神社に隣接する乃木邸は、先の震災で被害がでたので耐震工事中とのコトです。
今年9月の乃木夫妻の命日の一般公開はありませんでした。
完成後のH27年の5月以降(9/15.16の命日以外)でも一定期間の公開があるようです。*平成28/6/1から公開が再開された模様、

軍人だけにレンガ造りの馬小屋が立派です。









因みに2015年の管弦祭は10/15(金)だそうです。

※2016年の管弦祭は10/13(木)です。

2014年10月7日火曜日

中野の犬屋敷、御囲い(なかのいぬやしき、おかこい:東京)

東京都中野区中野4-8-1(中野区役所)
徳川家、5代将軍 綱吉の生類 憐れみの令で、
江戸市中の飼い犬、野良犬ナドを集めて保護したのが御囲いであります。
当初は新宿の大木戸の辺りに囲いを造ったのですが、20年間も続いた法令ですから、すぐに満杯となり現在の中野区の広大な土地に囲い小屋を造り、一時は犬が10万匹!も居たとのことです。

5代、綱吉が御隠れになり、6代将軍へと代替わりすると囲いは撤去となり しばらく放置されます。
さすがに幕府も放っておけなかったのか、後に桃が植えられ桃園になりました。
今でも近くを流れる川は桃園川といい、桃園橋と云う橋にも名残を感じられます。

幕府はこの桃園で悪くなったイメージを払拭できたのでしょうか??
私は今回のBlogで調べるまで、ココの実態を知らなかったのてすが、、
「一の囲い」は中野駅とその周辺。
「ニの囲い」は中野区役所や中野サンプラザとその周辺。
さらに「三の囲い」、「四の囲い」、「五の囲い」迄あり、四の囲いはとなりの高円寺駅の近くまである広大な土地でした。


御囲い 地図
JR中央総武線、東京メトロ東西線「中野」駅下車 徒歩1分で案内板
駐車場:区役所ナド
トイレ :駅前なので困らないかと・・・

近くには、東南東に中野城山。 南東に中野長者屋敷。 北へ行くと江古田 沼袋の合戦場があります。


2014年10月3日金曜日

美濃国守護所 枝広館(えだひろやかた:岐阜)

岐阜県岐阜市長良字城之内1466-10(長良公園)
美濃の守護 土岐氏は川手城→福光館→枝広館→大桑城→井ノ口城と転々としました。

土岐頼芸の頃に長良川の氾濫で被害を受けたので、斎藤道三の勧めで長良川対岸である井ノ口(稲葉山)へ移ったと云われ、それにより枝広館は廃城とされました。
*「頼芸」は「よりのり」と読むようです。
現在の長良公園、長良高校の辺りに存在した方形館で、長良公園での発掘調査では堀が出土しています、案内板は見当たりません。
なので城跡を証明するものはありません!


このあとは、斎藤藤道三の隠居城である鷺山城と蝉土手、虎口で石垣が出土した黒野城にも行くつにりでしたがレンタサイクルの返却時刻も迫ったので、無理はせず うかいミュージアムにて乗捨て、
近くの長良川温泉の旅館石金さんの足湯で夜行電車で溜っていた疲れを癒し、長良河畔からのんびり鵜飼いを見物して岐阜駅へと向かいました。


長良川うかいミュージアム

枝広館 地図
JR東海道線「岐阜」駅下車、
名鉄「新岐阜」駅下車、
 バス:C31おぶさ行き、N40長良医療センター行き、N41おぶさ行きバスで「長良公園前」バス停下車、目の前
駐車場:無料。100台近く。
トイレ :あり。

近くには、西に福光館、蝉土手、鷺山城。 西北西に黒野城。 南に岐阜城。 南南西には加納城、川手城。






岐阜城 山上部(ぎふじょう さんじょうぶ:岐阜)

岐阜県岐阜市金華山天守閣18(天守のところ)
前回の続きです!

居館跡にあるロープウェイ乗場ては混雑もなく直ぐに乗り込めました。
硝煙蔵跡
大幅に改変がされていそうです。

復興一ノ門
登城路を監視、攻撃するための太鼓櫓でしょうから登りの階段は後世の物ですね。
一ノ門跡
関ヶ原の戦いの折りには、織田秀信VS福島正則の攻防が繰り広げられました。
馬場
ココまで登ってくる馬は屈強だったのでしょうね!

切通し
詳しくは分かりませんが、埋もれている岩を切りながら堀切ったのでしょうか?
ニノ門
写真の左手上段には、織田信長の美濃 斎藤氏が拠る岐阜城攻めでは秀吉が瓢箪を掲げた岩があるので斎藤氏の時代にも門ナドの設備があったものとおもわれます。

山の陰と鬱蒼とした木々で天守を望むポイントは少ないです。

上台所跡
かつては石垣だったのしょうか?,

軍用井戸
籠城に備えたくさんの井戸がありました。
天守から長良川や各務原方面
機会があったら尾根上の曲輪群を踏破したいとおもっています。
古い時代の石垣
天守台は大幅に積み直されているようです。

本丸井戸
上の古い時代石垣の下方になります。
帰りに、石垣が残るはずの松田尾砦に向かおうと、プリントしていった地図をみながら砦に通じるみちをさがしたところ・・・
 通せんぼ!?  泣
普通にハイキングコースだとおもっていた道には「決められた登山道を歩きましょう」ナドと書いて御座候!

尾根筋にある砦の一つでも載せようとおもっていたので残念です。

このあとは、長良川を渡り枝広館へ廻りました。

前回Blog:2014/9/28 岐阜城 信長公居館跡

金華山ロープウェイ
長良川うかいミュージアム 
JR東海道線「岐阜」駅下車、
名鉄 「新岐阜」駅下車、
 バスで北へ「岐阜公園歴史博物館前」バス停下車
駐車場:あり
トイレ :あり。 麓、山上共にあり。

近くには、南に加納城。、川手城。 北西に鷺山城、黒野城。 南西に伊木山城。


2014年9月28日日曜日

岐阜城 信長公居館跡 (ぎふじょう のぶながこうきょかんあと:岐阜)

岐阜県岐阜市大宮町
「若き日の織田信長」像(岐阜公園)

天下布武の城のにやって参りました!
先ずは、岐阜市歴史博物に寄ります、8月の暑い盛り館内のエアコンで涼んでから信長公居館跡、へ!!
その名のとおり岐阜城山麓の住まいであった居館部ですね。
 館は門この奥。
信長の居館の冠木門(復興)をくぐり階段を上ると、
訪問した人を威圧したであろう石組
ルイスフロイス記述にある「裁断されない石の壁」が見えて来ます。


 石塁の中をクランク状に進入して行きます。
全然違うと突っ込まれそうですが、八王子城の山麓御殿への進入路に似た印象を持ちました。
 一段上にあがります。

織田信長以前の斎藤氏あたりの石垣のようです。
旧石垣の残りは地中に埋もれています。
発掘復元された水路。
 この幟をみつけたら、そこが発掘現場。
石垣跡か?裏込め石がボロボロあります。

調査地の脇を通るのに邪魔をしては、と思い 作業中の方に声を掛けたらウェルカムな感じで情報を色々と教えてくださいました。
「信長公居館発掘調査」の幟が出ているところはロープ外であれば見学自由のようです。金箔瓦が出土したのはこの上の段奥です。
 崖直下の庭園跡。
同じく岩壁直下に池を配した、鎌倉 瑞泉寺にある発掘復元数直後の庭園を思い出しました。

コチラもブルーシートの範囲で池です。

四重建物(金閣や西本願寺の飛雲閣のようなモノか?)が建ち、池も1つだけでなく数ヶ所にあり館全体が庭園の様相を呈していたようです。
この後ロープウェイ乗り場から天守を目指します。







岐阜市歴史博物館
岐阜県歴史資料館 


JR東海道線「岐阜」駅下車、
名鉄 「新岐阜」駅下車、
 バスで北へ「岐阜公園歴史博物館前」バス停下車
駐車場:あり
トイレ:あり。 麓、山上共にあり。

近くには、南に加納城、川手城。 北西に鷺山城、黒野城。 南西に伊木山城。

2014年9月24日水曜日

加納城(かのうじょう:岐阜)

岐阜県岐阜市加納丸之内
大手門跡

岐阜駅前からレンタサイクルで加納城へやって参りました。
JR岐阜駅も城下に含まれるので、町の外れから本丸に登城したかたちになります。
川手城が美濃国守護所であった頃に、近くにある加納城には美濃守護代斎藤氏の沓井城があった。
やがて中心は稲葉山城(岐阜城)に移っていきましたが、関ヶ原合戦の論功として奥平氏が入封。
徳川家康の意向で岐阜城を廃し、その廃材を用いて関ヶ原合戦後としては初の築城となる加納城を築き、城下には加納宿を開きます。
さて、城趾ですが、
岐阜駅前からレンタサイクルでで10分と掛からない距離てす。
街道沿いの本陣跡や旧加納町役場ナドを見物しながら大手門跡まで辿り着き、そのまま南進すれば本丸石垣が正面に見えて来ます。
本丸に出ると久しぶりの石垣をが懐かしい!
本丸石垣と堀跡ですが、ココは橋が架かってなく埋門だけが堀に開いていたそうです。
地図入り案内板は埋門前にあります。

埋門を入らず通り過ぎるとすぐに天守台があります。
二の丸→橋→高麗門→櫓門とゆう枡形構成ですが、
橋の下には障子堀が出土し、櫓門を挟むように2棟の多聞櫓が睨みを効かせていました。

堀はだいぶ宅地になっています。
城主の命には背けません!
大藪曲輪から、堀はテニスコート、プールになっております。
 後世の石積みのようですが城址石垣と同じ石材のようです。
堀は窪みナドなく校庭と面一で、まっ平らとなります。
 これが三の丸塁壁であればココから右側は荒田川となります。
城情報が今ほど豊富では無かった頃は わざわざ立ち寄るほどではないと思っていました。
たまたまクルマで岐阜から尾張一宮方面に南下、
その途上、目の前に突如石垣が現れ、

おお! 加納城はこんなに残っていたのかー!
 と感嘆したものでした。

あれからン十年! 今回で2度目の訪城となったのでした。




ぎふ・まちなかレンタサイクル 1日 ¥100

加納城 地図
JR東海道線「岐阜」駅下車、南南東へ1500m
名鉄「加納」駅下車、南南西へ700m

近くには、南東に川手城。 西南西に上茜部城。 北北東に岐阜城。 

2014年9月17日水曜日

大垣城 内郭 (おおがきじょうないかく:岐阜)

岐阜県大垣市郭町2-52
前回、外郭の辰之口門跡→戸田氏鉄公像がおわします大垣公園→本丸周囲→現代大垣城の表門となる東口門(モノクロ写真)から天守に向かいました。
これまで、ユックリ歩き本丸に着いたのですが、天守開館は9:00 まだまだ開きません!
本丸で休んでいるうちに担当の方が出勤していらしたので、挨拶をし言葉を交わすと準備が出来たらいいですよ! と言ってくれたのでラッキー!とばかりに早登閣しました。ありがとう御座いました。


東口門と艮隅櫓

外堀柳口門を東口門として移築です。
東口門から堀跡
艮隅櫓

かつて国宝天守と共に現存してました、しかし第2次大戦で焼失してしまいました。
乾隅櫓(水の手櫓)

傍らに水ノ手門がありました。 まだ調べていませんが門に橋はな無く、堀に出る船着き場のような門であったようです。
艮隅櫓前から天守

天守や櫓の前はスペースがなくカメラにおさめるのに苦労をします。
天守の付櫓跡から

それほと広くない本丸。
天守から関ヶ原方面

土地勘がないので探すのに苦労しました。
二の丸

本丸ー二の丸間は水堀で廊下橋(屋根付き)が架かっていたのですが今は跡形もありません ↓
本丸

上の写真の反対側。
本丸 巽櫓台

残骸のようになってはいますが、櫓と共に綺麗に復興整備された反対側より城址の雰囲気が漂っているように感じます。
本丸 東埋門跡
かつての竹曲輪から

コチラモも曲輪、堀の位置が判然としません。
戸田氏鉄公像

上方(関ヶ原)方面を向いています。
中堀跡とおもわれる水路

埋められたか??
堀としては細すぎでなんとも言えませんね~
大垣市郷土館

戸田家に関する展示がされておりました。 ココに大垣城模型あり。
大垣市郷土館井戸

ナカナカ良い水でした! 
BlogLink:大垣城 外郭 2014/9/13

Link:
大垣城 (杭瀬川の戦い模型あり)
大垣市郷土館(大垣城模型あり)
 *大垣城と郷土館、共通券あり¥150
奥の細道むすびの地記念館
レンタサイクル すいとGo!(水都号):10ヶ所

大垣城 地図
JR東海道線、養老鉄道養老線「大垣」駅下車、南へ600m
養老線「西大垣」駅下車、東へ
駐車場:近隣の駐車場。
トイレ:あり

近くには、東に墨俣一夜城。
北西に杭瀬川の戦い跡。 北西に東軍、赤坂陣跡。 西北西に竹中陣屋。