2014年6月30日月曜日

津奈木城 (つなぎじょう:熊本)

熊本県芦北郡津奈木町大字岩城
今回も過去分です!
熊本八代から国道3号線を鹿児島方面へ南下、佐敷城を過ぎたところの日帰り温泉に寄りました。
そこで、たまたま見つけたのが石造り眼鏡橋津奈木城です。

 現在、城址舞鶴城公園となっており、独立峰といったら大袈裟ですが、その南北にはそれぞれが流れ、そのは城の西方で合流し、海に注ぎます。 現在は海まで少し距離がありますが、埋立て堆積を考慮すれば城のすぐ西に入江があり、海路の連絡はとれたものとおもいます。
 当日は温泉裏から眼鏡橋を右手に見つつ舞鶴城公園展望台に登ってみました。
この時は下調べも無く登りってしまいましたがコチラは裏手らしく!? 急崖なので眺めもよく、薩摩街道を監視できるいいポジションにああります。



西郷どん、大久保さぁ 等々が通ったであろう薩摩街道に眼鏡橋が残っているなんて嬉しいかぎりですね!

後日、調べると大手はこの反対側で、そこには案内板駐車場も完備、土塁も残っているとゆうことです。
過去撮影分画像のため、今は様子が変わっている可能性と眼鏡橋、温泉方面からでも案内板か立っているかもしれません。

機会があれば細かくみてきます。最新の情報を明確に案内できなくてすみません!!
*2019/12/3現在は「津奈木I.C」が出来ており南西へ2kmほど

過去Blogリンク
2010/1/3 佐敷城


津奈木城 MAP
肥薩オレンジ鉄道「津奈木」駅下車、東へ直線1km

近くには、北に佐敷城、佐敷武家屋敷。南に水俣城、同じく水俣に徳富蘇峰蘆花生家。遠いですが東には人吉城があります。



2014年6月19日木曜日

赤坂の 今井城 と 勝海舟邸跡(いまいじょう、かつかいしゅうてい:東京)

東京都港区
 木曽義仲家臣 今井兼平居館跡と伝わるのが今井城てす。
写真中央の森部分で分かるように台地上に立地しており、地形は城趾っぽいが遺構は何もありません。
 城址伝承のみのためか氷川神社付近に城の案内板も皆無です!?
 そして、境内は今井城のみならず江戸期の浅野土佐守邸 でもあります。
この浅野土佐守邸は三次藩下屋敷でしたが、お家断絶!
享保15年(1730)に徳川吉宗の命で赤坂4丁目にあった氷川神社をこの地に遷座、現在に至ります。

そして、本氷川坂(元氷川)を下ると勝海舟邸が、、
ココは 海舟が語ったものを一冊に纏めあげた「氷川清話」を聞き取りしたその場所であります。
建物敷地内に案内板標柱がたっていて、当時の屋敷の姿はを想像することは難しくなっています。





今井城 地図
勝海舟邸跡 地図
東京メトロ :
千代田線「乃木坂」駅下車、東に、「赤坂」駅下車、南南西に7分。
 南北線「六本木1丁目」駅下車、北西に徒歩10分。
日比谷線「六本木」駅下車、北北東に600m
都営地下鉄: 大江戸線「六本木」駅下車、北北東に400m。


近くには、西に萩藩下屋敷(長州藩、東京ミッドタウン)。芸州浅野下屋敷(赤坂サカス)。西の乃木神社に隣接する乃木希輔邸。南には長府藩毛利家上屋敷(六本木ヒルズ毛利庭園)があります。


2014年6月18日水曜日

丸山城 は道灌終焉の地なのか?  (まるやまじょう:神奈川)

神奈川県伊勢原市下糟屋
前回の七沢城同様に扇ヶ谷上杉氏と関連のあるなので2009年過去画ではありますが紹介します。
 
 場所は丸山城趾公園(現在は完成)と高部屋神社を含む周辺部一帯です。
台地の南北にそれぞれか流れています(現在は直線的に河川改修されている)。
一説では西側の東海大学病院まで城域に含まれる広い範囲とされています。
扇ヶ谷上杉家は相模愛甲郡から武蔵南部にかけて広大な領地を抱えているので、それに見合った規模の城館を持っていたと私もおもいます。
 丸山城趾公園高部屋部神社間にも堀がありましたが、国道246号線が直線に貫いているので旧状はよく掴めません。

 個人的に!
大庭城深大寺城のように2郭、3郭と外に大きく広がってゆく縄張りかと想像しています。

←戦国時代だけでなく、他の時代の遺跡が出ているので何とも?


  〜〜〜〜〜
を鎌倉の扇ヶ谷から糟谷館に移した扇ヶ谷上杉氏ですが、山内上杉顕定の謀略により扇ヶ谷上杉定正家宰(執事)の太田道灌を呼出し湯屋謀殺してしまいます。
その後、大黒柱を失った扇ヶ谷上杉氏の末路はご存知のとおりです。
発掘調査ては、一定の規模を持った障子堀が発見され、扇ヶ谷上杉氏の遺跡でよく発見される「渦巻きかわらけ」も出土しているので、糟谷館の可能性は高いと感じています。
一方の糟屋館比定地である産業能率大学辺り発掘では小規模の出土物しかないようなので、こちらの進捗も楽しみですね。





*注: 丸山城址公園はすでに完成しています。近いうちに寄ろうと思っているのでまた写真をアップします。

過去Blog
扇ヶ谷上杉家所縁の 七沢城 2014/5/30
深大寺城 2010/2/9

丸山城 地図
小田急線「伊勢原」駅下車、
駐車場:あり
トイレ :あり

近くには、糟屋館比定地。七沢城。愛甲城。荻野中山陣屋。

2014年5月30日金曜日

扇ヶ谷上杉家所縁の 七沢城 (ななさわじょう:神奈川)

神奈川県厚木市七沢1304
場所は七沢リハビリテーション病院 脳血管センタのあたりといわれています。
発掘調査の際には15世紀建物跡がでているそうです。

さて、ここで注意しなければならない点があります。
七沢城址のある「 七沢リハビリテーション病院 」 と似た名称の 「 神奈川リハビリテーション病院 」 が南方1km未満の距離にあります。

わたしは、そちらで写真を撮りはじめました・・・ が!
何か違うぞ??
そこで、Web検索したら、七沢リハビリ・・・ではなく「神奈川リハビリテーション病院」内を歩いておりました!?

ややこいいですが、気をとりなおして七沢城址へ向かうと
すぐ石碑をみつけることができ、一安心。
この水汲み沢の奥の山も城域に入るのでしょうか?
開発破壊のためか? 案内板はあるのですがおおよその場所を示しているようで現場に適応させるのは難しいです。
築城は定かではありませんが氏扇ヶ谷上杉氏の城で、長享の乱では、山内上杉顕定扇ヶ谷上杉領相模国糟屋に乱入!

危機感を抱いた扇ヶ谷定正川越城から駆けつけますが七沢城落城してしまいます。
七沢城南方実蒔原にて山内顕定軍奇襲をかけ勝利をおさめました。
後に相模に侵攻してきた後北条氏により落城。 その後しばらくは北条家臣城主として機能していたようです。
近隣情報としては、

 七沢温泉があります。
また、厚木から城址へ向かう途中に毛利台とか毛利の里ナドの町名がみえますが、そこは鎌倉時代大江広元4男所領(相模国愛甲郡)で、後の毛利発祥の地であります。


 *七沢城とは関係ないですが追加。

いままで、毛利氏と氏は同一姓(出自)と思っていましたが、同じ愛甲郡出身でも源氏系の氏と大江氏系の毛利氏の2系統あるようです(明確に分類できるかは??)
 大江氏以前は森の庄と呼ばれ源義家4男森の冠者の子孫氏がおります。後の森可成はその系統であるらしいです。

七沢城 地図 
「七沢病院」バス停下車、0分

近くには、愛甲城。

2014年5月26日月曜日

弘前 さくらまつり(さくらまつり:青森)

青森県弘前市下白銀
弘前城Blogは写真点数が増えすぎたので、
チョットかぶりますが、さくらまつりを別ページにしました。

写真撮影は25~26日です。

さて、
今年のサクラの状況は・・・

 宿の予約を入れた時点での満開予想は4月29~30日、

ところが!
当日の26日発表では外堀満開、他の場所ではが少々とゆう状況でありまして、、

本当にラッキーなで花見日和を過ごすことができました♪

なんでも、
リンゴ剪定技術がいかされていて、花が咲く数が他所とは比べ物にならないそうです。
 タカマルくんは何処??
どこでもくまモンフナッシーは人気ですね。
北の丸はお店がいっぱい!
ちょっと遠いですが亀甲橋(搦手)。
わたくしも自転車でアッチコッチ廻ろうと計画したのですが、
レンタルの「サイクルネットHIROSAKI」の多くはは5月9日からでした、、
唯一、駅前で、さくらまつり期間中にレンタルしてましたが、
とうぜん観光館ナド の施設で乗り捨てができないため、駅へ往復と返却門限があるので自由が利かず断念!
その他 交通、
100円バスが循環しているようです、1日券は500円也。
昼間はボートがたくさん浮いてますが、今はひっそり。
夜の賑い!
昼間の大手前は弘前城Blogに載せてますが夜も。

弘前城にやってくる道すがら、国道7号線のサクラ並木もきれいですよ!!







弘前城Blog
2014/4/26 サクラサク 弘前城
2014/5/18 外堀は満開だった 弘前城

2014年5月18日日曜日

第3回 戦国 滝の城まつり(たきのじょうまつり:埼玉)

埼玉県所沢市城

現地から、
弘前城ブロクが完成してないのに滝の城にきてしまいましたー
剣術演武が終わり、いまから寸劇に突入!

携帯からです、あとで画像アップします。





追加- - - - - -
甲冑隊が到着する前は、模擬店で買ったタコ焼ナドいただきながら和太鼓やコンサートを堪能!!



そして、
城址から城公民館の方で待っていると・・・
武者行列がやってきました。
新影流、演武。
戸山流居合
スパンスパンと綺麗に切れてゆきます!

劇開始!
小田原合戦で攻め手の浅野長政に開城を拒否し、開戦し善戦するが多勢に無勢、やむなく・・・
と去年と近い内容でした。
城方の足軽が主人の楯になるシーンもあります。

少人数で全体にうまくまとまっていました。


ステッカー買いました!
タキジョーくんの着ぐるみはできないのかな?








過去Brog
2011/11/20 滝の城
2011/12/11 滝の城 Part2 現地説明会
2012/5/20 第1回 滝の城まつり
2013/3/15 滝の城 発掘調査 現地説明会

JR「東所沢」駅下車、東へ
駐車場:あり(祭の場合は臨時駐車場あり。)
トイレ :あり

*2015/5/16追記 2015の「戦国 滝の城まつり」は5/17(日)開催! 今後は5月の第3日曜日に固定となるそうです。
*2019/5/16追記 2019年の「戦国 滝の城まつり」は5/26(日)です!


外堀は満開だった 弘前城(ひろさきじょう:青森)

青森県弘前市下白銀町
青森県最終は、今回のメインとしていたサクラの弘前城です。

現地からのBlogアップで8~9分咲きと書きましたが、現地さくら情報では外堀は満開と発表されていたようです。
大浦(津軽)為信は津軽地方を征服していく過程で、大浦城→1594年堀越城へ移るが洪水に悩まされた→弘前城築城を計画し町割りナドするが着工を見ず京で病没、2代信枚に引継がれます。
弘前城の建築資材は大浦城堀越城大光寺城ナドから運ばれ僅か1年2ヶ月とゆう短期で完成します。
現在残る天守(御三階櫓)は現存12天守の1つに数えられ、
城門5棟と3棟は重要文化財指定です。
また、与力番所東内門背後に1棟だけ残されております。
100年ぶりの石垣修復のため、2014年秋に堀が埋められ、2015年さくらまつり終了後に天守を本丸内側に70m曳きます。
今回を逃すと10年間は堀に映る天守サクラを拝むことはできません。
弘前城4万7千石居城としては立派で、徳川家康幼女嫁入りしており(準親藩扱い)、 対 佐竹南部への圧力をかけるためともいわれています。
津軽藩自体も他藩への貿易など石高以上に相当な利益があったのではないかと推察しますが如何でしょう??
また、岩木川分流(外堀)から水を引込み三の丸北の丸の間の賀田門前を水没させ切り離すための仕組みがあったりして良く考えられた縄張りと関心させられます。
コチラも天守から。
天守内にある本丸模型。
暗いのと透明アクリル板の反射でヒジョーに撮りにくい模型です。
ブルーシートは多聞櫓跡。
市では本丸を復元するため情報を集めているようですが、
石垣修復完成までにこの多聞櫓ナド建ちあがったら楽しいのですが・・・??
旧天守台。
館神跡
東内門の中に与力番所がみえます。
さくらまつりの最中に番所は抹茶をいただける休憩所となり、たくさんの人で ゆっくり見学できませんでした。

コッチに気がついたタカ丸くんがポーズを・・・

さて、
現存12天守、残るは 丸岡城、高知城、宇和島城、
の3城となりました。
いつの日か全制覇したいと思います!!








弘前市立博物館(今回、企画展「大名家の美術」を拝観しました。)
タカ丸くん公式webページ

弘前城 MAP 追手門のところ
駐車場:多数あり
トイレ :要所にあり