2013年6月23日日曜日

関戸の天守台 (せきどのてんしゅだい:東京)

東京都多摩市桜ヶ丘1-53付近

百草城、由木城ときたので、さほど離れていない関戸の天守台をアップします。
ココは天守台といっても天守が建っていたわけではなく、高台にあって鎌倉街道と霞の関を監視する物見台で、 その後に関戸城となったらしいですがそれ以上のことは私にはわかりません。
新田義貞の鎌倉攻めでは幕府軍と対岸の分倍河原とこの関戸のあたりで戦っていて、この辺りが一定の防衛ラインとなっています。

現在は住宅造成で山が削られ遺構も無く、天守台の標柱があるのみです。

また、天守台から東南東へ400m程下りますが、鎌倉街道をおさえるための霞の関、木柵・木戸ナドがあったようで、関戸の地名の由来になっています。 
熊野神社前には発掘で出てきた木柵跡を再現しています。


●蛇足
わたしはアニメをあまり見ないのですが、
以前近くに住んでいたこともあり懐かしかったので案内しときます。
ジブリアニメ 「 耳をすませば 」 にでてくる、駅(実際は聖蹟桜ヶ丘駅)方面から長いワインディングロードを登りきったところが「関戸の天守台」で、猫の人形がいたロータリーもすぐのところです。


関戸の天守台 地図
駐車場:なし
トイレ :なし

近くには、北西に百草城、高幡城。 東南東に諏訪坂館、南に大丸城。 西に平山城、平山氏館、柚木城。 北北西に三田氏館。 

2013年6月22日土曜日

大石氏所縁の永林寺の所にあった 由木城 (ゆぎじょう:東京)

八王子市下柚木4
 由木城は、大石氏の居館でしたが、大石源佐衛門尉定久滝山城に移るため同地に金峰山 永林寺を建立し開基となりました。
立派な総門三門には三ッ鱗家紋を見え、江戸時代の寺は十万石の格式を持っていたそうです。
 
 尚、開山一種長純和尚(大石定久の叔父)450回忌となってますので滝山城へ移転してから450年+α経ちます。
また、大石定久公のお墓もあります。
立地はの裏山から土塁状尾根馬蹄形に抱かれた内部を平地造成にしているようで(周囲は掘り残し土塁?で残土で埋立てか?)、その中にお堂墓地があります。
きっと、この辺りが館跡なのでしょう。
お寺でどこまで改変されているのか 分かりませんが、パッっと見そんな感じです。

お堂を過ぎると、すぐ大石定久公のお墓があり、さらに進むと墓地の一段上に由木城看板が掲げられております。そこには城址碑大石定久公のがあります。
親切にも外周土塁尾根下に遊歩道のように道がついていて見学は自由にできるようです。
 この外周東側(外側の住宅地)にも行ってみましたが、寺内と同じような高さで尾根がまわっていましたから土塁とみて間違いないとおもいます。


わたしが十代であった頃、自転車や単車でツーリングで野猿街道を抜けるときに由木城が見え隠れしていたのですが、
中学生のころ夢中だった城への興味も薄れはじめていたので、いつも素通りしてました~   ←あ~ もったいない!


由木城 地図
駐車場:あり
トイレ :あり

近くには、北側すぐに平山城。 北北東に高幡城。 北東に百草城。 東北東に関戸の天守台。 小田野城。 西北西に片倉城

2013年6月21日金曜日

百草城 (もぐさじょう:東京)

東京都日野市百草560
自宅の引越し、光回線開通に手間どり、クルマをユーザー車検で通したりで、放置状態でしたが、ここに来てやっと手隙になったので再開します。






百草城は丘陵上にあり、
百草園、百草八幡宮とその裏山になります。

百草園正面の階段を登り、料金徴収所の辺りから何段かの平場があります。
これだけなら、唯の公園用の削平かとおもいますが、
さらに上方の
百草園内の蕎麦屋さんがある広めの平場の北側尾根から神社の裏山にかけて、櫓台or物見台状のものがあったして ひじょーに良い感じ、
如何にも!
 といった地形になっています。
主要部はフェンスで仕切られていて、自由に行き来できないので、神社へまわり神社裏を登ってください。





尾根から下った所の百草園内や神社も段々の郭跡と思われるので写真を載せていますが、後世の造作や公園化で削られた可能性もあるので自信はありません。


百草園内から神社裏山

こんどは神社から登りフェンス越しに百草園側を!








斜面を掘り下げた古道も多々あるので、
堀と間違わないよう注意が必要ですね!













百草園
百草城 地図
駐車場:なし
トイレ :あり

近くには、東に関戸の天守台、西南西に平山城柚木城。南に小野路城。西南に小山田城。北北東に三田氏館

*2013/6/23 第423回 津久井城開城記念 「 津久井城開城祭 」 開催!

2013年6月6日木曜日

ただいま光回線へ変更中!

携帯から・・・
更新がおくれていますが、

五月から続いているADSLから光回線への更新中なので、百草城アップまで しばしお待ち下さい。

今頃は開通しているはずなんですが、連絡行き違いでかなり遅れています。
N⚫Tさん対応改善をしてくれないですかねー⁉      ←ボヤキ

2013年5月1日水曜日

第2回 戦国 滝の城まつり (たきのじょうまつり:埼玉)

埼玉県所沢市城537
4月28日開催の滝の城祭りですが、やっと写真が整ったのでアップします。


 早めに出発して、城山砦ー>山口城と廻って、滝の城まつりは余裕での武者行列の写真撮影の予定でしたが、G/Wはそんなにアマイものではありません!
狭山から山口城へ向かうころにはなんだか混み始め、滝の城到着は武者行列と同じくお昼でした↓ 





 

取り敢えず、土塁の上に座り 焼きそばやらフランクやら城公民館外にある名物 串団子やらを食べながら祭りを楽しみました。
第一回の昨年は、のんびり行ったら出店も大盛況で殆ど売切れで不満がのこりました
 が、
今年は出店も規模がされていヨカッタ~ !

合間に演芸和太鼓新陰流演舞、他の催を楽しみながら寸劇までしばし待ちます。 わたしは心陰流演武ので束がスパンスパンと気持ちよく切れてゆく迫力に見いってしまいました~!


 いよいよ各隊が入場!

 劇は、
北条vs豊臣小田原合戦が舞台で、
城主不在の滝の城浅野長政率いる豊臣軍に攻められ、奥方をはじめ一族郎党滝の城を守るが、多勢に無勢 力及ばずといった内容でした。
 

 今回は2郭での寸劇でしたので余裕で観戦することができました。(前回は本郭)





対岸の臨時駐車場から、
ビールを呑んだのでハンドルを預け滝の城にお別れしました。

来年の開催も楽しみにしています。

3郭大穴発掘は底まで達し、る砂利敷きが見つかったようなので井戸で確定らしいです。現在は埋め戻されています。


過去Blog
2013/4/3 70年前のゼロ戦エンジン始動! 第二回 滝の城まつりチラシもGet
2013/3/15 滝の城 発掘調査 現地説明会
2012/12/9 滝の城模型 と ゼロ戦来日
2012/5/20 第1回 滝の城まつり
2011/12/11 滝の城 part2 現地説明会
2011/11/20 滝の城


*第3回滝の城まつりは2014/5/18

城址の地図ナドは過去Blogをご覧ください。

2013年4月30日火曜日

所沢の 山口城 (やまぐちじょう:埼玉)

埼玉県所沢市山口1517付近
狭山市の城山砦から山口城へきました。

所沢方面から、西武狭山線に沿った県道55号線を「西武球場」方面に向かう途中に「山口城趾」信号があり、そこが山口城です。

山口小学校の南側が堀跡で線路南側の川は天然堀と思われます、その中を県道55号線が貫通している状況です。
今は信号前の量販店「サンキ」の周りに土塁が残っているのみです。





山口城 地図
西武鉄道 狭山線「下山口」駅下車 西へ7分。市営 ところバス「山口城跡」バス停下車 0分(便数少ない)

駐車場:なし
トイレ :なし

近くには、西に根古谷城。東北東に滝の城。

2013年4月29日月曜日

狭山市 城山砦 (じょうやまとりで:埼玉)

埼玉県狭山市柏原2346付近 埼玉県選定重要遺跡狭山市指定文化財
案内板があり登城するには一番分かり易いところ
 「第2回戦国 滝の城まつり」に併せ、狭山の城山砦と所沢の山口城に寄ったので まずアップします。
左は2郭。道は竪堀。正面と右は本郭

城山砦は、別名上杉砦といわれ、上杉憲政川越城奪還のため築いたそうです。
川越夜戦時には上杉憲政は柏原(城山砦か?)に布陣しました。

今回は大手であろう丘の上からではなく、かつてはあるいは湿地帯であったと思われる入間川方面の低地から入城しました。

本郭虎口
このは三つのからなり、本郭土塁と周囲のは深さもありよく残されおります。
2郭は埋まって浅くなってしまったようです。そこにはが建っております。
本郭内。土塁で囲まれている。

道の先は2郭、盛土に稲荷社が建つ。堀を隔て右は本郭
はじめよく分かりませんでしたが稲荷社参道は細長い3郭で、周囲の落差は往時はであったようです。
台地上のの外側(城外)は耕作地でまっ平らですが、本郭は一重堀だけなので、畑地に二重堀ナド多少の防御施設が出てくると面白いのですよね!



詳細は案内板画像と下記のリンクをご覧ください。



狭山市HP 指定文化財の城山砦

城山砦 地図 (案内板設置場所)
西武新宿線「新狭山」駅下車 北西へ40分
駐車場:なし
トイレ:なし
近くには、東北に河越氏館(入間川下流)。東北東に川越城。東に砂久保陣。 南に山口城。