2011年10月4日火曜日

ああ悲惨! 江戸城 大手門 (えどじょう:東京)修正10/18

東京都千代田区大手町
 昼休みに先の震災(2011/3/11)で被害があった大手門巽櫓すぐ北、桔梗濠崩落石垣を見て参りました。
表の内堀通り堀端から目にはいる姿が痛々しい。

高麗門は何事もなかったように建っていますが、櫓門は足場パイプが組まれ入退出は左右に制限されており中央は通れません。

門をくぐって裏へ廻ってゆくと押長押がボロッと落ちて無くなっている箇所もあり、けっこうな被害です。
たしか、大手櫓門第二次大戦焼失、戦後に再建されたはず、災難つづきの大手門ですね 


また、石垣の崩落はこれほどとはビックリ
樹木がそっくり消え建物が丸見え、3月の被害で10月現在でこの状態ですから修復までしばらく時間がかかりそうです。

江戸城がんばれ



*修正10/18: 検索かけてヒットしたページがことごとく「地震で石垣崩落!」だったので、根拠があってのことだろうと思い込み崩落と書きました。あとで調べたら工事中に見つかった石引道路遺構のところらしいです。
じっさい石垣の修復工事に見えていたのに、漆喰壁の剥落をみていたので鵜呑みにしました~
みませ

今回は携帯カメラ、写りがイマイチ! iPhone 4sほしいなぁ~
*2012/2月 大手門の修復がはじまりました。

2011年9月15日木曜日

船岡城 (ふなおかじょう:宮城)

宮城県柴田町大字船岡字舘山
前回の白石城からを仙台方面に4駅先にある船岡城。

いまは船岡城址公園となっています。
はじめ船岡城ときいてもピンとこなかったが、一国一城令が布かれても船岡要害として存続。
伊達騒動の当事者原田甲斐と分かり俄然登城する気になりました。大河ドラマにもなった「樅の木はのこった(山本周五郎)」の存在も大きいかな。


さて、船岡駅前に着いたのが夕方17:00過ぎ(このとき10月です)、慌てて船岡城へ!
城下を抜け山の麓から三の丸へ上ってゆくと脇に石垣ガっー! と思ったが後世の石垣っぽい? 現存なのかどうだろう??
  ってゆうか資料が少なすぎですね




 樅の木案内板はありますが、建物跡など城関係の立て案内板も乏しく一般の方にはただの公園にしか見えないことでしょう。
城址から眺めた感じでは、船岡城(舘山)と白石川の対岸には韮神山が迫り、仙台への進入を阻む構造かとおもいます。
堀切土塁曲輪っぽいとこをアッチコッチ見ている間に暗くなってきたので三の丸周辺で退散とあいなりました。
時間があれば「柴田町船岡城址公園スロープカー」で山頂の平和観音のところまで登って下りながら城址を見て歩きたかったな~ ざんねん
遺構は本丸二の丸付近のほうが良いらしい、三の丸にも土塁井戸あります。













船岡城 地図JR東北本線船岡」駅下車 1km 徒歩12分(三の丸)まで
駐車場:あり(船岡城址公園内駐車場orしばたの郷土館)
トイレ :要所にあり

近くには、南西に白石城。 東南東に亘理要害。 

2011年9月11日日曜日

白石城 (しろいしじょう:宮城)

宮城県白石市益岡町1
数年前の写真ですが、先の大震災で白石城も漆喰が剥れ落ちるなど被害があり、応援としてアップさせていただきます。

白石城は古くから存在していたようですが、蒲生氏>上杉氏>伊達氏らの支城として整備され、伊達政宗懐刀といわれる片倉小十郎影綱城主を努め一国一城令として幕末まで存続しました。


 東北道を走行中に山影から頭を出すように見える天守を度々拝んでいましたが、ついにチャンス到来。
手はじめは、白石城歴史探訪ミュージアムにて城址模型縄張りを頭に入れ、いざ本丸へ!
平成7年天守一ノ門二ノ門野面石垣本丸の一角のが復元されました。天守(大櫓)は吉野檜の柱で風雪にも耐えてくれそうなシッカリした造り、何より木の香りがしてすがすがしいかったです! 

それと、天守下に見える復元太鼓櫓もいい味です。
二の丸から下り、北側のクランク状に曲がるところにある、武家屋敷(旧小関家。天守と共通券あり)が風情のある佇まいがあります。



 二の丸から下りてきて、北側のクランク状に曲がるところにある、武家屋敷(旧小関家。天守と共通券あり)が風情のある佇まいがあります。さらに堀端を西方向へまわると二重堀。その先の市営球場のベンチは土塁をそのまま利用か? 球場前の駐車場としての大池が埋立てられた模様です。

 遺構としては、個人宅にに硝煙蔵移築門2つのうち東口門当信寺に、厩口門延命寺にあります。


このときは時間に余裕があったのでホテル自転車を借りましたが、案内板が要所にあり天守から城下まで隈なくまわってきました。
食事には名物白石うーめん(麺)もお勧めです。









最後になりますが、
本日、東日本大震災から半年となります、そして西国を襲った希にみる大型台風。
被災者の方々にお見舞いを申し上げます。そして一日もはやい復興を願ってやみません。
わたし自身非力で申しわけないのですが応援させていただきます、がんばれ日本

白石城歴史探訪ミュージアム鬼小十郎まつり 2011は10月1日
白石城 地図
白石城_910m表示JR東北本線「白石」駅下車 西へ1km 徒歩12分
東北新幹線白石蔵王」駅下車 西北西に2km
*白石駅・白石蔵王駅の観光案内所と白石城にレンタサイクルあり。9:00-17:00 無料(保証金¥500円必要)
駐車場:市民球場そば、北に一ヶ所、市役所P利用
トイレ :あり
近くには、東北に船岡城。 南南西に厚樫山防塁。 

2011年9月5日月曜日

2つの 波多野城 (はたのじょう:神奈川)

神奈川県秦野市東田原999
 平安~鎌倉時代にかけて波多野氏の館が営まれたようで、場所は鎌倉幕府三代将軍 源実朝公首塚に隣接する田原ふるさと公園のところです。

少し前までは、東へ1km程いった東小前台地城址碑があり、そこが波多野城址と云われていてましたが発掘の結果なにも出土せず! かえって、

実朝公首塚前の東田原中丸遺跡発掘かわらけ障子堀(畝堀か?)がみつかり、今ではこちらが波多野城の有力候補地となっています。
資料が少なく詳細はわかりませんが出土障子堀は、もともと波多野氏館があったところに後北条氏が構築したもでしょう? まぁ今後の研究待ちですね。

田原ふるさと公園:実朝公首塚前の公園、そば「東雲」では水車で挽いた地粉で打った蕎麦がたのしめます。

波多野城 地図:秦野市東田原
旧・波多野城 地図:秦野市寺山(東小前)
小田急線「秦野」駅下車、バスで藤棚行き(秦23)又は秦野駅循環(秦26)(秦27)で中庭下車、徒歩3分
駐車場:28台(東田原ふるさと公園)
トイレ :あり
近くには、南南西に鴨沢要害。 南東に東波多野城(弘法山城)、その先に真田城。 東北東に丸山城。 東北には糟谷館

2011年9月1日木曜日

谷村陣屋 (たにむらじんや:山梨)

山梨県都留市谷2
ココも遺構はなく、谷村小学校前の地方裁判所の角に陣屋石碑だけがあります。

秋元氏が宝永2年(1705)に川越転封となり、谷村城は破却されると郡内幕府天領となり、秋元家臣だったの高山甚五兵衛屋敷跡に陣屋が構えられました。

国中:山梨県内でも甲府を中心とした西部。 郡内:都留郡を中心とした東部(武蔵、相模、駿河と国境を接する)
谷村陣屋 地図
富士急行 「谷村」駅下車 400m 徒歩4分
駐車場:市役所利用
トイレ :市役所利用

近くには、西側すぐに谷村城。 北北西に小山田氏の中津森館。 南東に小山田氏別荘。 南西に古渡城山烽火台。 北北東には岩殿山城

2011年8月29日月曜日

谷村城 (たにむらじょう:山梨)

山梨県都留市上谷1
 勝山城から下りてきました。


谷村城の城域は、谷村一小(本丸)のところから、北の高尾神社(三の丸)あたりまで。 桂川の対岸にある詰の城勝山城とは橋で結ばれていた。


郡内の領主小山田氏は武田氏と共に滅亡。
その後、幾名かの城主を経て、拡張されたのだと思います。

この地を最後に治めていた旗本秋元氏転封郡内幕府天領になると城址は耕作地へと変わっていき、現在に残る遺構は何もなく 小学校内に城址石碑だけがが建っています。
歩いた感じではミュージアム都留歴史文化公園市役所小学校の前を流れる家中川の名残っぽくみえるのと、それに沿った城郭風石垣城址の雰囲気を醸しています。



ミュージアム都留HP


谷村城 地図 (城址碑のところ)
富士急行 「谷村」駅下車 北へ徒歩4分
駐車場:市役所利用
トイレ :市役所利用

近くには、東 間近に谷村陣屋。 北北西に小山田氏の中津森館。 南東に小山田氏別荘。 南西に古渡城山烽火台。 北北東には岩殿山城

2011年8月23日火曜日

勝山城 (かつやまじょう:山梨)

山梨県都留市川棚 (城山、標高571m)
幾度となく前を通りすぎている勝山城ですが、ようやく盆休みの釣り帰りに寄ってきました。
まずは、ミュージアム都留で資料集めからはじめ、そこに駐車させていただき徒歩で登城のつもりだったので、職員の方に聞いてみると、「クルマは置いてっても大丈夫ですが、城山に駐車場もありますよ!」 と、親切にも案内地図までコピーしていただいたので迷わず駐車場まで辿り着けました。  感謝!
行くまでは小城と思っていたので勝山谷村両城を併せると予想以上のでありました~!
 思えば、徳川家康公を関東に封じ込める(監視する)ためのの一つとも思えるのでそれなりの規模が必要だったのしょう。
土塁などはあまりみられませんが、本丸には東照宮が建っており、南側と北側2箇所に石垣が残ります。
大月から富士吉田に抜ける国道129号線を走ってくるとクランク状に道が折れますが、これが城下町の名残のようです。

このは、平素は谷村城(館から派生?)、事が起きれば桂川対岸の勝山城に篭るとゆう2城1対で機能しており、一説では小山田氏時代から存在したともいわれ、後北条氏、徳川家臣鳥居氏を経て豊臣政権下の浅野氏のときにミュージアム模型のような縄張になったものと思われます。
江戸期は秋元氏が陣屋を営み、宇治から御茶壷道中が行われ、勝山城御茶壷蔵に納められ熟成させて江戸に運びました。

ミュージアム都留:城址模型あり、発掘調査報告書(¥2400)は近隣城館・狼煙台の資料も載っています。





勝山城 地図富士急行谷村」駅下車 桂川を渡り600m 徒歩約8分(駐車場まで)。 「都留市」駅下車して北側からも登れるようです。
駐車場:あり、3~4台ほど。
トイレ :駐車場に付帯

近くには、南東に小山田氏別荘。南西に古渡城山烽火台。 北北西に小山田氏の中津森館。北北東には岩殿山城