早朝の僅かな時間しかとれませんでしたが、復元された濠と土塁・東城砦・林泉寺と春日山神社をめぐって参りました。
城郭ページ! 関東の後北条系の城メインで、 範囲は古代山城から近世城郭まで! その他、遺跡、寺院、伝統芸能、ナドも・・・ *過去Blogは「県名」「石垣」「古墳」ナド ラベルのキーワードで検索してください。
2008年9月7日日曜日
2008年9月2日火曜日
謙信亡き後に勃発した「御館の乱」舞台(おたて:新潟)
新潟県上越市五智1-22
小田原の北条氏康から関東の地を追われた関東管領上杉憲政のために長尾景虎(上杉謙信)が造営した館で、謙信の政庁としても使われたと言われています。
現在は、信越本線から僅か数40メーターほど北側にあり、区画整理されたところに御館公園があり説明版と碑があるのみです。
*御館の乱
謙信亡きあと、二人の養子 景勝(長尾)と影虎(北条氏康7男)の跡目争い、越後を二分して争い約2年間続きましたが、景虎の自害で収束しました。
御館の現況は区画整理事業で遺構は消滅してしまったようですが、発掘時には実射されて変形した鉄砲玉、皿、かんざし、などが出土しています。
徒歩:JR信越本線「直江津」駅から西へ10分
地図(御館公園):新潟県上越市五智1-22
現在は、信越本線から僅か数40メーターほど北側にあり、区画整理されたところに御館公園があり説明版と碑があるのみです。
*御館の乱
謙信亡きあと、二人の養子 景勝(長尾)と影虎(北条氏康7男)の跡目争い、越後を二分して争い約2年間続きましたが、景虎の自害で収束しました。
御館の現況は区画整理事業で遺構は消滅してしまったようですが、発掘時には実射されて変形した鉄砲玉、皿、かんざし、などが出土しています。
徒歩:JR信越本線「直江津」駅から西へ10分
地図(御館公園):新潟県上越市五智1-22
2008年5月17日土曜日
岩殿山城 武田氏の終焉を速めた城(いわどのやまじょう:山梨)
山梨県大月市
岩殿山の東麓には、かつて真言宗寺院 円通寺が建っていました、おそらく岩殿山はこのような岩山ですから修験道に最適だったのかもしれません。 城はその寺院跡も利用して築城されているようです。
町から橋を渡り 岩殿山城の看板の所からしばらく登ると丸山につきます、そこには「ふれあい館」とゆう名の木造模擬櫓が建っています(地図などチラシあ
り)。
2008年5月13日火曜日
2008年4月9日水曜日
桜の江戸城 千鳥ヶ淵。(ちどりがふち:東京)
画像は千鳥ヶ淵から北の丸を見上げたところ、下部は腰巻石垣、中間 部は土、上部は鉢巻石垣で、江戸城内堀の西の丸から北の丸の西側はおおよそこんな造りになってます。この辺りを見る度に思うのですが、人足が掘ってる最中に地下水が噴出したり岩が出てきたりで難工事だったとおもいます~ ともかく昔の人はスゴイ!!
2008年4月8日火曜日
全山、郭で武装された皆川城 (みながわじょう:栃木)
栃木県栃木市皆川城内町
東京から東北自動車道を走り、栃木I・C手前の左手に見える削平された山が皆川城です。山1つが階段状の腰郭が見え、なにやら楽しげな山城ですね~いつも高速から眺めているだけで現地には未だ行ってないですが、今年こそは訪れようと思ってます・・・
城址遠望だけですが、走行中に見るとこんな感じですよ!
皆川氏の居城で、しだいに後北条氏に圧迫され その傘下に入りました、豊臣秀吉による小田原合戦が起こり、家臣を連れ小田原城内の守りについていた皆川広照は早々に秀吉に通じて安堵されたが、既に皆川城は落城の憂き目にあっていました。
城址遠望だけですが、走行中に見るとこんな感じですよ!
皆川氏の居城で、しだいに後北条氏に圧迫され その傘下に入りました、豊臣秀吉による小田原合戦が起こり、家臣を連れ小田原城内の守りについていた皆川広照は早々に秀吉に通じて安堵されたが、既に皆川城は落城の憂き目にあっていました。
2008年3月25日火曜日
秀吉の九州責めで最後まで抵抗した城、平佐城(ひらさじょう:鹿児島)
鹿児島県薩摩川内市平佐町
小学校近くに 平佐城温泉あり
近くには、碇山城。豊臣秀吉と島津義久が面会した太平寺跡。薩摩国分寺跡がある。
現況、
中心部は西平佐小学校(城址碑あり)。三の丸はJR薩摩川内駅周辺となっています。小学校より西へ600m程のところに江戸期の城主北郷氏の墓所があります。
徒歩:JR鹿児島本線・九州新幹線「薩摩川内」駅下車、駅そば
車 :駅周辺のコインパーキング
平佐城 MAP
徒歩:JR鹿児島本線・九州新幹線「薩摩川内」駅下車、駅そば
車 :駅周辺のコインパーキング
平佐城 MAP
小学校近くに 平佐城温泉あり
近くには、碇山城。豊臣秀吉と島津義久が面会した太平寺跡。薩摩国分寺跡がある。
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