城郭ページ! 関東の後北条系の城メインで、 範囲は古代山城から近世城郭まで! その他、遺跡、寺院、伝統芸能、ナドも・・・ *過去Blogは「県名」「石垣」「古墳」ナド ラベルのキーワードで検索してください。
2008年5月17日土曜日
岩殿山城 武田氏の終焉を速めた城(いわどのやまじょう:山梨)
山梨県大月市
岩殿山の東麓には、かつて真言宗寺院 円通寺が建っていました、おそらく岩殿山はこのような岩山ですから修験道に最適だったのかもしれません。 城はその寺院跡も利用して築城されているようです。
町から橋を渡り 岩殿山城の看板の所からしばらく登ると丸山につきます、そこには「ふれあい館」とゆう名の木造模擬櫓が建っています(地図などチラシあ
り)。
2008年5月13日火曜日
2008年4月9日水曜日
桜の江戸城 千鳥ヶ淵。(ちどりがふち:東京)
画像は千鳥ヶ淵から北の丸を見上げたところ、下部は腰巻石垣、中間 部は土、上部は鉢巻石垣で、江戸城内堀の西の丸から北の丸の西側はおおよそこんな造りになってます。この辺りを見る度に思うのですが、人足が掘ってる最中に地下水が噴出したり岩が出てきたりで難工事だったとおもいます~ ともかく昔の人はスゴイ!!
2008年4月8日火曜日
全山、郭で武装された皆川城 (みながわじょう:栃木)
栃木県栃木市皆川城内町
東京から東北自動車道を走り、栃木I・C手前の左手に見える削平された山が皆川城です。山1つが階段状の腰郭が見え、なにやら楽しげな山城ですね~いつも高速から眺めているだけで現地には未だ行ってないですが、今年こそは訪れようと思ってます・・・
城址遠望だけですが、走行中に見るとこんな感じですよ!
皆川氏の居城で、しだいに後北条氏に圧迫され その傘下に入りました、豊臣秀吉による小田原合戦が起こり、家臣を連れ小田原城内の守りについていた皆川広照は早々に秀吉に通じて安堵されたが、既に皆川城は落城の憂き目にあっていました。
城址遠望だけですが、走行中に見るとこんな感じですよ!
皆川氏の居城で、しだいに後北条氏に圧迫され その傘下に入りました、豊臣秀吉による小田原合戦が起こり、家臣を連れ小田原城内の守りについていた皆川広照は早々に秀吉に通じて安堵されたが、既に皆川城は落城の憂き目にあっていました。
2008年3月25日火曜日
秀吉の九州責めで最後まで抵抗した城、平佐城(ひらさじょう:鹿児島)
鹿児島県薩摩川内市平佐町
小学校近くに 平佐城温泉あり
近くには、碇山城。豊臣秀吉と島津義久が面会した太平寺跡。薩摩国分寺跡がある。
現況、
中心部は西平佐小学校(城址碑あり)。三の丸はJR薩摩川内駅周辺となっています。小学校より西へ600m程のところに江戸期の城主北郷氏の墓所があります。
徒歩:JR鹿児島本線・九州新幹線「薩摩川内」駅下車、駅そば
車 :駅周辺のコインパーキング
平佐城 MAP
徒歩:JR鹿児島本線・九州新幹線「薩摩川内」駅下車、駅そば
車 :駅周辺のコインパーキング
平佐城 MAP
小学校近くに 平佐城温泉あり
近くには、碇山城。豊臣秀吉と島津義久が面会した太平寺跡。薩摩国分寺跡がある。
2008年3月18日火曜日
幕末海防の城 助川城! (すけがわじょう:茨城)
茨城県日立市助川町5
幕末に異国船が多数やってくると、水戸藩主 徳川斉昭公は家老の山野邊義観を海防惣司に任命し海防のため助川城と幾つかの台場を築かせました。この助川城 幕府に家老屋敷と届けを提出し荒業で
築いてしまったようです。 築城28年後に天狗党の乱に巻き込まれ落城してしまった悲しい運命の城ですが、 このことは大仏次郎さんが小説に書いています。
画像は国道6号線沿いの大手門前の碑です。昼休みの短時間で廻ったため助川小、日立病院、周辺の土塁とそこから公園になっている本城を見上げただけで帰ってきました、残念!
助川防海城跡保全会 郷土博物館
助川城 MAP
助川防海城跡保全会 郷土博物館
助川城 MAP
徒歩:JR常磐線「日立」駅下車、西方面の助川城址公園を目指すタクシーかバス利用
クルマ:日立病院に大きな駐車場があります。(ココより上は上ってないので不明)
2008年3月5日水曜日
龍ヶ崎古城・龍ヶ崎陣屋 (りゅうがさきこじょう・りゅうがさきじんや:茨城)
茨城県龍ケ崎市古城3087
その後 土岐氏が20年間治めたあと佐竹氏に属し廃城となったようです。
江戸期、龍ヶ崎は仙台藩領1万石の飛び地となり、城の北西に陣屋を構え、享保年間にここを訪れた藩主伊達吉村に「北にありて古城あり、東はかしまの海みえて 眺望かぎりなし」といわしめたところです。よって名を龍ヶ崎古城とゆうらしいです。
江戸期、龍ヶ崎は仙台藩領1万石の飛び地となり、城の北西に陣屋を構え、享保年間にここを訪れた藩主伊達吉村に「北にありて古城あり、東はかしまの海みえて 眺望かぎりなし」といわしめたところです。よって名を龍ヶ崎古城とゆうらしいです。
○北側は土採りで山が一つ無くなっているようです。
○道路は城を取り巻くように走っていますから堀跡など規模をイメージし易いです。
徒歩:常磐線「佐貫」で関東鉄道 龍ヶ崎線に乗換え「龍ヶ崎」下車、15分(1.2Km)
クルマ:駐車場は特になし
地図:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E140.11.42.0N35.54.19.6&ZM=9
クルマ:駐車場は特になし
地図:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E140.11.42.0N35.54.19.6&ZM=9
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