2020年5月15日金曜日

伊豆の 下田城(しもだじょう:静岡)

静岡県下田市3丁目 
下田公園駐車場

登城路は何本かありますが、海沿いのペリー記念碑の先の下田公園駐車場から登ります。(下田市指定文化財)
登りはじめたところから駐車場

前方の武山と下田城に挟まれた湾には稲尾沢川が灌いでいます。 対岸に見える武山後方には下田ロープウェイ「寝姿山」駅の近くに黒船見張所跡があります。
清康英屋敷跡

現在は平地ですが段があったかも!?
天守台下の案内板 絵図に載っていた清水康英屋敷はこの辺りであろうと思います。
馬場ヶ崎から中心部へえ向かう虎口?

両側に竪堀を備え、奥の東屋の所が虎口ナドの防御施設であるように見えます。
さらに進むと

左手は土塁でその下方には畝堀が廻っていました。ココは連絡通路(尾根道)に見えるが絵図や模型からすると郭跡のようです。 
先に見えるのは比高70mの天守台。
鵜島城址碑

一般に、通り名は下田城ですが、近世以降に鵜島城と呼ばれるようになったそうです。
天守台の下方の横堀跡

はじめは郭跡?と思いました。
後で堀跡案内板を見ると畝を伴う堀が横に長く続いていたようです。
天守台近くから見下ろし

見えているのは湊の一部となった稲尾沢川河口、往時は沢山の船が行き交っていたことでしょう。八王子城で出土しているベネチアグラス、景徳鎮や青磁もココを経由したのでしょうか?!
天守台下の案内板

廃城になって久しいので情報が少なく、多数ある案内板も表記が弱いのでこれらを頼りに城内を歩くいても分かり難く、帰ってから確認しているところです。
本丸から北西に雛壇状になった郭

郭名ナド分からず!?
案内板から抜粋

案内板に写真が載っている城址模型は道の駅「開国下田みなと」に展示されています。
模型を見てから城址を歩きたかったのですが営業外で見られずでした。
本丸ー2郭の間

ココには本来は土橋は無く畝堀が続いていたようです。
上の写真の右側の堀(2郭下)

半ば埋まっていまるが畝堀がお茶が鼻ヶ崎の方向に向かって畝堀が続いていました。
本丸下の畝堀

城址で一番の見せ場!
堀の畝が気分を高揚させる(多分埋め戻されている、盛土)
本丸の辺りから畝堀

上の写真の所を本丸から見下ろしたもの。
1同じく堀

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空堀案内板

切通しとなったところを抜けると案内板があり、畝堀が表現されています。

空堀案内板拡大

堀は総延長700mにも及びます。
天守台→御茶ヶ崎へ向かう

2郭ナドの郭群。堀もみえます。
お茶ヶ崎

櫓が建っていたであろう御茶ヶ崎展望台
お茶ヶ崎から水族館方面

奥に見える赤根島と尾根には、出丸や見張台が存在したと思われます。
眼下の和歌の浦は下田海中水族館となっていおり、当時は軍船が舳先を連ねて壮観であったであろうと思います。

時間切迫していて、速足で下田城像を把握できないまま下山して書いているので全体の流れがわかり難いかと思いますがまたユックリ廻ってみたいとおもいます。


下田城 地図(下田公園駐車場)
伊豆急行「伊豆急下田」駅下車、南へ徒歩14分。
駐車場:下田公園駐車場と下田海中水族館駐車場(共に無料)
トイレ:駐車場に付帯

近くには、北に深根城。北東に河津氏館、河津城、影山氏館がある。

2020年5月9日土曜日

伊豆 蔭山氏館(かげやましやかた:静岡)

静岡県賀茂郡河津町笹原314(姫宮神社)
河津西麓にある居館跡
河津城の西麓にある蔭山氏館にやってきました!
姫宮神社(笹原明神)のところが館跡と云われています。
姫宮神社 社殿
鎌倉公方 足利義持は永享の乱で破れたが幼少の七男 (蔭山広氏)が伊豆に落ち、後に蔭山氏の婿となりました。
数代の後、伊勢新九郎(北条早雲)の伊豆侵攻により北条家家臣となり、小田原合戦敗戦後に北条氏直の高野山蟄居に従いました。その後は徳川の旗本となり要職を歴任したようです。

観光交流館駐車場から館跡方面
河津桜観光交流館駐車場から
河津桜のシーズンによく紹介されている観光交流館駐車場の駐車場から蔭山氏館跡まで100m程、トイレ、物産ナドもあり便利です。 *姫宮神社(館跡)前は住宅地のクランク道に存在するので駐車は困難!!

河津桜

今回からBlogの仕様が変更になったので表示に違和感がありますが慣れるしかないですね!

過去Blog:2020/4/29 伊豆の河津氏館

伊豆急行「河津」駅下車、北西に徒歩7分
駐車場:観光交流館と隣にコンビニあり
トイレ: 〃

2020年5月7日木曜日

早雲vs茶々丸 最後の攻防 深根城 と茶々丸墓所(ふかねじょう、ちゃちゃまるぼしょ:静岡)

静岡県下田市堀之内
■深根城

県道15号線の深根橋周辺

国道414号線を下田から河津方面へ向かい「箕作」交差点を直進(河津方面のR414号ではなく松崎方面 県道15号)し100m程の所に箕作郵便局前を過ぎ局のすぐの深根橋を渡った川沿いの道を左折し、400m程進むと深根城の登口に出ます。
※写真は逆方向で、松崎方面から深根橋を見た所です!
城址碑

深根橋の近く、目立たない所に城址碑がありますが先に書いたように目的地はずっと奥になります。
深根城址登り口から深根橋を振返る

一般的に、伊勢新九郎(北条早雲)に堀越御所を急襲された足利茶々丸は深根城主 関戸吉信に伴われこの地に落ち籠城しましたがやがて落城しました。
*写真中の箕作橋は✖で深根橋が正解
暫く上ると削平地が!

後世の宅地、耕作地跡のようですが ココはかつての家臣屋敷跡ナドと考えたいところ!?
削平地の少し登って振返ったところ

同じく削平地の上部に小沢が流れます。
櫓台と土塁と思われているところ

更に上ると主要部(個人宅)に出ます。には立派な櫓台と土塁らしきモノが残っています。現状では防御に乏しいので この道が堀底道か?と妄想して見ています。
深根の枝垂れ桜

櫓台に樹齢160年を越える深根の枝垂れ桜があり名所となっている。機会があったら桜の季節にもう一度来てみたいです!
土塁から南西側の斜面を見る

主郭を見下ろせる高台には物見台ナド防御施設はあったのだろうか?
個人宅なので遠慮して奥まで行かなかったのですが、どうやら深根の枝下れ桜の麓に城址案内板があったようです。

深根城 地図 (進入路入口)
深根城 地図
伊豆急行「稲梓」駅下車、東へ徒歩2km。或は東海バス「箕作郵便局」バス停下車、徒歩。
駐車場:なし(稲尾沢川沿いの側道に置けそうです)
トイレ:なし

■足利茶々丸墓所
県道15号線沿いの石碑

電柱と下地のコンクリートに同化して碑が目立たない!


足利茶々丸之墓 石碑を入る

ココを登った何処かにある茶々丸夫妻と云われる宝筺院塔・五輪塔を探しに小道を入ってみます。
登って行きましたが・・・

地元の方の墓地まで行ってこれ以上進んではいけないと思い諦めて戻ったのですが、帰ってから調べると
あと少し登れば足利茶々丸の墓所があったようです。
下調べが不十分で敢えなく撤退となりました。

足利茶々丸:堀越御所を急襲された後の足どりは諸説あり。
〇伊勢新九郎に堀越御所を急襲され、守山城 或は願成就院へ逃れて自害した。
〇堀越御所から関戸信吉の深根城へ逃れたが、伊勢新九郎に深根城を攻められ自害した(この場合は深根の墓所が有力になるか?)。
〇伊豆諸島へ逃れて抵抗した。
〇甲斐の武田氏に身を寄せて再起を計った。
ナドと諸説あり 終焉の地はよく分からないようです。

また、一定の年齢に達していたと思われますが茶々丸とゆう幼名しか伝わっておらず謎が多い人物ですね。


※足利茶々丸の墓所は伊豆の国市の願成就院にもあります(北条時政開基、国宝の運慶仏あり)。

※関戸吉信 墓所は国道414号線の河津ループ橋下の枝道に入り、ループ橋から南東に600m程の所に在ります。

過去Blog:
2016/9/18 伊豆国 北条氏邸(時政)、円成寺跡
2016/10/25 堀越御所 或は 堀越公方館 
2016/11/5 堀越御所 詰めの城 守山城

足利茶々丸墓所 地図 (入口の案内の標柱のところ)
交通手段は深根城と同じ様に深根橋から西へ80mで道路沿いの石碑のところ。


2020年4月29日水曜日

伊豆の河津氏館 (かわづしやかた:静岡)

静岡県賀茂郡河津市谷津375
河津氏館跡

「河津」駅から徒歩で河津川に架かる舘橋を渡って5分ほどの所にある谷津河津八幡神社の辺りが河津氏館跡です(専光寺も含まれるか?)。
遺構は何も無いようです。
曾我兄弟像

鎌倉時代、曾我十郎祐成、曾我五郎時致 兄弟は父 河津三郎祐康を工藤祐経の従者に殺害され曾我兄弟が仇討を果たした。
これは日本三大敵討ちと云われる。
河津三郎像と力石

相撲や柔道の技「河津掛け」は河津三郎祐泰が使ったと云われいます。
像の前には300kgあるとゆう力石が置かれています。
専光寺

河津八幡宮の左方にある専光寺ですが、当時から寺が存在したのかは不明?
湯端の塞神

詳しいことは分かりませんが塞神(さいのかみorさえのかみ)とは道祖神と同じものようです。


河津神社から河津桜と河津城遠望

立地は、館の背後は山、前方には河津川があり、300m下ると太平洋となり、意外と防御に容易だったかもしれません。
ただ、平地が少なく発展性は乏しいため後の領主は対岸に移っていったようてです。

河津氏館 地図
伊豆急行 「河津」駅下車、南西に徒歩5分
駐車場:神社参拝用Pあり
トイレ:無し

近くには、北に河津城、蔭山氏館。南南西に下田城。西南西に深根城。

2020年4月9日木曜日

青梅市の 藤橋城(ふじはしじょう:東京)

東京都青梅市 青梅市指定史跡
藤橋城にやって来ました!

今井城から霞川を渡りクルマで5分の道のり。
信号手前の左手に見える斜面は公園外ですが城の一部のようです。
藤橋城跡公園の正面

ココは1郭で、右方向に進むと下って「藤の木農道」信号に出ます。
この道路は昭和40年頃まで空堀だったそうです。
立地は段丘の出張り

*この地図は現在の道路に沿って堀の位置を推定した個人的妄想地図なので実際のところは分かりません!!
1郭の公園入口

ココは、
郭(宅地)―堀(道路)―1郭
と、なるかと思います。
藤橋城跡 案内板

過去Blogの所沢市の滝の城にも出てくる清戸三番衆の藤橋小三郎の城であったとされており、廃城は小田原合戦の時とされています。
1郭土塁上から

この土塁の先に櫓台と思われている盛土があります。
上の写真から逆方向に振返ったところ

オニギリのような形の郭の周囲には土塁が廻ります。
1郭

ベンチと簡易なトイレが備わっています。
1郭北西の吐出部

ココでは西~北方まで見渡せ 櫓が建っていたら良い感じの場所です。
1郭を出るところから郭

この公園通路は改変されていないだろうか??
城跡公園の外から

手前に見える郭跡or土塁?が「藤の木農道」信号まで続きます。この何処かに櫓が建っていたようです。 また、写真左に見える住宅のところが土塁跡であるならば二重土塁であったかも?? と妄想が膨らみます。
東から西側をみる

右の宅地は、城と田の際の犬走り状のところと同じ高さなので一繋りのようにみえます。
西から藤橋城

城の裾部に犬走状に段がある。その下の田になっている所は堀や沼があったのだろうか?
また、霞川の流れは当時とは変化していそうです。


藤橋城 地図
JR青梅線 「東青梅」駅下車、北東へ徒歩40分。
JR青梅線「河辺」駅北口から「入市32-1バス」で藤橋バス停下車、北へ5分(要確認!)駐輪場:なし
トイレ:公園内にあり
近くには、東北東に今井城。西南西に勝沼城。西に辛垣城。

2020年4月6日月曜日

青梅市の 今井城(いまいじょう:東京)

東京都青梅市今井1-559付近
霞川から今井城

今井城は北は東京都-埼玉県の境にある阿須丘陵があり、南側には霞川で守られています。
今井氏が築き 今井氏没落後に三田氏や後北条氏によって利用されたと思われています。
発掘調査では14世紀~16世紀の板碑や陶器が出土し、そのコトが城が再構築された裏付けとなっています。
今井柳田自治会館を目指すが・・・

自治会館に駐車できるか? と期待して行ったが、会館入口にはロープが張られいて断念!
仕方なく路駐しました。
上の写真の右手側

段が見えます!
入口案内板から登ると・・・

2枚目の写真の奥へ進むと階段のところにも今井城と書かれいる。
外郭から堀と2郭

外郭としたが北側の草地の緩斜面とは別郭か?
その場合は堀か土塁で仕切られていたのか??
2郭

この辺り クモの巣だらけで枯れ枝で排除しながら入って行くと今度はスズメバチがコチラの様子を伺いに!
関わりたくないので巣がありそうな木を避け前進します。
あっ、遅れましたがコロナウィルス自粛で昨年のまだ暖かい時期の物です。
2郭から外郭方面

2郭から外郭に渡るようになっているが当時の土橋であろうか?
外郭は下り緩斜面になる

外郭は草地になっていてコチラ側から入るコトも可能。
2郭、3郭の奥に1郭

ココが1番 城址らしさが残るところかな!?
1郭、2郭、3郭の堀がシッカリと残っています。
1郭

1郭は方形郭とおもうが、奇麗な方形では無く一つの面は土塁も切れています。或は崩れているのかもしれません。?

1郭の土塁

1郭南側の一段下に小規模の郭があり。
城址北西の隅辺りから

平坦な1郭、2郭と比すれば3郭は細く狭いです。
余湖くんのホームページの余湖図コレクションの中から今井城の図をお借りしました(感謝!)

今井城は思っていたより良い状態で堀土塁もナカナカでした。発掘調査では14~16世紀の板碑や陶器が出土しています。

路上駐車中のクルマが心配で足早に廻ったので縄張りをちゃんと把握できていなくて、こちらの余湖図と写真を見ながら位置を確認したのでどこか不備が有るかもしれません。ですからまた近くを通った時に訪れて追記したいとおもいます!

次の藤橋城まで1kmとチョッとを移動します。

今井城 地図
JR 八高線「金子」駅下車、西へ徒歩20分
入市32、32-1、32-3「原今井」バス停下車、北へ5分(*利用する場合は確認してください!)
駐車場:なし
トイレ:城の腰公園にあり(霞川の大橋のところ)

近くには、西南西に藤橋城、勝沼城。西に辛垣城。東南東に根古屋城がある。