2012年6月30日土曜日

玉縄城址にて 玉縄歴史アカデミア No.13 (たまなわれきしあかでみあ13 :神奈川)

神奈川県鎌倉市城廻200
 今回のセミナーは、
  玉縄歴史アカデミアNo.13は「 北条早雲と鎌倉 そして玉縄城
 1基調講演(黒田基樹氏)
この講演は勉強になりました、早雲公は伊豆、相模から房総、伊豆諸島方面の海運の権益の話をしておられました。
聞けばナットクで、上杉謙信公も直江津とゆう良港を持っており海運権益がもたらす利益は莫大ですね <-わたしの解釈
伊豆と伊豆沖の海域が登場する伊東潤氏の「幻海」ナドもイメージしながら聞いていました。

 2小説とゆう観点から歴史について語る(伊東潤氏)
伊東氏の話を聞いていると自分も小説家になれそうな気が!! <-あっ! 現実はこのブログをみれば・・・
 いままでオフ会で2回ほど城郭案内をしてもらったので、今回で3回のお目にかかりです。

3、鼎談「戦国の魁-北条早雲」(黒田基樹氏、伊東潤氏、伊藤一美氏)
三者鼎談は良かったのですが、もっと時間が欲しかったかな。

最後に、来賓ナド各方面の方の紹介と築城500年祭の案内、最後は甲冑武者が「エイ!エイ!」とのたまうと、我等聴講者が「オウ!」と3度応え 〆となりました。
 ~~~〜〜

玉縄城難攻不落と俗に云われております。 何故なら、諏訪壇ナド遺構が学校内にあるため中へ入ることもカメラを向けることすらできません。 
わたしは、5年ほど前にSNS友と直接学校に連絡して(自分は何もしていませんが・・・)諏訪壇ナドを見学したので今回で2度目の登城ですが別な角度から諏訪壇をみられたり、龍宝寺資料館城址模型が増えているし、会場で伊東氏の新作「叛鬼」を購入サインしていただきました♪
そして長尾城龍宝寺二伝寺砦再訪と玉縄図書館で調べ物をしたりで充実した一日でありました。

過去Blog
2010.4.10「後北条、ゆかりの竜宝寺」
2010.4.10「 いまでも難攻不落!?  玉縄城
2012/10/28に築城500年のイベントがあります(玉縄築城500年祭実行委員会。関東各地の北条ネットワーク!?が参加してくるようです) <- これは行かねば!!

玉縄城 地図
JR東海道線、横須賀線「大船」駅下車、北西へ徒歩30分。正門前までバスもあり。

2012年6月27日水曜日

第442回津久井城開城記念 津久井城攻防戦再現 (つくいじょうこうぼうせんさいげん:神奈川)

神奈川県相模原市緑区根小屋162(パークセンターのところ)
 

城山に登るため、はやめに到着。
無事にパークセンター下の駐車場にとめられましたが、イベント以外に家族連れやペットの散歩の方が多く訪れるようでイベントが終わった頃てもパークセンター下の駐車場はいっぱいでした。
また、他所に開城記念のための臨時駐車場も用意されていたようです。

さて、初のイベント「津久井城攻防戦の再現」は・・・
午後にパークセンター前から出陣し、会場の御屋敷跡に移動して合戦再現が始まります。


 ~~ 寸劇 ~~
当主内藤さんは兵を率いて小田原城に参陣、数少ない守備兵5百ほどで徳川麾下 本多忠勝さんを総大将とする井伊平岩鳥居松平戸田らの兵1万2千を相手に対峙します。



 前哨戦では、津久井衆の勝ち!
攻め手鉄砲を放ち、なかなかの迫力~!!
その後突撃で両者入り乱れての剣戟 <-観客は興味深くみておられました。

攻め手たまらず退却
  そして・・・ 津久井衆鬨の声
みている方は津久井衆が勝って嬉しそう、 流石 地元ですね~♪

しかし、多勢に無勢、城方が不利なのは明らか
 留守居の内藤さんの父上が自分の命と引き替えに城兵を助けて欲しいと腹を切ろうとしますが、本多忠勝さんに救われ。城方の守屋若狭徳川家康召し抱えられ津久井代官となりましたとさ。
 これで、一巻の終わり

~~ 内容を端折っております ~~
 今回のポスターに合わせて私もモノクロ写真にしました。
演者の方も楽しそうに演じ、観衆も興味津々、会場にも余裕がありユッタリとみられました。
また、登場人物のプロフィール秀吉出陣から津久井攻めまでの時系列チラシを配っていたので、物覚えの悪いわたくしは助かりました。

帰りには三増峠(合戦場ではなく山道)を制覇しようと目論んでましたが前日までの疲れがでて、わたしも敢え無く敗退でした~ ↓

交通情報ナドは、一つ下の2012.6.10「津久井城の項をみてください。

2012年6月10日日曜日

津久井城 (つくいじょう:神奈川)

神奈川県相模原市緑区根古屋162 パークセンターのところ
 周囲は、南から東にむかって串川、その支流の尻久保川根古谷の下近くを洗い、
北の相模川には、往時は津久井湖の湖底にあたるところ相模川が流れておりました。
津久井ダム上を横断する道路からダム下を見ると相当な高があるのがわかります。
ていました。
 城山(375m)の山頂本城曲輪で、そこから尾根筋を東北東に向って太鼓曲輪飯綱曲輪鷹射場南側山裾居館とゆう規模です。(発掘でまだ広がるとおもいます)



今は、津久井湖側に国道が通り、表口のようになっていますが、
そちら側は深く落ち込む斜面で、南山裾に居館がありました。
 ですから、攻城軍は大手から、見学もできたらパークセンターのある大手から登城してください!!
 三増峠の戦い絡みの城址であり規模ナド旧状が気になるよころです。

今回も古い画像なのですが、近々津久井城攻防合戦再現(北条vs豊臣)がありますのでアップします。当日、行けたら画像と文を差し替え予定!
*2012/6/24 第442回津久井城開城記念 津久井城攻防戦合戦再現滝の城まつりに続きこちらも初のイベント!)
 

 県立津久井湖城山公園 パークセンター 城址模型あり。このHPに案内パンフレット(PDF板)あり。

津久井城 地図
JR横浜線、京王 相模原線「橋本」駅下車、北口から三ヶ木行きバス 25分「クラブ前」下車徒歩20分
駐車場:3ヶ所(パークセンター・公園管理事務所下、湖畔の駐車場、津久井湖観光センター)イベント当日に利用できるか要確認!当日止められました。
トイレ :あり。 城山の上の方にはありません本城曲輪下にありました。
近くには、北に初沢城。北北西に八王子城。南に三増峠合戦場田代城細野城。南西に小沢城小沢古城

2012年6月3日日曜日

もう一つの戦国時代の終焉 九戸城 ( くのへじょう:岩手県 )

岩手県二戸市城ノ内~福岡 国指定史跡
 *数年前の訪城写真・データですので現状と相違があるかもしれません、訪れる場合は確認をとってください。

城は西に馬淵川、北に白鳥川、東には猫淵川と三方を川に囲まれた台地上にあり、九戸正実の乱直後に蒲生氏郷の指導により築き直し福岡城と改名、南部氏の居城とします。
 本丸には東北最古の石垣があり、本丸二の丸ナドは上方の城造りといっていいと思います。
反面、石沢館若狭館は独立的なとなっており旧来と思われているようです。
南部氏は居城盛岡城に移すので、そのときに福岡城(九戸城)は廃城となったようです。
 毎度のことですが、
早朝だったので犬の散歩をしている方に挨拶をすると、遠方からで、しかも仕事前のブレザー姿の自分をみて物好きがいるもんだと変に関心されたようでした。
 城址若狭館が畑地(当時)で周囲は木が生えており見通しが効かず状態が分かり辛かった以外は全体的に歩きやすいです、
写真1枚目の角を入ると写真2枚目にポストがあるので、その中にあるパンフレット地図をみながら廻ると楽にまわれます。
 本丸二の丸石沢館は樹木も少なく広い公園のようになっていて見学しやすく、若狭館は畑地のままで周囲は木立があり全体像は分かり辛かったです(当時)。
 松の丸墓地神社ナドになっていますが、土塁の一部が残っています。



  ~~九戸政実の乱(天正19年)~~

豊臣秀吉は小田原合戦で北条家を潰して、奥州仕置きを為して 全国平定->戦国時代の終焉 と云われてます。
ところが翌年、奥州仕置に不満をもつ(改易された勢力など)が、奥州各地で一揆を起こします。

九戸城_本丸二の丸
その中で九戸正実は主家南部家の相続問題と、南部信直が豊臣になびいたこと良しとせず反乱を起こします(九戸正実の乱)。
豊臣秀吉は豊臣秀次を総大将とする二度目の奥州仕置軍を数手に分け進発させて、一揆を逐次平らげていきます。
最後に、終結した軍勢で九戸政実が籠もる九戸城を取り囲み降伏勧告の使者を送ると、九戸政実はそれを受け容れる。 ところが政実が城をでると・・・
豊臣方は和議を反故にし政実は処刑、開城したにも関わらず総攻撃を仕掛け撫で斬りにあい、あえなく落城してしまいました。
 ~~~~~~~~~~~~~

東北新幹線いわて銀河鉄道二戸」駅下車、東北東へ2.2km

駐車場:大手をはいったところに駐車できました。*要確認
トイレ:あり

近くには、南に一戸城。北北西に三戸城。北北東には八戸城根城

2012年5月20日日曜日

第1回 滝の城まつり (たきのじょうまつり:埼玉)

埼玉県所沢市城537
  滝の城まつり 会場から発信、
ナカナカ賑わっています。
取り敢えず携帯で写真だけアップしときます。


*2012/05/21追記
午前中に東所沢駅-滝の城 間の武者行列がありましたが、はわたしは午後からの見物です。

現地では、社殿前ではコンサートや和太鼓の演奏があったり、模擬店も出てイロイロと趣向こらしておりました。



まつりは武田vs北条の寸劇で〆 
その内容は、武田信玄武蔵侵攻を元に、小山田信茂北条方の滝の城を攻めるとゆう内容。もちろん北条さんも武田さんも居ましたよ。



わたくし、詳しいプログラムを知らなかったので二の丸で劇のはじまりを待っておりました、
 が!ナンカ・・・ 本丸のみで劇をする雰囲気が漂ってきました~

そこで、二の丸にいらしゃった武将の方に聞いてみたら本丸だけのお言葉!
 時、既に遅し!!



本丸はそこかしこに人がいて良いポジションを逃してしまいました~~
ですから写真はロクなのが撮れてません~~~

 とは言え、
なんとか見える隙間に喰い込み、劇は楽しくみさせていただきました。
第1回目にしてこの人出は主催者さん、出演者さん建ちの努力の賜物ですね。
 他所でも小田原の北條五代祭り寄居北條まつり小机城址まつり津久井城攻防戦の再現三増合戦まつり一夜城まつり山中城まつり忍城時代まつり、ナドがあり (他に漏れていたら御免)徳川将軍家のお膝元なのに、この北条人気は凄いですね。

わたしは甲冑武者の寸劇開始まで時間があったので、外郭を一周。
前から気になっていた、三の丸の外、東側の小山の下にある竹薮の中の平場が ただの開墾ナドによる削平地では無いように見えます(遺構かな?)。 あとは、ホテル裏の外堀跡(障子堀がでたところ)は何やら掘り返しをしているようですが如何なる工事か心配です。

滝の城 地図 (本丸のところ)
JR武蔵野線「東所沢」駅下車 東北東へ2.2km バスもあり(過去ブログに掲載)
この日は、メイン会場付近に車が近寄れないので、城址から下ったところに駐車場が用意されていました。

過去Blogリンク
1、滝の城 2011/11/20
2、滝の城 part2 現地説明会 2011/12/11

2012年5月19日土曜日

久能山城 ( くのうさんじょう:静岡 )

静岡県静岡市駿河区根古屋390(東照宮のところ)
駿府城からやってきました。

久能山にある東照宮の参道は1159段の九十九折れ階段を登っていきますが、途中909段のところに東照宮、一の門(大手門跡)があります。


そこから更に登っていくと、窪地(本丸)にある社務所にでます。

この社務所が建っている所は、両縁を土塁状に堀り残し郭(平坦地)を確保しているようにも見えます。

これは久能城本来の縄張りなのか? 東照宮造営又は改築ナドで削平したものか? 知りたいところです。
いずれにしても大きく改変されているのは間違ないと思われます??
一般で入れるのは東照宮社殿の一段上の廟所まで、その奥は神域となっているので愛宕郭ナドは立入り禁止となっています。

久能山東照宮URL: http://www.toshogu.or.jp/index.html
蛇足ながら、徳川家康ははじめ久能山東照宮に祀られ、日光東照宮が完成すると日光へ遷座。 その遷座道中の途中に御殿が建てられたのが静岡県御殿場市の由来です。

久能城 地図日本平から東照宮までロープウェイ利用
駐車場:お土産屋さんかイチゴ園の駐車場利用、土産ナドをそれなりに購入すれば無料。日本平側は未調査。
トイレ :あり

2012年5月18日金曜日

駿府城 (すんぷじょう:静岡)

静岡県静岡市葵区
 堀江城から駿府城にきました。

今川義元居城であったり、徳川家康大御所として政務を執った駿府城ですから歴史などはみなさんご存知ですね。
 現在城址は駿府公園となっております。
昨今では発掘調査に基づく復元整備も進み、往事の姿が戻りつつあります。
巽櫓東後御門復元本丸堀の一部が再現され、埋まっていた内堀二の丸堀をつなぐ水路復元されています。

本丸堀復元ナドは発掘された状態で表現されていて、むやみに石垣を積み上げないところに好感がもてます。
さて、クルマのルーフにボックスを積んでいるのでナカナカ駐車場がみつからず。
その分、見学時間が限られてしまうので駅近くの城址では毎回苦労してます、 泣

◎再建された天守模型城址模型あり。

次は、久能山東照宮がある久能山城へ向います。

駿府城 地図JR東海道新幹線・東海道線「静岡」駅下車 北北西へ800m 10分
静岡鉄道「新静岡」駅下車 北西へ500m
駐車場:あり。 ハイルーフ車+ルーフキャリア付は不可 近隣の民間パーキングも天井の低いところが多い。
トイレ :あり
近くには、東に久能城(久能山東照宮)。