2011年1月22日土曜日

小田原城外郭(おだわらじょうがいかく:神奈川)

神奈川県小田原市谷津・城山2~3・城内

昨年の佐倉に続き、小田原でオフ会がありました。
いです。


城下張出し堀、迫力の眺めです
隣の画像から登って折れた所
 戦国末期小田原城は西寄りの天神山尾根、北条時代の主郭がある八幡尾根、東寄りの谷津尾根3つの尾根が広がり、土塁城下全体を取り囲んで、総延長が9kmあまり! これは、豊臣 大阪城サイズらしい!?

北側から
 まずは小田原駅前で皆さんと合流し城下張出へ!
道路から折れるとすぐ城下張出直下の竪堀にでました。 ココの竪堀階段状に掘られています。

通常、竪堀斜面をまっすぐ下って堀切ることが多いのですが、小田原城の場合はがあるとゆうか?横に折れるとでもゆうか・・・ 



竪堀横堀の連続でできている感じです。
あぁ、ここでは実物を見てもらえないことがモドカシイ!


更にこの下は下り斜面が続きます。
その先の山ノ神台稲荷森の遺構も素晴らしく、特に三本の堀段違いに接続されている(竪堀にならない)小峯御鐘ノ台など興味深い遺構でした。

既に小田原城には何度も足を運んでいて 距離感などはあるのですが、なんでココにこのとこのがあるのか? と 不可解な部分がだいぶあった構造がかなり鮮明になってきた感があります。
小田原城の構造が幸いしてか、崩した土塁を埋め、その幅で畑になって長く続いているところが多いので歩いてみると全体像がつかみ易いです。 興味のある方はゼヒ徒歩で廻ってください。

最後に、歴史作家伊藤潤さん、地元研究会の方々,お城のエキスパートの方、案内していただきました皆さまに感謝いたします!

北条早雲公園を造る協議会HP (運動が実り八幡山古城の東曲輪の展望公園が誕生しました)

小田原城 地図城下張出
小田原城 地図 (小峰 御鐘ノ台付近)
JR東海道線・東海道新幹線小田急線「小田原」駅下車 
駐車場:惣構え(外郭)には駐車なし
トイレ :小峰の大堀切の近くに1箇所。あとは惣構えにはほとんど無いので注意!  また お店もありません。

近くには、西に石垣山一夜城。周囲には小田原合戦 豊臣方の各陣所。海岸にあった幕末の台場は消滅してしまいました。続きを読む

2011年1月11日火曜日

2011.1.2 一般参賀、江戸城 (えどじょう:東京)

東京都千代田区千代田1-1
一般参賀。
 年末になる度に 行こう、行こう、と気にとめながら重い腰があがらず でしたが、SNS友の天皇誕生日参賀日記をみて羨ましく思い。
 このままでは いつまで経っても行けな~い! と一発奮起! ←そこまで決断力が必要か?
ついに新年を祝いをしに皇居へ向い、宮殿前で日の丸を振って参りました。
まずは、1枚目写真の場所で手荷物チェック。 カメラバッグを持っていったので周りの人より時間が掛かります。
そこを無事通過、皇居正門伏見櫓を間近でみて感激なんですが、、写真を撮るために立止まらないでくださ~い! の連呼はいただけません。 (決して高圧的ではありません)。

このため前半はロクな写真が撮れてないです ↓
宮殿前から坂下門方面に下りはじめると、正面に富士見櫓が見えてきます。 
参賀が終わり人影がまばらになるまで待ってから出れば、あまり立止まるな!と言われなくなり ゆっくり撮影しながら歩けます。
 今回の一つの目的として、伏見櫓北側に普段見られない多聞櫓があるのですが樹木が生い茂り見えず。 それと、乾門を観察しようとしたら修築中で見られず こちらも残念でした。
今回で勝手が分かったので次の機会があれば しっかり撮る予定であります。
宮内庁URL:http://www.kunaicho.go.jp/







東京メトロ有楽町線「桜田門」駅下車 3番出口から北北東へ500m。 千代田線「二重橋前」下車 2・B6番出口から西北西へ700m。 (メトロ 大手町駅もOK)
JR東京」駅下車 西南西へ1.2km
(皇居正門まで距離の近い順)

駐車場:なし
トイレ :ありますが混雑で駅で済ませるのが無難

2010年12月31日金曜日

江戸城 外濠石垣 虎ノ門付近 (えどじょう:東京)

東京都港区霞ヶ関3-2 (外堀通り沿い)
虎ノ門辺りのは埋め立てられてますが、文部科学省建て替えの為に出土した石垣とその近くに残る石垣の角石(隅石)をみてきました。
①角石外堀石垣の名残り。


②角石文部科学省前の石垣ラインの中間にある石垣

「 文部科学省内に残る石垣は、江戸城を取り巻く外濠の一部で、寛永13年(1636)に江戸幕府が全国の大名を動員して築いたものです。今回、中央合同庁 舎7号館の建設にともなう発掘調査成果をもとに石垣を保存し、文部科学省構内ラウンジ前と地下鉄銀座線虎ノ門駅の新庁舎連絡通路内に発掘された石垣の全貌 が見える展示コーナーを設けました。」文部科学省のHPから
虎ノ門から東に伸びる石垣(これは新シ門に近いか?)もJRAビル(日本中央競馬会)建て替え時に出土。
その一部がJRAの手により世田谷区馬事公苑内に移設保存されています(写真は馬事公苑の石垣)。

*2020オリンピック(OLIMPIC)のため 全面改装をしているので入場不可。石垣が撤去されないコトを祈ります。
おおよそ位置関係






*2012/05/29追加
 ⑤日比谷セントラルビル移設石垣
⑥文化庁文部科学省の間にある石垣






虎ノ門付近の石垣 地図
東京メトロ 日比谷線・銀座線「虎ノ門」駅下車 徒歩0~3分
駐車場:周辺ビル駐車場利用
トイレ :  〃

近くには、北に牛込城、西に渋谷城、南西に白金長者屋敷、南に御殿山城

2010年12月10日金曜日

つづき。 世田谷城址公園 (せたがやじょうしこうえん:東京)

東京都世田谷区豪徳寺2-14-1
 前回に続き、世田谷城址公園(東京都指定文化財)内部です。 別名世田谷御所
城址公園舌状台地の最先端部にあたり、土塁とY字のが見所です!

周辺はすっかり宅地になってしまいましたが、
 豪徳寺を主郭跡とすると西と南は湧き水が噴出し低湿地(or田んぼ)が広がっていたようです。
城址を取りまく烏山川(暗渠)も小さな川ですが湧水が集まり渇水時期でもそれなりの水量があったと想像されます。
写っているのは近年の崩れ止め石垣で、城のイメージをつかむのには有効ですが、まったく色気がありません。 その世田谷城石材は江戸城築城のために持ち去られた と云われていますが、基本構造は土塁のはずですから、どれだけの石材が運ばれたのでしょうか ?
ともあれ、23区内にあって二重堀と土塁が確認できるだけで素晴らしいことだと思います。

世田谷城 地図 (世田谷城址公園) 公園の角は「世田谷城址公園」信号
小田急線豪徳寺」駅下車 南へ1km 13分
東急世田谷線 「宮の坂」駅下車 南東へ300m 5分。 「上町」駅下車 北東へ200m 4分
駐車場:なし 近隣のコインパーキング利用
トイレ :あり

世田谷城址公園外、住宅地の土塁 (せたがやじょう:東京)

東京都世田谷区豪徳寺2丁目 付近

きょうは世田谷城(豪徳寺)へ寄り道しました。

少し前に、住宅地の中に残る土塁に茂っていた木が伐られ、綺麗に整地されていて、もしや公園化か? と思いましたが、
整備工事がはじまる気配もなく放置状態となっていました。
もしかしたらマンションにでも化けてしまうのか? どうなるかちょっと心配でみに来ました

1枚目、世田谷城址公園背後に繋がる土塁豪徳寺山門から土塁まで見渡せるようになっています。
2枚目、1と同じ土塁の反対側、整備前後の比較。
3枚目、豪徳寺参道脇の土塁

世田谷城 地図 (豪徳寺)
小田急線豪徳寺」駅下車 南へ900m 11分
東急世田谷線上町」「宮の坂」駅下車 どちらも 400m位、5分
駐車場:なし コインパーキング利用
トイレ :世田谷城址公園にあり
近くには、北西に烏山城。北に赤堤塁。南には大場代官屋敷、もっと南に兎々呂城奥沢城。東に三宿城。南南西には瀬田城

追記:梅ヶ丘駅に行ったら新しい駅地図では ナント!
写真2,3のところが世田谷城址公園となっていました。 いよいよ公園域を拡張するのでしょうか?
いま暫らく様子を見ていきたいと思います。(2011/3/4)
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2010年11月30日火曜日

御殿山城 (ごてんやまじょう:東京)

東京都品川区北品川4丁目付近
 太田道灌江戸城を築くまで、御殿山(長禄年間)に居城を構えていました。
後に 後北条氏の家臣鈴木氏居城として使用され、江戸時代には将軍家鷹狩の休息場として御殿を造営しました。
場所は、JR山手線大崎駅品川駅の中間くらいにあり、西から南にかけて目黒川が流れ、東側JR東海道線の東側は江戸湾(東京湾)に囲まれた台地要害な地形であったと想像できます。
残念ながら、幕末台場造営のための土取り、旧国鉄(JR)東海道線の敷設のために削られ見る影もありません。
御殿山ガーデン(↑の撮影場所ではない)下には樹木の生い茂った遊歩道があり、なんとなくではありますが 当時の雰囲気を楽しめる遊歩道になっています。

御殿山城 地図 (おおよその場所)
JR京浜急行品川」駅下車 南へ900m 10分。
JR大崎」駅下車 北東1km 13分。 京浜急行北品川」駅下車 南西に400m 5分。
駐車場:なし
トイレ :不明
近くには、北北西に白金長者屋敷。南西に馬込城。 東北東にお台場。 北に高輪原古戦場が ありあます。 沢庵和尚賀茂真淵板垣退助のお墓。

2010年11月14日日曜日

赤堤塁 又は 赤堤砦(あかつつみるい・あかつつみとりで:東京)

東京都世田谷区赤堤2
赤堤は知らないこともない地ですがの存在は大人になってから知りました
吉良氏の、世田谷城支城として築かれ、戦国期には後北条氏の傘下に入りましたから後北条氏の手によって改修も無きにしも在らずか? 江戸時代には旗本 服部氏領地となり、善性寺の周辺に陣屋が構えられました。
赤堤とゆう地名で よく言われているのは関東ローム層(富士山の火山灰)の赤土でできたがあったとゆう解釈が一般的(赤い堤土塁)です。
自分なりの考えられるのは、
1 善性寺六所神社に比べ微高地になっており地理的有利。
2 六所神社勧請天正12年跡に建てた可能性も拭えない。
3 どちらでもなく他所にあった(だとすれば、平地にを廻らした単郭館のようなものか?)

発掘以前に宅地化の波がきてしまったのでの場所はハッキリせず。 一般的にはお寺か? 神社か? となっていますが、自分は3の別物も有りかな? とも思います。
いずれにしても北沢川に沿ったどこかなのは間違いないでしょうが、今は北沢川もまっすぐな暗渠となり元の地形を想像することすらできません。

善性寺 地図 比定地1
小田急線豪徳寺」駅下車 北北西へ 200m 4分 善性寺まで
六所神社 地図 比定地2
世田谷線松原」駅下車 南南東へ 200m 4分 六所神社まで
世田谷城(豪徳寺)から善性寺(比定地1)まで直線距離600m、さらに善性寺から六所神社(比定地2)まで更に直線距離で400m。
駐車場:なし
トイレ  :なし(六所神社のトイレは祭礼以外は閉鎖のようです)

近くには、南南西に世田谷城。東南東に三宿城 。北西には烏山城あり。 これらは全て世田谷城の支城
*読みは「あかつつみ」「あかづつみ」のそれぞれの発音をする方がいらっしゃいますが、おそらく「あかつつみ」であろうと思われます。