2020年2月19日水曜日

鹿児島の 鶴丸城 と私学校跡(つるまるじょう、しがっこうあと:鹿児島)

鹿児島県鹿児島市城山
■鶴丸城
再建前の御楼門跡

もうすぐ完成の御楼門附近の過去画像(2009)
鬼門除け石垣

こちらも過去画像になります。鬼門避けのため折れのある入隅の石垣となっています。
北御門跡

ここを渡ると黎明館です。
北御門の土橋から城山側

堀は城山の麓でおわる。
現在 空堀となっているが かつては水堀だったのだろうか?
黎明館案内板

本丸、二の丸と方形の曲輪が二つ並んでいて二の丸はに堀は無く一段低い。
本丸より一段高い城山側の曲輪

ココから上がると御池、茶室、民家があります。
ただし当時の茶室ではないようです。
御池

御池は遺構ではなく、一度取り破壊されて 後に再現されたようです。
聚珍宝庫跡

聚珍宝庫は25代島津重豪が外国の書物や標本ナドを納める蔵を建てたところ。
因みに、重豪は乱癖大名で有名、斉彬も血筋とゆこうとでしょうか?
天璋院像

たしか、
この像は大河ドラマ「天樟院 篤姫」の放映を期に建てられてと記憶してます。
本丸御殿の麒麟の間、庭園跡

植込み列は御殿の麒麟の間ナドの建物位置を表現しています。
写っている灯篭もこの辺りの池にあったようです。
御楼門・御隅櫓復元のための石材退避?

御楼門ナドの復元作業のための一時保管されているようです。
案内図(本丸)

本丸から駐車場まで平坦で旧状がわかりにくい。間に石垣や土塁が存在したのだろうか?
二の丸から本丸

二の丸の西側のこの辺りの石垣を見た目から判断すると、後世に積まれたもののようです。
本丸-二の丸間を仕切る堀があったところ

二の丸の県立図書館にも寄りたかったのですが時間に余裕が無く二の丸へは降りていません。



■城山(上山城)
天文館近くから城山

正面の鹿児島県立博物館は役所曲輪が存在したところ。写真右側の中央公園は造士館・演武館だったところ。
展望台から桜島

絶好の桜島ビューポイント!
クルマで登るのが手っ取り早いですが麓から歩いて当時の気分で歩いてみるのも良いかとおもいます。
ただし山の上は遺構の現存度は低いです。
城山案内板

上山城は元は上山氏の城で島津氏が鶴丸城を築く以前に存在しました。



■私学校跡
「城山入口」交差点から

写っていませんが左手は本丸角の鬼門除け隅入りの石垣のところ。右側は新納邸跡
私学校跡

石垣の弾痕が生々しい!
西南戦争のきっかけとなった私学校が存在した所。
西郷をもってしても戦は避けられなかった!
かつての御厩曲輪で現在は鹿児島県立医療センターになっています。

過去BlogLi nk:
2020/1/18 鹿児島の鶴丸城、御楼門 再建中
2020/2/7 鹿児島 鶴丸城内の博物館 黎明館

鶴丸城 地図(黎明館駐車場のところ)
JR新幹線、鹿児島本線、日豊本線「鹿児島中央」駅下車、
駐車場:あり(黎明館利用で無料)
トイレ:あり

近くには、北に夏蔭城。東北東に祇園洲砲台。東に新波止頭砲台、鹿児島旧港施設一丁台場。東南に大門口砲台。東南東に天保山台場がある。

2020年2月7日金曜日

鹿児島 鶴丸城内の博物館 黎明館(れいめいかん:鹿児島)

鹿児島県鹿児島市城山町7-2(黎明館住所)
■鹿児島県歴史資料センター 黎明館
黎明館駐車場から黎明館

鹿児島県歴史資料センター 黎明館の駐車場にレンタカーをとめると、そこはもう鶴丸城 本丸です。
舗装部分にはかつて本丸大奥がありました。全面舗装のため様子が良くわかりません。
二の丸は写真右手の一段下にあり現在は鹿児島県立図書館となっています。
入場するとタイムトンネルのように!

先ほど調べたら令和1年7月(2020)に一部をリニューアル
して半年未満だったので見学し易く綺麗でした。
鶴丸城模型(1/100)

この模型を見てから城内を歩くと参考になる!
鶴丸城模型の銘板

図のように鶴丸城は防御性はあまり重要視してなく館の様相。有事に背後の城山(上山城)には籠れます。
慶長5年(1600)関ヶ原敗退→徳川家康と講和交渉しながら慶長6年(1601)築城開始→慶長7年(1602)に講和成る!→慶長9年(1604)完成
あまり堀を大きく塀を高くすると敵心ありと疑われるからでしょうか?
志布志 内城 模型(1/100)

こちらの模型も けっこうデカい!
志布志市の埋蔵文化財センターにも志布志城跡復元模型があるそうです。
志布志城

志布志城は広範囲にあり新城、高城、松尾城、内城からなります。
行ってみたいが4城全ての城を歩いたら丸一日掛かりそう?!
外城の 出水武家屋敷

元々はこの南に出水城があったが一国一城令で廃城、地頭仮小屋が設置されて出水武家屋敷が今に残ります。
2F展示室

2Fは明治維新辺りの資料が多い。
御楼門模型(1/50)

現在再建中の御楼門模型、輿とレストラン、喫茶・ショップは1F受付の外にあり何時でも見学・利用できます。
大河ドラマで使用された輿

ドラマの中で篤姫が乗った輿。
そう云えば、
伊豆韮山代官の江川太郎左衛門邸に行ったときに今泉島津家として使われ篤姫の輿出立シーンは江川邸の門で撮影したと聞いたが、その時の輿でしょうかね~?
館内は1F~3Fまであり、3Fは時間が無くパスしてココを離れました。
黎明館で入場券購入のときに駐車カードに証明してもらえば駐車料金は無料

Link:鹿児島歴史資料センター黎明館 H・P

過去BlogLink:2020/1/18 鹿児島の鶴丸城 御楼門 再建中

鹿児島県歴史資料センター 黎明館 地図
黎明館駐車場への道 地図
市電 「市役所前」駅下車、西北西に6分(御楼門再建中なので北御門跡から入場)
駐車場:125台、博物館利用で無料
トイレ:あり

2020年1月31日金曜日

大隅国 加治木館(かじきやかた:鹿児島)

鹿児島県加治木市仮屋町
西方から加治木館

加治木城から南南西に直線1kmの所の市街地にあり、加治木高校が東の丸。小学校と資料館辺りが中の丸と西の丸のようです。
いま調べているが明確に分かりません。
加治木図書館・加治木資料館

このときは休館でしたが館内には加治木館の模型が展示されています。
石垣をココで継いでるが!?

この継目の右が小学校、左が資料館と図書館だが石垣の継目がある、これは西の丸を拡張した時のものだろうか? 後世の改変付けたしかは調べ中です。
ココは門跡のようである

小学校正門はすぐ右側にあり石垣は撤去されています。
小学校の案内板

案内図を参考にすればココは奥書院と御対面所の辺りか?
中の丸-東の丸の間

はじめ堀跡かと思いましたが堀底道状の通路だったのようです。
案内板の図から兵具所の建物が渡櫓門のように見えますが如何でしょう?
その兵具所の後方には黒門がありました。
新納屋敷 敷地の角から東の丸

仮屋馬場通りの先の落込みが東の端になります。
ココは古城正門跡に当たり、電柱で見えないですが右裏門の2つが開いていたようです。
東の丸 古城正門

右側の護国神社参道は後世に開かれたようです。
島津義弘薨去の地の碑

島津義弘はココで生涯を終えました。
護国神社入口にある案内板

古くは加治木氏が加治木城にいましたが島津氏との争いで没落。
シンプルな縄張なのに境界がハッキリしない

島津義弘は栗野城→帖佐城→平松城→慶長12年(1607)に加治木城へ入ろうとしたが徳川幕府との兼ね合いで諦め中の丸と東の丸からなる加治木館を新造し、義弘の死後に子である家久が西の丸を増築しました。
これは幕末の図なので当時は違っていたかもしれません。
塀の笠木か?

塀の上にのっていたのでしょう。
門前の信号の辺りから南側

コチラは南側(鹿児島湾側)の日豊本線に向かって下っていきます。
東、西、南の3方に向かって下っており北側は落差がないようです。



椋鳩十文学記念館駐車場

加治木館の周りに駐車場は見当たらないので椋鳩十文学記念館を観覧して駐車場に置かせてもらいました。





加治木郷土資料館 地図

加治木館 地図
JR 日豊本線「加治木」駅下車、西北西に徒歩8分
九州自動車道 加治木I・Cからクルマで2分
駐車場:なし
トイレ:なし

近くには、北北東に加治木城。東に。北西に蒲生麓、蒲生武家屋敷。

2020年1月23日木曜日

蒲生武家屋敷(かもうぶけやしき:鹿児島)

鹿児島県姶良市姶良郡蒲生町上久徳2308-1
正月休みで蒲生武家屋敷にやって参りました。

平安時代に蒲生に移り住んだ蒲生瞬清の代から蒲生を名乗ったようです。
その後に蒲生城を築いて統治していたが島津氏が拡大していく過程で没落していったようです。
島津氏の時代には御仮屋(郡役所)を置き蒲生城からココに集住させました。
蒲生観光交流センター

蒲生の歴史は古く伝馬の駅があったところ。
薩摩国府-大隅国府間の蒲生駅が置かれた要衝で日本後記に804年には蒲生駅の記述があります。
蒲生観光交流センター内

観光交流センターには駐車場、トイレは言うにお及ばず 土産ナド物産販売、蒲生の紹介コーナーがあります。

自分はココで蒲生の資料コピーを¥90也で買いました。
蒲生観光交流センター駐車場

駐車場の奥に古民家の井戸が見えています。これは飲めないらい!?
西馬場

冬休みでもあり武家屋敷の落ち着いた風情が良いですね~
屋敷門の中はカフェ!

西馬場の通りにある武家屋敷の中には「あいら スウィーツカフェ らびゅー」とゆうカフェがあります。
門には「庭ずい入っがないもんで(庭まで入れます)」と書かれています。
中へ入ってみました~
門をくぐり庭を見にいくと流行りの古民家カフェが!
この他にも何軒かカフェがあります。
御仮屋門正面

鹿児島県指定文化財
薩摩藩の蒲生の地頭仮屋である御仮屋敷(役所)の門が残っています。
御仮屋門裏側とイヌマキ(犬槙)

樹齢400年にもなろうかとゆうイヌマキと門は移ろう時代の証言者でもあります。
御仮屋門の案内板

材木は楠が使用されているそうです。
県道42号線から蒲生城

関ヶ原の戦いで、蒲生の地頭 阿多長寿院盛淳が配下を引き連れ島津義弘のもとに駆けつけ義弘は大いに喜んだが、敗戦で敵陣前を逃亡する時に義弘の身代わりとなったそうです。
武家屋敷の門

こんな門構えのお家がたくさん、
個人宅なので細かい撮影がし辛いところでもあります。
蒲生八幡神社

蒲生観光交流センター 駐車場の北側の蒲生神社境内には日本一の大きさと云われる蒲生の大楠があります。
また、写真右側の小学校のところにあった永興寺は廃仏毀釈で廃寺となっています。
鹿児島県は廃寺になった寺院が多いように見受けられますが廃仏毀釈の嵐が相当厳しかったものとおもわれます。

蒲生武家屋敷 観光交流センター 地図
蒲生武家屋敷 御仮屋敷門 地図
蒲生城 地図
JR 日豊本線「帖佐」駅下車、北西に9km
駐車場:あり
トイレ:あり

近くには、南に蒲生城、吉田松尾城。東南東に加治木館、加治木城。東南東に岩剣城がある。