鹿児島県姶良市姶良郡蒲生町上久徳2308-1
正月休みで蒲生武家屋敷にやって参りました。
平安時代に蒲生に移り住んだ蒲生瞬清の代から蒲生を名乗ったようです。
その後に蒲生城を築いて統治していたが島津氏が拡大していく過程で没落していったようです。
島津氏の時代には御仮屋(郡役所)を置き蒲生城からココに集住させました。
蒲生観光交流センター
蒲生の歴史は古く伝馬の駅があったところ。
薩摩国府-大隅国府間の蒲生駅が置かれた要衝で日本後記に804年には蒲生駅の記述があります。
蒲生観光交流センター内
観光交流センターには駐車場、トイレは言うにお及ばず 土産ナド物産販売、蒲生の紹介コーナーがあります。
自分はココで蒲生の資料コピーを¥90也で買いました。
蒲生観光交流センター駐車場
駐車場の奥に古民家の井戸が見えています。これは飲めないらい!?
西馬場
冬休みでもあり武家屋敷の落ち着いた風情が良いですね~
屋敷門の中はカフェ!
西馬場の通りにある武家屋敷の中には「あいら スウィーツカフェ らびゅー」とゆうカフェがあります。
門には「庭ずい入っがないもんで(庭まで入れます)」と書かれています。
中へ入ってみました~
門をくぐり庭を見にいくと流行りの古民家カフェが!
この他にも何軒かカフェがあります。
御仮屋門正面
鹿児島県指定文化財
薩摩藩の蒲生の地頭仮屋である御仮屋敷(役所)の門が残っています。
御仮屋門裏側とイヌマキ(犬槙)
樹齢400年にもなろうかとゆうイヌマキと門は移ろう時代の証言者でもあります。
御仮屋門の案内板
材木は楠が使用されているそうです。
県道42号線から蒲生城
関ヶ原の戦いで、蒲生の地頭 阿多長寿院盛淳が配下を引き連れ島津義弘のもとに駆けつけ義弘は大いに喜んだが、敗戦で敵陣前を逃亡する時に義弘の身代わりとなったそうです。
武家屋敷の門
こんな門構えのお家がたくさん、
個人宅なので細かい撮影がし辛いところでもあります。
蒲生八幡神社
蒲生観光交流センター 駐車場の北側の蒲生神社境内には日本一の大きさと云われる蒲生の大楠があります。
また、写真右側の小学校のところにあった永興寺は廃仏毀釈で廃寺となっています。
鹿児島県は廃寺になった寺院が多いように見受けられますが廃仏毀釈の嵐が相当厳しかったものとおもわれます。
蒲生武家屋敷 観光交流センター 地図
蒲生武家屋敷 御仮屋敷門 地図
蒲生城 地図
JR 日豊本線「帖佐」駅下車、北西に9km
駐車場:あり
トイレ:あり
近くには、南に蒲生城、吉田松尾城。東南東に加治木館、加治木城。東南東に岩剣城がある。
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