西方から加治木館
加治木城から南南西に直線1kmの所の市街地にあり、加治木高校が東の丸。小学校と資料館辺りが中の丸と西の丸のようです。
いま調べているが明確に分かりません。
加治木図書館・加治木資料館
このときは休館でしたが館内には加治木館の模型が展示されています。
石垣をココで継いでるが!?
この継目の右が小学校、左が資料館と図書館だが石垣の継目がある、これは西の丸を拡張した時のものだろうか? 後世の改変付けたしかは調べ中です。
ココは門跡のようである
小学校正門はすぐ右側にあり石垣は撤去されています。
小学校の案内板
案内図を参考にすればココは奥書院と御対面所の辺りか?
中の丸-東の丸の間
はじめ堀跡かと思いましたが堀底道状の通路だったのようです。
案内板の図から兵具所の建物が渡櫓門のように見えますが如何でしょう?
その兵具所の後方には黒門がありました。
新納屋敷 敷地の角から東の丸
仮屋馬場通りの先の落込みが東の端になります。
ココは古城正門跡に当たり、電柱で見えないですが右裏門の2つが開いていたようです。
東の丸 古城正門
右側の護国神社参道は後世に開かれたようです。
島津義弘薨去の地の碑
島津義弘はココで生涯を終えました。
護国神社入口にある案内板
古くは加治木氏が加治木城にいましたが島津氏との争いで没落。
シンプルな縄張なのに境界がハッキリしない
島津義弘は栗野城→帖佐城→平松城→慶長12年(1607)に加治木城へ入ろうとしたが徳川幕府との兼ね合いで諦め中の丸と東の丸からなる加治木館を新造し、義弘の死後に子である家久が西の丸を増築しました。
これは幕末の図なので当時は違っていたかもしれません。
塀の笠木か?
塀の上にのっていたのでしょう。
門前の信号の辺りから南側
コチラは南側(鹿児島湾側)の日豊本線に向かって下っていきます。
東、西、南の3方に向かって下っており北側は落差がないようです。
椋鳩十文学記念館駐車場
加治木館の周りに駐車場は見当たらないので椋鳩十文学記念館を観覧して駐車場に置かせてもらいました。
加治木郷土資料館 地図
加治木館 地図
JR 日豊本線「加治木」駅下車、西北西に徒歩8分
九州自動車道 加治木I・Cからクルマで2分
駐車場:なし
トイレ:なし
近くには、北北東に加治木城。東に。北西に蒲生麓、蒲生武家屋敷。
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