京都府京都市上京区五町目町
旧・二条城碑と案内板
花の御所から旧・二条城へ移動して参りました。
到着すると、暑かったのでしょう、外国の方がココに腰掛けていたので、撮影ポーズのボディアクションと声掛けをしたが場所を開けてくれなかったので右下にカバンが写っています。
旧・二条城図案内板より
室町幕府第15代将軍 足利義昭の為に造営した城館で。義昭を追放後は誠仁親王の御所となりました。
本能寺の変が起きると、織田信忠が入城。 誠仁親王を城外に避難させたあとに明智軍が攻撃を仕掛け落城。その後は廃城をなったようです。
宣教師ルイスフロイスが普請現場の織田信長を訪問すると「信長自ら陣頭指揮で働いていた」と記述したのが この旧・二条城ですね!
、
指呼の間に2つの碑がある
地下鉄 烏丸線の工事で旧・二条城の石垣が見つかり、現・二条城内にその一部が移設保存されております。
旧・二条城 地図 (案内板のところ)
◆斯波氏の武衛陣と第13代将軍 足利義輝邸
京都府京都市上京区五町目町152
武衛陣と足利義輝邸 碑
斯波氏は左兵衛督(中国風官職名は武衛)。そのため武衛陣と呼ばれていたが応仁の乱で焼失。
因みに、碑の南方に「武衛陣町」の町名が残っています。
武衛陣、足利義輝邸案内板から
応仁の乱から後、第13代将軍 足利義輝邸とし、室町幕府の政務を執ります。
ところが、
松永秀久の襲撃を受けると将軍義輝は自ら剣を取り戦いましたが命を落とします。
剣豪将軍と伝わる足利義輝は塚原卜伝の教えを受けたと云われておりまして、
昔、大河ドラマの中での義輝は名刀を多数畳に突き立てておいて、刀が切れなくなると次々と持ち変えながら敵を切っていくシーンが私の脳裏に鮮烈にインプットされているのでありました。
足利家の中で好きな将軍です。
武衛陣、足利義輝邸跡 地図(案内板のところ)
駐車場:なし
トイレ:なし
*画像追加May,2018
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