■福島太夫大段差
福島児童公園を目当にする
場所は京阪「丹波橋」駅から東に進むと(桓武天皇陵参道)JR奈良線の踏切を越えると、福島公園があり、その前に大段差があります。
福島正則屋敷地はL字に残っています
因みに住所は桃山福島太夫北町で、写真左のガードレール側は細川屋敷で町名は長岡越中東町(長岡藤孝)。 道一本上の町名は桃山町島津でした。
伏見城周辺は大名屋敷の地名だらけ!
事前に見た写真上では石垣が残っているように見えたが、やはり後世の石垣でした。
その内側は学校のようでプールから騒ぐ声が・・・
炎天下の自分は羨ましく聞きつつ御香宮へ向かうのでありました。
福島太夫大段差 MAP
京阪「丹波橋」駅下車、近鉄「近鉄丹波橋」駅下車、どちらからも丹波橋通り(桓武天皇陵参道)を東へ400m程
駐車場:なし
トイレ :なし(福島児童公園は無かったような・・・)
■御香宮神社
伏見城大手門 移築
立派な門ですが言われなければ、それと気付かないかな~!?
大手門部分
慶応4年(1868)鳥羽伏見の戦いでは薩摩藩が御香宮を陣所として伏見奉行所と対峙していたようですが戦火を免れたそうです。
拝殿、極彩色
御香宮は伏見城とは因縁が深く、伏見城築城の際に豊臣秀吉は城の鬼門を護るため北東に御香宮神社を遷座させました。
その後 慶長10年(1605)徳川家康により元のこの場所に戻されました。
銘水 御香水は本殿前脇に出ている
伏見といえば銘酒! これが呑めるのも良水のおかげですね。
伏見城石垣と伝わる石材
場所は駐車場の前。
小堀遠州所縁の庭
社務所に小堀遠州が作庭した材料を用いた枯山水があったので金200也を払い鑑賞してきました。 はじめ小堀遠州、→現在のの庭は近代に再作庭されているそうです。
御香宮門前の黒田節の案内板
コノ場所で、黒田家 家臣母里太兵衛が酒豪福島正則から槍「日本号」勝ちとったことの案内板。
次は、新撰組も屯所にした伏見奉行所→月桂冠大蔵記念館→寺田屋へ廻ります。
御香宮H・P
御香宮 MAP
京阪「伏見桃山」駅下車 、近鉄「桃山御陵前」下車、JR「桃山駅」下車 いずれも徒歩5分
駐車場:あり
トイレ :あり
福島児童公園を目当にする
場所は京阪「丹波橋」駅から東に進むと(桓武天皇陵参道)JR奈良線の踏切を越えると、福島公園があり、その前に大段差があります。
福島正則屋敷地はL字に残っています
因みに住所は桃山福島太夫北町で、写真左のガードレール側は細川屋敷で町名は長岡越中東町(長岡藤孝)。 道一本上の町名は桃山町島津でした。
伏見城周辺は大名屋敷の地名だらけ!
事前に見た写真上では石垣が残っているように見えたが、やはり後世の石垣でした。
その内側は学校のようでプールから騒ぐ声が・・・
炎天下の自分は羨ましく聞きつつ御香宮へ向かうのでありました。
福島太夫大段差 MAP
京阪「丹波橋」駅下車、近鉄「近鉄丹波橋」駅下車、どちらからも丹波橋通り(桓武天皇陵参道)を東へ400m程
駐車場:なし
トイレ :なし(福島児童公園は無かったような・・・)
■御香宮神社
伏見城大手門 移築
立派な門ですが言われなければ、それと気付かないかな~!?
大手門部分
慶応4年(1868)鳥羽伏見の戦いでは薩摩藩が御香宮を陣所として伏見奉行所と対峙していたようですが戦火を免れたそうです。
拝殿、極彩色
御香宮は伏見城とは因縁が深く、伏見城築城の際に豊臣秀吉は城の鬼門を護るため北東に御香宮神社を遷座させました。
その後 慶長10年(1605)徳川家康により元のこの場所に戻されました。
伏見といえば銘酒! これが呑めるのも良水のおかげですね。
伏見城石垣と伝わる石材
場所は駐車場の前。
小堀遠州所縁の庭
社務所に小堀遠州が作庭した材料を用いた枯山水があったので金200也を払い鑑賞してきました。 はじめ小堀遠州、→現在のの庭は近代に再作庭されているそうです。
御香宮門前の黒田節の案内板
コノ場所で、黒田家 家臣母里太兵衛が酒豪福島正則から槍「日本号」勝ちとったことの案内板。
次は、新撰組も屯所にした伏見奉行所→月桂冠大蔵記念館→寺田屋へ廻ります。
御香宮H・P
御香宮 MAP
京阪「伏見桃山」駅下車 、近鉄「桃山御陵前」下車、JR「桃山駅」下車 いずれも徒歩5分
駐車場:あり
トイレ :あり
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