犬甘城から林城を望む
こんどは林城です。
レンタサイクルで、松本城本丸の北側を通る堀端の道路(県道67号線)を西へ3.5km→「兎川寺」交差点を右折(県道297号線)して750m進む→薄川に架かる金華橋を渡る→すぐ左が登城口
徒歩の場合の登城口
登城口に駐輪して、林大城を抜け、そのまま大嵩崎(おおつき)集落に下り、そこから林小城まで登ってきました。
散策マップポスト
残念なことに開けたら中は空!?
小笠原氏は戦国時代に、本拠を井川城から防御性高い林城に移しました。
林大城、林小城、その間の谷に居館が存在したようで全体を含めた範囲が林城と呼ばれているようです。
馬蹄形の先端を閉ざせば天然塁に囲まれた堅城となるのですが、
岩鼻
登山道の北辺は薄川と岩鼻の岩礁で天然要害となっていたようです。
一ノ門跡
麓からの急登も馬の瀬状の登りとなっていき尾根上は小郭の連続となります。
階段状郭群
この様にかなりの数の郭が連なっています。
駐車場の郭の上段は2郭(東屋のところ)が見えます。
2郭から1郭を見る
1郭内部
片側のみにU字型に土塁あり。
姫の化粧の井戸
1郭の裏へ進み、帯郭のところから堀底状の道を下って行くと、井戸にでますが・・・
井戸ではなく他所の沢からの導水と想定されているようです。
姫の化粧の井戸案内板
案内板にある様にこれほどの距離の水道を引き回さなければならない場所に城を築くであろうか?
だとしても他に井戸が存在したのではないか? ナドとおもってしまいました。
最奥に近い堀
この辺りはは厳重そう!
最奥の方の二重堀
この尾根の先にも何かありそう?気になります。
真観寺跡
武田信玄の調略攻勢が激しかったのでしょうか?
埴原城が落城すると城を放棄し自落とゆう結末は悲しすぎです!
結果、 信玄は深志城を改修し林城は廃城となりました。
もっとも自落後に抵抗したお蔭で家名を保ち大名家として明治維新まで続いたので、もしココで討死あるいは武田家に臣従していれば滅亡していたかもしれません。
ココは流石とゆうべきか!?
次は林小城へ!
林大城 MAP (城址案内板と散策マップポストがあるところ)
JR 中央線、篠ノ井線「松本」駅下車、東へ4kmほど
駐車場:2郭の直下にあり(進入コースも徒歩と違うので要確認)
トイレ :なし
近くには、北に林大城、桐原城。東に水番城、山家城。西に深志城(松本城)、犬甘城。 南の埴原城。 ほかにも林城支城がある。
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