兵庫県洲本市
大手側 |
登り石垣 |
1582年、淡路に仙石秀久が入り石垣の城を築きはじめる。ところが久秀は九州攻めで失態を演じ蟄居させられた。
変わって脇坂安治が淡路を治め、水軍の城として拡張し、いまのような形態になったようです。その後、蜂須賀至鎮の家老の稲田氏が洲本城代となりました。
さて、城址ですが
三熊山(133m)を主要部分とし、麓の居館跡は今は庁舎や住宅ですが、淡路文化史料館・検察庁・家庭裁判所の前には堀と石垣が残っています、しかも堀であったと思われるところに足湯がありまして私は迷わず浸かりました。
城郭の本でこの模擬天守の写真を見せられつづけてきたので、私の中では他愛も無い城と位置付けておりました。
ところが! 本丸をはじめ各郭の見応えある石垣、西の丸・武者隠しの広い平場、日月池、登り石垣ありで高得点です。
残念なのは町からでも よく目立つ模擬天守(昭和3年築)、これがまったく色気の無いもので 城址を台無しに・・・
おそらく訪れたことの無い方は城そのもの低評価でしょう!?
南側は車道が通り、大手門跡上馬屋の駐車場のところにとめると、「本丸4分」と案内板がありますが、
現地案内図に載っていない西の丸や麓からの登山道途中にもチョクチョクと石垣&郭(平場)があるので、時間がある方は居館部の裏から徒歩でを登ってみてください。
洲本城 MAP
駐車場、麓(洲本八幡神社など)、山上の馬屋跡
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