何も痕跡がありません |
左前方あたりです。 |
長亨元年(1487)大井光忠が鍋の蓋の形をした鍋蓋城を築き、その子の大井光安の代には乙女城を築城しました。
武田氏の攻勢で落城、大井氏は滅亡しました。
小諸城は武田信玄の指示で山本勘助が築城したと伝えられていて、鍋蓋城(鍋蓋郭)と乙女城(二ノ丸)の2城を小諸城内に取り込んで築かれました。
場所は現存する小諸城大手門前公園から北へ40mほど、道路が本町交差点から鍋蓋城を貫き、周囲は石垣で囲まれていましたが後世に土取りをされ 現在では原型をとどめていない模様です。
鍋蓋城 地図
しなの鉄道「小諸」駅から西方250m程
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