2009年8月19日水曜日

小諸城 (こもろじょう:長野)

長野県小諸市丁314
三の門
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二の丸にしては狭いのでは?
鍋蓋城のところで書きましたが、長亨元年(1487)大井光忠鍋蓋城(大手門の西側)を、その子 大井光安の代には乙女城(現、二の丸付近)を築きました。大井氏は滅亡後は武田氏の物となり、武田信玄の命で山本勘助の縄張りでこの2城を取り込んで小諸城を築城したと伝えられていてます。
本能寺の変が起こると北条氏が占領しましたが、豊臣政権下で仙石秀久が改修して現在の形になりました。

城内地城下町より下方にあるため穴城と呼ばれ全国でも珍しい構造になっています。

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懐古園内図

小諸城は好きな城址の一つ 前回、訪れたのは?0年前、あの頃は長野新幹線も無く急行電車できたなぁ~、
ココに立つとあの頃のように島崎藤村の「小諸なる古城のほとり・・・」
 の一節が頭をよぎります。
当時は入園料の徴収は無く、大手門は閉ざされていて住宅街にひっそりと埋もれていました。

小諸城 地図
小海線、しなの鉄道「小諸」駅下車すぐ。 駅の南側が三の門です。

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