2023年9月27日水曜日

水戸城の南 武熊城(たけくまじょう:茨城)

茨城県水戸市柳町2-5
武熊城

水戸城のすぐ南の桜川畔に存在した武熊城に来ました。
武熊城吉田城と共に水戸城の支城と云われています。
角地にある碑

場所は武隈市民センターを目指すと、そこに城址碑があります。この辺りが城の中心であろうと思ったがココは城の西端になるようです。
武熊城跡碑

碑文 
「かつてこの地には東西約550m 南北440mにわたり武熊城が存在した 吉田の豪族 石川望幹が築城したと伝えられ その後 江戸氏の支配を経て天正18年(1590)佐竹氏が水戸城を攻略し城主となるに及んで、一族の東義久の居城となった。佐竹氏移封後 武熊城 慶安4年(1652)柳堤築造の時採土されて城跡はなくなった」

採土されたとはいえ 下に載せた図では武熊城中心部は媺高地の痕跡がみえます。
水戸城、武熊城、吉田城、大鋸町遺跡

当時の千波湖はもっと大きく武熊城の辺りには湖沼、湿地が広がっていたと想像します。

徳川の時代に開発され侍屋敷になっていたようです。

JR常磐線「水戸」駅下車、東南東に徒歩19分。
駐車場:なし
トイレ:なし

近くには、北西に水戸城。南に吉田城大鋸町遺跡。北東に武田氏館。西に河和田城

2023年9月25日月曜日

水戸市の 吉田城(よしだじょう:茨城)

茨城県水戸市元吉田2723(常照寺)
吉田城

手前の常照寺から奥の蓮乗寺辺りまでが吉田城です。
大掾氏(吉田氏)江戸氏→佐竹氏配下の氏→徳川水戸家徳川光圀によって主郭常照寺建立される。
常照寺

山門後方の両側の左右は郭跡のようです、奥の石段は利用にみえます。
左方は参拝者用🅿️駐車場
城址碑

門前が建っています。
案内板は無く碑の側面に刻まれている。
山門内側の階段脇
 
山門から階段を上り脇を見ると土塁っぽい?箇所が幾つか見受けられます。
階段を上りきると両脇に堀が!

垣根で見えないですが垣根の両側にが存在するのでココは土橋で写真の門の辺りに城門が存在したと思われます。
この土橋を越えると内側主郭です。
上の写真の垣根裏の堀

樹木で判り辛いですがソコソコの深さがあります。
主郭(常照寺本堂)

主郭へ入ると中は平坦です。
常照寺がそのまま土地利用したのか? 造成したのか? は分かりませんが、主郭周りを見ると全体的には平坦であった気がします。
常照寺本堂裏の堀(着色)

常照寺から蓮乗寺に向かって行くと、コチラの本堂裏にもがあります。
かつては門前の堀から繋がっていたようです。
主郭裏の堀を越えたところ

ココから蓮乗寺墓地まで平坦で、1段下に蓮乗寺本堂がある。
蓮乗院駐車場から

かつては鉄道の駅があり、右手の谷筋に古道が通っていたそうです。
吉田城想像図

※ H19年の発掘で、
吉田城の西隣の台地(元吉田町)に二重に連なる中世の堀が見つかっており東西210m 南北360mの城館が発見されています。吉田城と同規模で出土物も同時代のもの(大鋸町遺跡:おがまちいせき)。
常照寺・蓮乗院の下に古道が通っておりり、大鋸町遺跡と吉田城の両所から古道を睨む形態であるとの見解が出されているようです。
今後の発表が待たれます。
カシミール3Dに加筆
水戸城、武熊城、吉田城、大鋸町遺跡


JR 常磐線、水郡線、「水戸」駅下車、南東へ徒歩30分
駐車場:参拝者用あり(常照寺、蓮乗院ともに)
トイレ:不明

近くには、西に車丹波遺恨の地。北に武熊城。西北西に水戸城。北東に武田氏館。西北西に見川城河和田城。南西に平戸館がある。

2023年9月5日火曜日

土浦市の 高井城(たかいじょう:茨城)

茨城県土浦市上高津3317
「上高津」交差点

国道6号線(土浦バイパス)と県道123号線が交わる「上高津交差点のところの八坂神社高井城跡です。
写真左方も城域ですが削られてしまいました。
高井城

1枚目の写真からバイパス下の通路を抜けたところ。
城跡表示板

城址石碑は無く写真左側の表示板のみ。
南北朝時代の築城で興国4年(1341)に高師師冬が攻めたと記録にあるのみで、その後の資料はないようです。
八坂神社 社殿裏

土塁状の高まりあり。
webをみると高さ1mに満たない土塁が残されていると書かれているがこの辺りか?!
土塁??の上に宝篋印塔

土塁の残欠らしき上には宝篋印塔が建つ。
高井城より筑波山

城の範囲はココから下高津小学校の辺りまでが城域と思われています。
主要部は開発で損なわれていて残存部の八坂神社に登っても残存度は低いです。


web MAPで駐車できそうなところを探ったが無理そうなので近くのイオンモール土浦にとめ 買物をしてから400mほど歩いて行きました。

JR常磐線「土浦」駅下車、西へ徒歩35分
駐車場:なし
トイレ:なし

近くには、北東に土浦城木田余城がある。

2023年8月28日月曜日

土浦市の 木田余城(きだまりじょう:茨城)

茨城県土浦市木田余1211-4
木田余城

JR常磐線が城址の中心部を貫いています。
 しかも車両センターの中に城址碑があるので見るコトが出来ません(案内板は道路際にある)。
このJRに申込んだら見られるのでしょうか??

案内板の正面

コチラも推定城域ですが一面の蓮田になっている。
案内版

小田氏の家臣信田伊勢守であるが主家不仲となり菅谷氏(土浦城)によって誅殺された。

小田城を奪われた小田氏治土浦城やこの木田余城ナドを一時拠点として活動しました。
案内板拡大

航空写真(1979年)を見ると車両基地は無く、城址碑のところは耕作地のようです。
第一浅間下踏切

城址案内板から200mほど北寄りの踏切を渡ったところ!
線路は盛土らしいので道路も同様にスロープにされたかと思います。
踏切手前の蓮田は堀跡か?

web検索すると堀跡と紹介されており、確かに案内板地図の道路と照らし合わせるとそこにが存在しても良さそうです。

近くに旧城主 信田氏の供養塔があるようですが今回は寄れませんでした。


JR 常磐線「土浦」駅下車、北北東に徒歩23分(案内板)

駐車場:なし 案内板撮影だけなら路駐できる。
トイレ:なし

近くには、北東に土浦城移築門。南西に土浦城がある。

2023年8月21日月曜日

土浦城 ②外まわり(つちうらじょう ②そとまわり:茨城)

茨城県土浦市
搦手門跡
茨城県土浦市中央1-12
搦手門跡

現在は埋められ更地だが、かつてのはに囲まれた外枡形になっていたようである(左手が内側)。
搦手門跡の碑

他所では城址碑案内版は本来の場所からズレて設置された所が良く見られるが、土浦城の場合はおおよそ合っているようである。







大手門
茨城県土浦市中央1-10
大手門跡

大手門跡は土浦小学校の南端にあたり縄張図を見ると大手は枡形を形成していました。
大手門碑・案内板

枡形で90度折れる構造であったのでこの辺りには土塁が廻っていたかと思います。
大手門碑から城外方向

正確な位置は分かりませんが、正面道路が大手土橋跡と思われ、道はこの辺りで鉤の手に折れていたようです。




西曲輪
茨城県土浦市大手町13付近
小学校を含む周辺が西曲輪

土浦小学校の塀は城郭風
博物館第2駐車場から郁文館正門へ向かう

手前は西曲輪に当たると思われます。
この辺りに西曲輪の堀が廻っていたようです。




藩校 郁文館 正門
茨城県土浦市文京町3-1
郁文館門正門

郁文館師範学校ナドを経て土浦第一中学校となっています。
正門の部分

昭和46年(1971)に解体修理が施されています。

案内板

1廃城後郁文館は利用されていたようですが昭和10年(1935)に解体され正門のみが残りました。




神龍寺
茨城県土浦市文京町1-7
神龍寺

菅谷氏の菩提寺
三の丸は埋められ寺域は拡張しているようです。

菅谷氏は西国赤松円心の流れを汲むようである。

西門
茨城県土浦市中央1-15-33
郁文館正門の辺りから西門跡

郁文館正門を過ぎると右に神龍寺、その先に西門跡があります。
西門跡

西門の外にはかつては丸馬出があった。
西門の跡石碑

目立たない所に西門の跡碑がある。





土浦城 移築高麗門
土浦市木田余3140付近
移築門

木田余城から1kmほど、
土浦市内JA水郷つくば の販売所「サンフレッシュはすの里」の裏手に高麗門が移築されている。
家の方がいらっしゃれば声をかけて撮らせていただきたいところですが、サッと写真だけ撮ってきました。




まだまだ見落とした所がありそうなので時間を見付けてまた来たいとおもいます。


JR常磐線「土浦」駅下車、
駐輪場:あり
トイレ:あり

近くには、南南西に木田余城。南西に土浦城がある。

2023年7月31日月曜日

土浦城 ①中心部(つちうらじょう ①ちゅうしんぶ:茨城)

茨城県土浦市中央1-15 (博物館第1Pのところ)
博物館脇から

土浦市立博物館令和6年1月まで大規模改修のため第1駐車場と共に利用出来ません。そのため東櫓を公開しているようです。

※クルマは第二駐車場へ!
博物館脇から本丸西櫓

このは後世に架けられたのモノで、は改変されています。
本丸側から振り返る

この先の博物館角の辺りは三の丸
本丸内から西櫓

元和6~7年(1620〜1621)の建築。
コノ西櫓昭和24年の台風で小破し、解体保存した部材を使い復旧
本丸土塁から内側

本丸は野球が出来そうな広さ。
霞門外から

霞門外枡形を形成、本丸進入路は太鼓門とコノ霞門の2ヶ所。
※博物館側は後世のもの
霞門

は旧来のモノです。
連なる東櫓復興のようです。
霞門部分

木材の継ナド年代を感じます。
東櫓

再興された東櫓
東櫓内部

現在、特別公開中
立派な建築です。

西櫓の鯱

博物館側にある西櫓にあがっていた
東櫓展示

瓦葺き、壁構造木組み模型ナドが飾られています。
東櫓2階窓から

の向こうはが建っていました。
二の丸土塁でへだてられていたが、のスペースは二の丸に内包されるようです。
太鼓門

再建される前は土浦城と云えばこの太鼓門でした!

太鼓門前から前川口門

太鼓門外は二の丸
見えている本丸二之門(前川口門)の間はのスペース。
二之門跡(移築 前川口門)

土塁の手前は
撮影者後方は外丸
堀跡と思われる所


右は外丸
二の丸西側

現在は直線に改変されていますが横矢をかけるため土塁には折れがありました。
この他 随所に折れが存在したようです。
太鼓門前の案内板より

かつては霞ヶ浦に面した水城の様相であったと想像できます。







JR 常磐線「土浦」駅下車
駐車場:あり
トイレ:あり

近くには、西に高井城。東北東に木田余城。北東に土浦城移築がある。