東京都台東区上野公園13-9
御即位記念 特別展 ー正倉院の世界一(10/11~11/21)
正倉院御物が上野国立博物館にやって来たました!
ひどい台風の直後で躊躇しましたが先伸ばしすると機会を逸してしまいそうなので行ってきました。
この日は初日で朝から500人も並んだ模様です。
館内はほぼ撮影禁止🙅なので、撮影OK🙆コーナーの写真だけアップします。
模造 螺鈿紫檀阮威 明治32年(1899)
東大寺献物帳は天皇御爾がバンバン押印されており大切に宝物が管理されていたコトが分かります。
他にも螺鈿紫檀五絃琵琶、平螺鈿背八角鏡、黄熟香(蘭奢待)、海磯鏡ナド多数の展示があり!
模造 螺鈿紫檀五絃琵琶 明治32年(1899)
写真は撮影OKコーナーの明治時代の模造品ですが、
本物の五絃琵琶と同じブースには2019年3月に完成した五絃琵琶が飾ってあります。
新造の五絃琵琶は制作技術が解明され精巧に復元されています。近くの本物を見てから新模造を見比べて見ることができるのでゼヒ会場へ!
模造 五絃琵琶胴部分
新模造が精巧と云いつつも初代模造の技術も見応えがあります。
正倉は原寸模型!
現地では近寄れないので正倉の雰囲気は実感できます。
館内数ヶ所にモニター設置
このほか黄熟香(蘭奢待)もあり、足利義政、織田信長、明治天皇の切取り跡を確認でき戦国ファンは必見!
*蘭奢待には 蘭=東、奢=大、待=寺 で東大寺の文字が隠されているそうです。
本館1F 特別展示室4、5
帰りに本館1Fの特別室4、5の「文化財よ、永遠に」にも寄ってきました。
コチラは修復された仏像ナドが過程展示され修復内容も表示されています。
*奈良国立博物館でも「御即位記念 第71回 正倉院展(10/26~11/14)」が開催されます。
国立博物館 地図
JR 東北新幹線、山手線、京浜東北線、常磐線ほか「上野」駅下車、北北西に徒歩5分
駐車場:周辺のPへ
トイレ:あり
城郭ページ! 関東の後北条系の城メインで、 範囲は古代山城から近世城郭まで! その他、遺跡、寺院、伝統芸能、ナドも・・・ *過去Blogは「県名」「石垣」「古墳」ナド ラベルのキーワードで検索してください。
2019年10月18日金曜日
2019年9月28日土曜日
井出沢城 と 井出の沢古戦場(いでのさわじょう、いでのさわこせんじょう:東京)
東京都町田市本町田802(菅原神社のところ)
菅原神社
鎌倉街道の「菅原神社」交差点すぐに菅原神社があります。その付近が古戦場で、井出沢城(城跡と思われる)になります。
参道から外の鎌倉街道
中先代の乱で鎌倉から出張った足利直義の本陣と云われており北条時行軍は正面から(北から鎌倉方向)コチラに向かって攻め寄せたと思われます!?
参道
御神水は左方。
奥の石段を上がると社殿。
御神水
鎌倉街道を行き交う旅人が喉を潤した名水は鎌倉時代には知られていたようです。
そのため井手の沢の地名があるようです。
石段を登ったところから社殿
果たして神社が足利直義の本陣だろうか?
菅原神社は後になってから建てられ合戦の頃は存在していませんでした。
碑がある所は公園になっている
神社にお参りしてから隣の古戦場石碑へ向かう!
神社隣接地
古戦場の案内板と石碑があります。
タイトルに井手の沢城とは書いたものの城の所在は未確定で石碑や案内板はありません。
案内板と石碑
城址は鎌倉街道を監視出来る位置なのでココも有りかと思います。
候補は他におやしき公園?ナドがあります。
井手の沢古戦場石碑の裏側の銘文
昭和30年代の碑文
中先代の乱:建武2年(1335)鎌倉幕府滅亡→諏訪頼重が北条高塒の次男 時行を担いで信濃で挙兵→小笠原氏破る→武蔵 女影原で時行方勝利→小手指原で時行方勝利→井手の沢で足利直義を時行方が破る→足利直義鎌倉から逃亡→北条時行が鎌倉を二十日ほど占拠→足利尊氏・直義 兄弟が鎌倉に迫り合戦に及び北条時行敗北
井出の沢古戦場 地図 古戦場石碑のところ
JR 横浜線・小田急電鉄「町田」駅下車、北に徒歩25分
小田急電鉄「玉川学園」駅下車、西南西に徒歩25分
駐車場:参拝者用Pあり
トイレ:あり(案内板前)
近くには、南東に成瀬城。北東に沢山城。
菅原神社
鎌倉街道の「菅原神社」交差点すぐに菅原神社があります。その付近が古戦場で、井出沢城(城跡と思われる)になります。
参道から外の鎌倉街道
中先代の乱で鎌倉から出張った足利直義の本陣と云われており北条時行軍は正面から(北から鎌倉方向)コチラに向かって攻め寄せたと思われます!?
参道
御神水は左方。
奥の石段を上がると社殿。
御神水
鎌倉街道を行き交う旅人が喉を潤した名水は鎌倉時代には知られていたようです。
そのため井手の沢の地名があるようです。
石段を登ったところから社殿
果たして神社が足利直義の本陣だろうか?
菅原神社は後になってから建てられ合戦の頃は存在していませんでした。
碑がある所は公園になっている
神社にお参りしてから隣の古戦場石碑へ向かう!
神社隣接地
古戦場の案内板と石碑があります。
タイトルに井手の沢城とは書いたものの城の所在は未確定で石碑や案内板はありません。
案内板と石碑
城址は鎌倉街道を監視出来る位置なのでココも有りかと思います。
候補は他におやしき公園?ナドがあります。
井手の沢古戦場石碑の裏側の銘文
昭和30年代の碑文
中先代の乱:建武2年(1335)鎌倉幕府滅亡→諏訪頼重が北条高塒の次男 時行を担いで信濃で挙兵→小笠原氏破る→武蔵 女影原で時行方勝利→小手指原で時行方勝利→井手の沢で足利直義を時行方が破る→足利直義鎌倉から逃亡→北条時行が鎌倉を二十日ほど占拠→足利尊氏・直義 兄弟が鎌倉に迫り合戦に及び北条時行敗北
井出の沢古戦場 地図 古戦場石碑のところ
JR 横浜線・小田急電鉄「町田」駅下車、北に徒歩25分
小田急電鉄「玉川学園」駅下車、西南西に徒歩25分
駐車場:参拝者用Pあり
トイレ:あり(案内板前)
近くには、南東に成瀬城。北東に沢山城。
2019年9月12日木曜日
二宮尊徳が改革を施行した 桜川陣屋(さくらがわじんや:栃木)
栃木県真岡市物井2012-3(資料館のところ)
駐車場入口
県道47号線沿いの陣屋の入口から駐車場を撮影。
陣屋案内板
陣屋の案内は各所でシッカリしています。
背後は土塁。
案内板から
小田原藩 大久保家の分家である宇津家の立て直しのため二宮尊徳(金次郎)が抜擢!
案内板から図
*注 GoogleMap上では駐車場と反対側が「桜町陣屋史跡公園駐車場」と誤記あり。(2019/9/12日 現在)。
陣屋建物(現存)
文政6年(1823)に二宮尊徳が着任した当時に建てられ、昭和7年(1932)に国指定文化財となった建物。
当然手直しが入っています。
八幡宮跡
現在は隣接の桜町二宮神社となっています。
復元土塁から復元田圃
発掘調査に基づき土塁や報徳田(田圃)が復元されています。
長屋跡
この他にも文庫跡や建物跡もあります。
用水
堀とゆうよりは水路の様相。これを使って陣屋内の田圃や池に水を引いたのであろうか?
真岡陣屋や東郷陣屋ナドを幾つか廻ってみると、二宮尊徳が関係した地域は河川や用水がシッカリ整備されている気がします。
桜町二宮神社
参道右側の立木の所は土塁痕のように見えるが単なる土止めかな?
二宮神社 社殿
にこの地域に功労があった二宮尊徳と陣屋内の祠を合祀してこの場所に建てられたようです。
桜町陣屋 MAP(駐車場のところ)
■二宮尊徳資料館
二宮尊徳資料館
資料館前に指図をする尊徳像あり。
桜町二宮神社の参道脇にあり駐車場は数台分あります。
館内の二宮尊徳像
この像はナント 等身大!!
当時としては180cmオーバーと立派な体躯であったようです。
尊徳への地元愛が感じられます。
館内撮影NGだが入口近くのこの像は撮影OKとのことでした。
Link:真岡市 二宮尊徳資料館H・P
二宮尊徳資料館 MAP
真岡鉄道「寺内」駅下車、東へ徒歩50分
駐車場:あり
トイレ:あり(桜町史跡公園、資料館前)
近くには、
駐車場入口
県道47号線沿いの陣屋の入口から駐車場を撮影。
陣屋案内板
陣屋の案内は各所でシッカリしています。
背後は土塁。
案内板から
小田原藩 大久保家の分家である宇津家の立て直しのため二宮尊徳(金次郎)が抜擢!
案内板から図
*注 GoogleMap上では駐車場と反対側が「桜町陣屋史跡公園駐車場」と誤記あり。(2019/9/12日 現在)。
陣屋建物(現存)
文政6年(1823)に二宮尊徳が着任した当時に建てられ、昭和7年(1932)に国指定文化財となった建物。
当然手直しが入っています。
八幡宮跡
現在は隣接の桜町二宮神社となっています。
復元土塁から復元田圃
発掘調査に基づき土塁や報徳田(田圃)が復元されています。
長屋跡
この他にも文庫跡や建物跡もあります。
用水
堀とゆうよりは水路の様相。これを使って陣屋内の田圃や池に水を引いたのであろうか?
真岡陣屋や東郷陣屋ナドを幾つか廻ってみると、二宮尊徳が関係した地域は河川や用水がシッカリ整備されている気がします。
桜町二宮神社
参道右側の立木の所は土塁痕のように見えるが単なる土止めかな?
二宮神社 社殿
にこの地域に功労があった二宮尊徳と陣屋内の祠を合祀してこの場所に建てられたようです。
桜町陣屋 MAP(駐車場のところ)
■二宮尊徳資料館
二宮尊徳資料館
資料館前に指図をする尊徳像あり。
桜町二宮神社の参道脇にあり駐車場は数台分あります。
館内の二宮尊徳像
この像はナント 等身大!!
当時としては180cmオーバーと立派な体躯であったようです。
尊徳への地元愛が感じられます。
館内撮影NGだが入口近くのこの像は撮影OKとのことでした。
Link:真岡市 二宮尊徳資料館H・P
二宮尊徳資料館 MAP
真岡鉄道「寺内」駅下車、東へ徒歩50分
駐車場:あり
トイレ:あり(桜町史跡公園、資料館前)
近くには、
ラベル:
09栃木,
陣屋,
土塁,
博物館・美術館・資料館,
堀
2019年8月24日土曜日
真岡城 と 真岡陣屋(もおかじょう、もおかじんや:栃木)
■真岡城(芳賀城)
真岡市台町4172-1(駐車場がある行屋川水辺公園のところ)
行屋川から城址
橋の向う側の県道47号線は堀跡。
幾度となく通ったところですが城址に寄ったのは初めてです。
高札場
橋の袂にある高札場。
城下の数か所にこの様な高札場が設けられていました。
三の丸から堀らしき道路と陣屋跡をみる
行屋川水辺公園から校庭のところまで登れますが学校にカメラを向けるのは憚られるので撮影せず そのまま外側を廻って行くと陣屋の方に出られました。
小学校正門前の道路は堀跡では?
上の写真の道路を登った先は この様に下って行く
どちらの道路も竪堀の雰囲気があるのですが・・・
学校正前に案内板あり
本丸、二の丸、三の丸の間に堀が存在したが埋め立てられ真岡小学校となっています。
案内板によると、
後北条氏の北関東侵攻により芳賀氏は居城を平地の御前城から真岡城へ移しましたとみられています。
案内板の図を拡大
陣屋部分も何かしらの曲輪跡であると推察します。
小学校の北西側にも遺構があるようだが今回は廻っていません。次の機会があったら見に行こうとおもいます。
過去Blog:2018/6/20 真岡市にある芳賀氏の御前城
■真岡陣屋
真岡市台町4202-4
真岡陣屋跡
行屋川水辺公園 駐車場の他に陣屋跡である城山公園にも駐車場があります。
陣屋には
陣屋面積は充分!
当時から このように完全な平坦であったであろうか?
陣屋案内板
火災後に二宮尊徳も再建に関わったと書かれているので、関係する東郷陣屋のLinkも貼っておきます。
過去Blog:2018/6/22 真岡市の東郷陣屋
真岡城 MAP
真岡陣屋 MAP
真岡鐵道「真岡」駅下車、北北東へ徒歩8分
駐車場:あり
トイレ:あり
近くには、
真岡市台町4172-1(駐車場がある行屋川水辺公園のところ)
行屋川から城址
橋の向う側の県道47号線は堀跡。
幾度となく通ったところですが城址に寄ったのは初めてです。
高札場
橋の袂にある高札場。
城下の数か所にこの様な高札場が設けられていました。
三の丸から堀らしき道路と陣屋跡をみる
行屋川水辺公園から校庭のところまで登れますが学校にカメラを向けるのは憚られるので撮影せず そのまま外側を廻って行くと陣屋の方に出られました。
小学校正門前の道路は堀跡では?
上の写真の道路を登った先は この様に下って行く
どちらの道路も竪堀の雰囲気があるのですが・・・
学校正前に案内板あり
本丸、二の丸、三の丸の間に堀が存在したが埋め立てられ真岡小学校となっています。
案内板によると、
後北条氏の北関東侵攻により芳賀氏は居城を平地の御前城から真岡城へ移しましたとみられています。
案内板の図を拡大
陣屋部分も何かしらの曲輪跡であると推察します。
小学校の北西側にも遺構があるようだが今回は廻っていません。次の機会があったら見に行こうとおもいます。
過去Blog:2018/6/20 真岡市にある芳賀氏の御前城
■真岡陣屋
真岡市台町4202-4
真岡陣屋跡
行屋川水辺公園 駐車場の他に陣屋跡である城山公園にも駐車場があります。
陣屋には
陣屋面積は充分!
当時から このように完全な平坦であったであろうか?
陣屋案内板
火災後に二宮尊徳も再建に関わったと書かれているので、関係する東郷陣屋のLinkも貼っておきます。
過去Blog:2018/6/22 真岡市の東郷陣屋
真岡城 MAP
真岡陣屋 MAP
真岡鐵道「真岡」駅下車、北北東へ徒歩8分
駐車場:あり
トイレ:あり
近くには、
2019年8月14日水曜日
真岡の 八木岡城(やぎおかじょう:栃木)
栃木県真岡市八木岡321
八木岡城
真岡鉄道「寺内」駅と八木岡城の中間辺りから撮影。
北関東道と水処理センターがあるのですぐに発見できます。
案内板はココ!
城の北西になります。明確な駐車場は無いが路駐は可能。
八木岡城案内板
五行川は八木岡城の向こう側(東)を流れています。
石碑
案内板のとおり 芳賀氏の一族の八木岡氏の城で、水谷政村(蟠龍斎)により落城→廃城となりました。
旧・五行川はこんな感じ
現地を歩いても縄張りが良く分らなかったので昭和22年(1947)の航空写真を基に図を書いてみました。
現在の道路は城址を無視して通っており 土地改良+河川改修で地形も大きく削られ城域は縮小しているように感じます。
二重土塁部分
内部には堀・土塁・削平地があります!
城の南端
当時は すぐ下の田の辺りに五行川が蛇行しており、城の立地も微高地なので周囲の湿地で守られていたと思われます。
上の南端の写真の所を外側から
このすぐ右側に五行川が流れていたと推察! 昭和の航空写真では確認がとれたが戦国時代はどの様な状態であったのだろうか?
北から城址
左回りに一周して案内板の手前まで戻る。
削平地が曲輪段のようにも見えるが後世の改変度合いが不明!?
この後は真岡城・真岡陣屋→桜町陣屋・二宮尊徳資料館へと廻ります。
過去Blog:
2018/7/7 水谷蟠龍斎の城 久下田城
八木岡城 MAP(案内板のところ)
真岡鐵道「寺内」駅下車、北東へ徒歩16分
駐車場:駐車場は無いが碑の辺りにとめられます!
トイレ:なし
近くには、西南西に中村城。東南に峰高城。東南東に桜町陣屋。北東に御前城。北北東に真岡城、真岡陣屋。南に久下田城がある。
八木岡城
真岡鉄道「寺内」駅と八木岡城の中間辺りから撮影。
北関東道と水処理センターがあるのですぐに発見できます。
案内板はココ!
城の北西になります。明確な駐車場は無いが路駐は可能。
八木岡城案内板
五行川は八木岡城の向こう側(東)を流れています。
案内板のとおり 芳賀氏の一族の八木岡氏の城で、水谷政村(蟠龍斎)により落城→廃城となりました。
旧・五行川はこんな感じ
現地を歩いても縄張りが良く分らなかったので昭和22年(1947)の航空写真を基に図を書いてみました。
現在の道路は城址を無視して通っており 土地改良+河川改修で地形も大きく削られ城域は縮小しているように感じます。
二重土塁部分
内部には堀・土塁・削平地があります!
城の南端
当時は すぐ下の田の辺りに五行川が蛇行しており、城の立地も微高地なので周囲の湿地で守られていたと思われます。
上の南端の写真の所を外側から
このすぐ右側に五行川が流れていたと推察! 昭和の航空写真では確認がとれたが戦国時代はどの様な状態であったのだろうか?
北から城址
左回りに一周して案内板の手前まで戻る。
削平地が曲輪段のようにも見えるが後世の改変度合いが不明!?
この後は真岡城・真岡陣屋→桜町陣屋・二宮尊徳資料館へと廻ります。
過去Blog:
2018/7/7 水谷蟠龍斎の城 久下田城
八木岡城 MAP(案内板のところ)
真岡鐵道「寺内」駅下車、北東へ徒歩16分
駐車場:駐車場は無いが碑の辺りにとめられます!
トイレ:なし
近くには、西南西に中村城。東南に峰高城。東南東に桜町陣屋。北東に御前城。北北東に真岡城、真岡陣屋。南に久下田城がある。
2019年7月28日日曜日
結城合戦の舞台でもある 結城城(ゆうきじょう:茨城)
茨城県結城市結城2486-1 結城歴史公園のところ
北側の県道204号線から
時間が経ってしまいましたがツインリンク茂木に行く途中で結城城に寄ってきたのでアップします。
西館から堀を隔て館
館と西館を隔てる堀の本町浄水場側は埋められたようです。
案内板は本町浄水場の門の反対側に立っています。
案内板
結城合戦:永享の乱で鎌倉公方4代 足利持氏が自害。その遺児が挙兵し一部の北関東諸氏も味方。 結城氏が城に迎えるが幕府方の攻撃により1年間の籠城も虚しく結城城は落城した。
いま結城合戦をweb検索していたら、南総里見八犬伝は落城する結城城で里見義実が父と分かれて落ち延びるところから書かれているとなっていたので ちゃんと読んでみたくなりました。
案内板の図を加工しました
田川流域は湿地帯であれば三方を守られた要害とゆうコトで、1面の防御のみに集中できますね!
聰敏神社参道と城址公園
web情報によれば公園入口に模擬冠木門が建っていたようだが今は何もありません。
聰敏神社参道から南方
堀を埋めて浄水場を造ったようですが続く堀はよく残っています。
公園から南方を見る
先に見える欄干の所は窪地で堀跡のようですが如何に!?
そのずっと奥は中城。
城址公園 法面
下は平らなので攻め手の動きも良くわかります!
元の辺りに戻ってきました
案内板図にある実城(1郭)は一部分でも残るのか? 全て消滅したのか?は調査不足で分かりません。
もう少し周囲を歩きたかったのですが時間切れ! また機会があった廻ってみます!
結城城 地図
JR水戸線 「結城」駅下車、北東に徒歩21分
駐車場:公園奥にあり
トイレ:あり
近くには、西に祇園城、鷲城。西南西に中久喜城。南に山形氏館。東に下館城。東北東に伊佐城。北東に久下田城。
北側の県道204号線から
時間が経ってしまいましたがツインリンク茂木に行く途中で結城城に寄ってきたのでアップします。
西館から堀を隔て館
館と西館を隔てる堀の本町浄水場側は埋められたようです。
案内板は本町浄水場の門の反対側に立っています。
案内板
結城合戦:永享の乱で鎌倉公方4代 足利持氏が自害。その遺児が挙兵し一部の北関東諸氏も味方。 結城氏が城に迎えるが幕府方の攻撃により1年間の籠城も虚しく結城城は落城した。
いま結城合戦をweb検索していたら、南総里見八犬伝は落城する結城城で里見義実が父と分かれて落ち延びるところから書かれているとなっていたので ちゃんと読んでみたくなりました。
案内板の図を加工しました
田川流域は湿地帯であれば三方を守られた要害とゆうコトで、1面の防御のみに集中できますね!
聰敏神社参道と城址公園
web情報によれば公園入口に模擬冠木門が建っていたようだが今は何もありません。
聰敏神社参道から南方
堀を埋めて浄水場を造ったようですが続く堀はよく残っています。
公園から南方を見る
先に見える欄干の所は窪地で堀跡のようですが如何に!?
そのずっと奥は中城。
城址公園 法面
下は平らなので攻め手の動きも良くわかります!
案内板図にある実城(1郭)は一部分でも残るのか? 全て消滅したのか?は調査不足で分かりません。
もう少し周囲を歩きたかったのですが時間切れ! また機会があった廻ってみます!
結城城 地図
JR水戸線 「結城」駅下車、北東に徒歩21分
駐車場:公園奥にあり
トイレ:あり
近くには、西に祇園城、鷲城。西南西に中久喜城。南に山形氏館。東に下館城。東北東に伊佐城。北東に久下田城。
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