2016年11月19日土曜日

雨の甲府城 再訪(こうふじょう:山梨)

山梨県甲府市丸の内1-5
①稲荷櫓、今回は曲輪内側から


今日は、サントリーの登美の丘ワイナリーへ行ったので甲府城にも寄ってきました。

※ 帰宅途中に改変
②駅前ロータリー東端から石垣

右側のビルの辺りに堀、御殿曲輪と、正面に立ちはだかっていたようです。
③稲荷曲輪と天守台

上の写真を直進すると舞鶴城址公園入口で、この入口辺りは道路ナド、開発で改変されています。
④稲荷曲輪の再構築された石垣

曲輪面積を広げるため、大きく変更されたところはよく見ますが塁壁の幅を広げただけのようです。(私的想像では表の石垣崩れに伴う補強かな??) 
⑤本丸 鉄門(再建)

平成24年暮れに完成。
2階内部も公開時間内であれば見られます。
⑥顕彰碑から天守台を見る

地元では天守再建運動がありますが、まだ資料ナドが揃っていないようです。
現地案内板から

案内板が設置された方向にあわせて表示しているので、各場所で上が北とは限りません。
甲府駅前の 武田信玄 公像

きょうの出だしは生憎の雨ですが、高速道路の道すがら、秋色に染まった山の所々に霧が纏わり幻想的な景色となっていました。

後から知りましたが県庁南側の山梨防災新館(山梨ジュエリーミュージアムのところ)に発掘された石垣が室内展示されています、目の前を通ったのに惜しかった〜!
現地ではそれほど降らず美味しいワインも買えたし、名物ほうとうを食し、マズマズの甲府廻りでした〜!


前回blog: 甲府城 (2009/11/9)
甲府城 地図 稲荷曲輪入口のところ

JR中央本線「甲府」駅下車、東方100mで舞鶴城公園の東端。
駐車場:周辺の有料P
トイレ :本丸、稲荷曲輪、鍛治曲輪にあり。

近くには、北西に湯村城。北に躑躅ヶ崎館。北北東に要害山城がある。


2016年11月16日水曜日

太閤の大軍を迎え撃った 韮山城(にらやまじょう:静岡)

静岡県伊豆の国市韮山韮山
①城池から韮山城主要部

江川邸前駐車場に駐車して写真②の案内板から三の丸・権現曲輪・二の丸・本丸・塩蔵と廻ります。
案内板から絵図

北条早雲(伊勢宗瑞)は伊豆討入りで堀越公方を滅ぼすと、この韮山城を本城とします。
のちに早雲が小田原城を獲得し、二代 氏綱が小田原へ移っても 早雲は韮山城を離れませんでした。

②城池の畔から三の丸へ!

城池の堤の辺りの案内板から三の丸へ上ります。
③クランク型虎口を振り返る

三の丸と権現曲輪から攻撃されます。
④三の丸虎口

前述したとおり背後からの攻撃に晒されています。
⑤三の丸内部

現在の三の丸はテニスコート6面ほどととれる広さが有ります。

⑥三の丸内から権現曲輪と館への降り口

館からのルート
⑦三の丸から館への降り口

直下には館、その先(グランド上)には二条の堀切りがありました。
⑧権現曲輪内部
土塁上に熊野神社が建っています。曲輪名からすると熊野権現となのでしょう。
⑨二の丸との間にある権現曲輪虎口

先ほどの三の丸虎口と同じように城池に向かってクランクに降りていきます。
⑩二の丸
崩れたのでしょうか? 内部は若干のスロープに、
⑪二の丸から本丸

本丸-二ノ丸間に堀底道があり、左へ降りると城池方面へ、右へ下ると館跡方面。
⑫本丸進入路から堀、土塁、二の丸をみる

堀の左手の竪堀のような所は絵図に九十九折れの道が書かれています。
⑬本丸

本丸は城池の方向(外側)だけ土塁が築かれています。
⑭本丸から塩蔵方面

塩蔵跡まで延長で土塁があり、その下段は細長く帯曲輪のようになっています。
⑮塩蔵

ココは周囲を土塁が回るので、徳川時代になってからの硝煙蔵のように個人的には思えます。

歴史趣味から遠ざかっていた時期に伊豆下田や修善寺温泉へバイクツーリングに出たときに何度となく通った韮山ですがユックリみたのは今回初めてです。
総構え(外郭)を持ち天ヶ岳砦、土手和田砦、江川砦、 和田島砦ナドの出城を有する大きな城ですが今回は時間の都合で主要部のみのとなりました。

⑯二の丸直下の曲輪

天正18年(1590)の小田原合戦では北条氏規が守将でしたが、4万からの大軍に囲まれては風前のともし火・・・  小田原に先がけて開城。 合戦後は徳川家の家臣 内藤信成が入城しました。
⑰本城尾根と天ヶ岳尾根の谷間

その後内藤信成はすぐに転封となり、韮山は廃城となったようですが。 入城時に多少なりとも改変されたと思いますが、この時にどの程度改変されているか?調べてみたいところです。


※毎年11月に、伊豆の国時代まつりが行われています。

韮山城 地図 (堤下の駐車場)
伊豆箱根鉄道「韮山」駅下車
駐車場:あり(、城池公園、Pナド江川邸・資料館前P)
トイレ:あり

近くには、

2016年11月5日土曜日

堀越御所の詰めの城 守山城(もりやまじょう:静岡)

静岡県伊豆の国市寺家1204
守山西公園駐車場

トイレ・自動販売機 完備!!
北条氏邸もこの駐車場から前方100m程です。
駐車場裏の守山支尾根に登ってすぐの削平地

駐車場背後の尾根から展望台へ向かいました、削平地が何段かあります (これらが曲輪かは未確認?)。
同じく支尾根

この辺りスズメ蜂の巣があるようで注意書きを幾つかみたので落ち着いて撮影ができませんでした。
コチラも削平地

ココも郭跡にみえるのですが・・・
南から展望台へ向かうルート

階段を登りきると頂上付近。
竪堀!?

北条早雲(伊勢宗瑞)は今川家から援軍を得て、興国寺城から堀越御所の足利茶々丸を急襲!
守山城主郭附近

足利茶々丸は一時、守山に逃れそこで自害したとも、味方が居る伊豆や相模、或は甲斐の武田を頼ったとも云われています。
この早雲の伊豆討入りをもって戦国時代が始まり、韮山城が包囲された小田原合戦で戦国時代の終わりとされます。
守山 展望台からの眺め!

源頼朝&北条時政の山木襲撃により鎌倉時代に向かい変遷していくナド、其々の時代の節目の地となる韮山の地にいま自分が立っているとゆうのは感慨深いですね~

観光用駐車場

守山城へは守山西公園駐車場が便利ですが、ココからお寺や堀越御所ナドに歩いて廻るのも良いかとおもいます。


守山城 地図
伊豆箱根鉄道 駿豆線「韮山」駅下車
駐車場:あり
トイレ :あり(麓)

2016年10月29日土曜日

堀越御所 或は 堀越公方館(ほりごえごしょ:静岡)

静岡県伊豆の国市四日町字御所ノ内932
堀越御所案内板前から

堀越御所は北条氏邸の目と鼻の先 とゆうより、北条氏邸やお寺を接収して造られたそうで、
案内板

ココから振り返ると、北条政子産湯の井戸が見えるとゆう位置関係。 なので、北条邸(時政邸)の一部を取り込んだとゆうのも納得です。
案内板の図から

発掘成果で池跡や堀が発見されています!
市の土地買上も進み史跡公園化が進んでいます。

伊勢宗瑞(北条早雲)の伊豆討入りで灰燼に帰したと思われます。背後の守山は詰の城 守山城で茶々丸が籠り自刃したとも云われてます。
亀石

この辺りも部分的に池になっていたようです。
テニスプレイヤーの腰掛石のように置かれているのでこの石が 遺構かどうか?一瞬 悩みました。
この石も遺構!?

雅な庭園があったのでしょうか??



*将軍 足利義政と対立した鎌倉公方 足利成氏に代わり足利政知を鎌倉公方に送り込んだが、鎌倉入りを阻止され伊豆堀越に留まり堀越御所を営んだ(成氏は鎌倉から下総に逃れ古河公方となる)。 手をこまねいているうちに世情が混乱してきたので幕府からの援軍も望めず伊豆から関東へ進出できませんでした。

そして、堀越公方初代 足利政知の長子 茶々丸は素行が悪く、清晃(後の将軍義澄)は都で出家の身、そのため清晃の実弟潤童子が跡目となります。
政知が亡くなると茶々丸は異母弟の潤童子とその生母 円満院を生害し堀越公方2代目の座は茶々丸が奪い取ります。
しかし伊勢宗瑞(早雲)により堀越御所を急襲され茶々丸は抵抗敵わず自刃します。(異説あり:1、伊豆国内に落ちていった。2、甲斐の武田を頼った! ナド)。

伊豆討入りは伊勢宗瑞(早雲)による いわゆる下剋上なんですが、 
将軍足利義澄(清晃)の生母円満院と兄弟の潤童子を殺されたので将軍義澄の意向であったとも、扇ガ谷上杉定正の後押しがあったとも云われています。

*このとき茶々丸は成人で元服名は不明。

堀越御所 地図
伊豆箱根鉄道 駿豆線「韮山」駅下車。南東へ1.5kmほど
駐車場:あり(少し歩く)
トイレ :なし

2016年10月13日木曜日

乃木神社 管絃祭(かんげんさい:東京)

東京都港区赤坂8-11-27
本日10/13は、乃木神社の管絃祭(管弦)に参りました!

取り敢えず写真でも・・・

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この社殿(拝殿?)の中に床几席が設けられています。

残念ながら、演奏はもちろん支度中でも撮影禁止なので外観の雰囲気しか伝えられません! あしからず!!
プログラム片手に!

○管絃
 催馬楽 美濃山
 雙調 陵王
○舞楽
 春庭花(左方の舞):4名が近づいたり離れたりして舞っていく様は、花の開いたり閉じたりで「華」を表している明るい曲です。
 狛桙 (右方の舞):船で渡来した高麗人が到着した港で竿を持って舞う とゆう内容。
第42回 管絃祭ポスター

乃木雅楽会と雅楽同会による演奏です。
(入場無料)

*来年第43回は、2017/10/23(火)の予定
乃木神社 地図(鳥居のところ)
駐車場:なし
トイレ :あり

2016年10月11日火曜日

頼朝配流の地 蛭ヶ小島と守山八幡宮 (ひるがこじま、もりやまはちまんぐう:静岡)


-蛭ヶ島公園-

願成就から源頼朝の流刑地 蛭ヶ小島にやって参りました。



周囲との高低差もさほどないですが、微高地であるとゆうことです。



駐車場:あり
トイレ :あり





云われ、伊豆の目代、山木の館を襲い平家討滅→鎌倉時代へと繋がる歴史的にも重要なところです。




社殿

舞殿うしろの石段上に拝殿、本殿があり、そこは守山の中腹にあたります。




守山八幡宮 地図 鳥居のところ
駐車場:なし
トイレ :なし

2016年10月1日土曜日

第33回 増上寺薪能(ぞうじょうじたきぎのう:東京)

東京都港区芝公園4-7-35
会場席からお堂と東京タワー

伊豆の国市編の写真編集が終わって無いのですが、本日 芝の増上寺で薪能が行われたのでやって来ました。

徳川家所縁の塔頭や芝丸山古墳(都内最大級の前方後円墳)があるので、早めに出掛け写真を撮るつもりでしたが、あいにくの空模様 ↓
増上寺H・Pでは本日開催と出ていたので入場券が無駄にならなくて取敢えずヨカッタ~!!
きょうは黒門から入る

山門(三解脱門or三門)は能興行のため閉鎖なので、コチラの黒門から入ると正面にチケットもぎりがあります。

かつての増上寺は広大で、現在の東京タワー辺りに能楽堂があり、徳川家に庇護された歴史を感じます。
休憩の合間に舞台と山門 (三解脱門)

今回 初めてですが、お堂の前に舞台かと思いきや、
閉じられた山門をバックに設えてあります。
きっと、お堂の仏様に奉納するのでしょう⁉︎
ライティングも篝火が目立たなくなるようなコトもなく 良い雰囲気でした。
これから演目開始

さすがに演技中は撮れません!

本日のプログラム:2016(平成28)年10月1日
 16:30 入場開始
 17:30 法要
 18:00 演目開始

【演 目】
○ 能 「鶴亀」 シテ 梅若万三郎
中国の皇帝が月宮殿に渡りになられ、家臣、万民が祝賀の声をあげ、鶴と亀が舞を捧げるて皇帝の長寿を祝うと、皇帝も喜び 自ら舞を始める。 とゆう新春の寿ぎや祝賀に捧げる演目

 全般に舞を舞う部分が多くお祝い用の優雅な演目でした!


○ 狂言「萩大名」 シテ 山本則俊
 京へ上った田舎大名が萩が盛りの庭へ遊山に行くが、その庭の亭主が客に和歌を所望するとゆうので、太郎冠者が萩をもじった歌「七重八重九重とこそ思ひしに十重咲き出ずる萩の花かな」を七重八重、九重に  萩の花」を教えるが、大名は覚えられず、、
「七重八重、九重」は扇子の骨七、八、九本目を見せ、「萩」は自分のふくらはぎを見せるナドを決め現地でジェスチャーで教えるが・・・  結局うまくゆかず
 さて、

 チョット小雨だが久しぶりに笑わせていただきました~!!
 周り皆さんの反応も良かったですよ。


○ 能 「紅葉狩―鬼揃」 シテ 梅若万佐晴
 信濃戸隠の山中で、上臈、侍女達が紅葉狩りをしているところに平惟茂が鹿狩りで通りかかり、少し言葉を交わし通り過ぎようとするが、宴会に誘われシタタカに酔って寝入ってしまいます。
惟茂の夢に神が現れその上臈達は鬼であると告げられ目をさますと、美女達は鬼となり襲ってきますが・・・ 

 前の「萩大名」中盤から雨が強くなりそうな気配・・・
 そして、半能にしますと放送・・
 えっ 半能って、最初の予定が半能なのでは!?  もしかしてその半分??
 始まってみると雨は止んだのに、演目は全体の1/4以下、おもいっきり物足り無いですが天気相手では仕方ないので、来年リベンジ また来ます。


オマケ
増上寺前番所跡(カギの手)

日比谷通り(都道409号線)沿い、江戸時代に植林され松林があり、番所があったところです。
左方奥は増上寺、正面から右方は東京プリンスホテルのあたりです。

*2018年の第34回増上寺薪能は9/30(土)。 能「雲林院」、狂言「文蔵」、能「安達原―白頭」

増上寺 地図 (山門のところ)
都営地下鉄三田線「御成門」駅下車
都営地下鉄大江戸線「芝公園」駅下車
都営地下鉄大江戸線「大門」駅下車
JR山手線、京浜東北線「浜松町」駅下車