京都府京都市東山区三十三間堂廻り町656
左が養源院で左に見えるのは勅使門、その先が南門(拝観口)。
左奥は後白河天皇陵と天皇縁の法住寺。
右側には三十三間堂(蓮華王院)、道路の先に見える門は一つ前のBlogの豊臣秀頼建立の南大門と太閤塀があります。
目的の養源院は茶々(淀殿)が祖父 浅井久正・父 長政の追善供養のために建立。その後 焼失したが淀殿の妹 江の願いにより徳川秀忠が伏見城の殿舎を移築し再建しました。
主要な文化財は、紺地着色松図、着色杉戸絵、像(重要文化財)
俵屋宗達の杉戸絵(象、唐獅子、麒麟ナド)
同じく宗達の障壁画(松)。
狩野山楽の襖絵。
庭園は小堀遠州の庭園です。徳川秀忠が再建した時に関ヶ原の戦いの前哨戦の伏見城の戦いで徳川方の主将 鳥居元忠以下の将兵が切腹して果てた血まみれの伏見城殿舎の床板を天井板に用い血天井として供養しました。
本堂(客殿)と護摩堂は伏見城の遺構。
堂内の牡丹の間と松の間は伏見城の遺構ですが撮影禁止🚫なので写真は外観のみです。
中で拝観料を納めるとすぐ杉戸を見るコトができます。
杉戸絵や手形が残る血天井を暫く見ていると お坊さんが現れの解説が始まりました。
お話で「殿舎の床板の並びのまま天井に使用しています」、「ココが胴体で腕で・・・」ナドと教えてくれます、それを聞きながら黒ずんだ痕を見ると確かに420年前の人の姿が見えてきます。
血天井は思っていたより長くて本堂廊下部分の天井は正面と左右の面を合わせ全長88mもあります。
戦闘後の亡骸は8月~9月中旬まで伏見城内に放置されたと言われており当時の惨状を想わずにはいられません! 合掌
京都駅から市バス「京都駅」バス停-「三十三間堂前」バス停下車、南へ徒歩2分
駐車場:なし
トイレ:あり
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