2020年10月26日月曜日

伏見城から移した血天井がある養源院(ようげんいん、ちてんじょう:京都)

京都府京都市東山区三十三間堂廻り町656
養源院正面

左が養源院で左に見えるのは勅使門、その先が南門(拝観口)。
左奥は後白河天皇陵天皇縁の法住寺
右側には三十三間堂(蓮華王院)、道路の先に見えるは一つ前のBlogの豊臣秀頼建立南大門太閤塀があります。
南門

目的の養源院茶々(淀殿)が祖父 浅井久正父 長政追善供養のために建立。その後 焼失したが淀殿の妹 江の願いにより徳川秀忠伏見城殿舎移築し再建しました。
南門の門扉

主要な文化財は、紺地着色松図着色杉戸絵、像(重要文化財)
俵屋宗達の杉戸絵(象、唐獅子、麒麟ナド)
同じく宗達障壁画(松)。
狩野山楽襖絵
庭園小堀遠州庭園です。
血天井の立札

徳川秀忠再建した時に関ヶ原の戦いの前哨戦伏見城の戦い徳川方主将  鳥居元忠以下の将兵切腹して果てた血まみれの伏見城殿舎床板天井板に用い血天井として供養しました。
本堂

本堂(客殿)と護摩堂伏見城の遺構
 堂内牡丹の間松の間伏見城の遺構ですが撮影禁止🚫なので写真は外観のみです。
本堂

中で拝観料を納めるとすぐ杉戸を見るコトができます。
杉戸絵手形が残る血天井を暫く見ていると お坊さんが現れの解説が始まりました。

お話で「殿舎の床板の並びのまま天井に使用しています」、「ココが胴体で腕で・・・」ナドと教えてくれます、それを聞きながら黒ずんだ痕を見ると確かに420年前の人の姿が見えてきます。
 
血天井は思っていたより長くて本堂廊下部分の天井正面左右の面を合わせ全長88mもあります。
戦闘後の亡骸8月~9月中旬まで伏見城内に放置されたと言われており当時の惨状を想わずにはいられません! 合掌

京都駅から市バス京都駅」バス停-「三十三間堂前」バス停下車、南へ徒歩2分
駐車場:なし
トイレ:あり
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