京都市東山区三十三間堂廻り
豊臣秀吉は方広寺 大仏を建立する際に蓮華王院(三十三間堂)、養源院、法住寺を南限とし南大門と太閤塀を建設した。
流石、京都!と思わせる所
壁と住宅が接続しています。
南大門は豊臣秀頼が再建したものでこの短い壁が太閤塀かは不明。
門に連なっている塀が太閤塀です。
塀は塩小路沿い。
桐紋瓦はおそらく当時のものでしょう?!
太閤塀の外側は道路ですが内側は三十三間堂の拝観料必要!
お堂の前を奥まで進むと太閤塀と案内板があります。
太閤塀碑と案内板。
三十三間堂の1001体の観音様を拝んで帰ってしまいますが興味がある方は是非!!
南大門・太閤塀 地図 (南大門のところ)
京都駅からバスで「京都駅」―「三十三間堂前」バス停下車、南へ徒歩3分
駐車場:三十三間堂P(拝観必須)、 或いはコインP利用
トイレ:近隣の寺社利用
■土佐志士寓居跡
京都府京都市東山区新瓦町東組636-1
石碑の正面に「此附近 坂本龍馬・北添佶磨など土佐志士寓居跡」
東面は「大仏(方広寺)旧境内南限」
西面には「池田屋事件もう一つの舞台地」
となっています。
龍馬はココに住んでいた縁でお龍と知り合ったと書いてある。
また 池田屋事件の際に京都所司代の役人がココに踏み込んだが龍馬は不在で助かったとなっています。
土佐志士寓居跡 地図 南大門から東へ40m
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