JR 有楽町駅から新橋駅の間にある数寄屋橋門、山下門、幸門の3門ですが いづれも撤去されており、道路・線路を基準に見て大雑把な位置しか把握していません。
また、山下門-幸門の間の窪地があり、これが堀の痕跡と云われています。
また、山下門-幸門の間の窪地があり、これが堀の痕跡と云われています。
■数寄屋橋門跡
有楽町マリオン前の案内板
写真の晴海通りは堀跡と思われます。
数寄屋橋門 古写真
この古写真は、上の写真の晴海通りを渡った向こう側の数寄屋橋公園辺りかではないでしょうか?
因みに数寄屋橋公園には岡本太郎のモニュメント時計があります。
案内板の地図
写真の晴海通りは堀跡と思われます。
数寄屋橋門 古写真
この古写真は、上の写真の晴海通りを渡った向こう側の数寄屋橋公園辺りかではないでしょうか?
因みに数寄屋橋公園には岡本太郎のモニュメント時計があります。
案内板の地図
有楽町の地名の由来となった織田有楽斎屋敷の辺りです。
線路東側の南町奉行所跡も近いです。
晴海通りを渡り山下門方面へ
湾曲した感じが堀跡っぽい!
首都高速・道路・JR線路も堀跡であろうか??
さらに進む
この先のガード下を右に折れると山下門跡です。
線路東側の南町奉行所跡も近いです。
晴海通りを渡り山下門方面へ
湾曲した感じが堀跡っぽい!
首都高速・道路・JR線路も堀跡であろうか??
さらに進む
この先のガード下を右に折れると山下門跡です。
■山下門跡
上記の所からガードをくぐる
コチラから橋を渡り線路の向こうに山下門跡があった。
逆方向の山下門跡から外濠側をみる
かつてこの辺りに門があり、ガード下には土橋や堀があったとかと思います。
山下門 古写真
古写真で見ると、堀の途中まで土橋-木橋-門 とゆう構成ですね。
山下門跡 地図
■堀跡
コチラから橋を渡り線路の向こうに山下門跡があった。
逆方向の山下門跡から外濠側をみる
かつてこの辺りに門があり、ガード下には土橋や堀があったとかと思います。
山下門 古写真
古写真で見ると、堀の途中まで土橋-木橋-門 とゆう構成ですね。
山下門跡 地図
■堀跡
一旦、上って、また下っています。
正確には堀跡ではなく、堀跡と云われるところ。
■幸門
第一ホテル 東京前
幸門跡は少し左寄りでした。下調べをしないで撮影してしまいました~
幸門 古写真
この古写真も上の写真の逆方向。
線路の向こう側から第一ホテル側を撮ったもの。
ココから第一ホテル脇の道(かつての堀沿い)を進むと日比谷セントラルビルの移設石垣-文部省・虎ノ門の石垣へとでます。
おそらく第一ホテル自体が堀の上に建っているのではないでしょうか?? ←また調べてみます!幸門跡は少し左寄りでした。下調べをしないで撮影してしまいました~
幸門 古写真
この古写真も上の写真の逆方向。
線路の向こう側から第一ホテル側を撮ったもの。
ココから第一ホテル脇の道(かつての堀沿い)を進むと日比谷セントラルビルの移設石垣-文部省・虎ノ門の石垣へとでます。
2012/10/1 江戸城外堀。溜池、赤坂-食違門
2013/4/11 江戸城外濠、四谷見附-小石川門
2017/10/27 日比谷公園の日比谷図書館にて「江戸城と松江城」(日比谷見附石垣の写真あり)
2013/4/11 江戸城外濠、四谷見附-小石川門
2017/10/27 日比谷公園の日比谷図書館にて「江戸城と松江城」(日比谷見附石垣の写真あり)
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