2014年5月30日金曜日

扇ヶ谷上杉家所縁の 七沢城 (ななさわじょう:神奈川)

神奈川県厚木市七沢1304
場所は七沢リハビリテーション病院 脳血管センタのあたりといわれています。
発掘調査の際には15世紀建物跡がでているそうです。

さて、ここで注意しなければならない点があります。
七沢城址のある「 七沢リハビリテーション病院 」 と似た名称の 「 神奈川リハビリテーション病院 」 が南方1km未満の距離にあります。

わたしは、そちらで写真を撮りはじめました・・・ が!
何か違うぞ??
そこで、Web検索したら、七沢リハビリ・・・ではなく「神奈川リハビリテーション病院」内を歩いておりました!?

ややこいいですが、気をとりなおして七沢城址へ向かうと
すぐ石碑をみつけることができ、一安心。
この水汲み沢の奥の山も城域に入るのでしょうか?
開発破壊のためか? 案内板はあるのですがおおよその場所を示しているようで現場に適応させるのは難しいです。
築城は定かではありませんが氏扇ヶ谷上杉氏の城で、長享の乱では、山内上杉顕定扇ヶ谷上杉領相模国糟屋に乱入!

危機感を抱いた扇ヶ谷定正川越城から駆けつけますが七沢城落城してしまいます。
七沢城南方実蒔原にて山内顕定軍奇襲をかけ勝利をおさめました。
後に相模に侵攻してきた後北条氏により落城。 その後しばらくは北条家臣城主として機能していたようです。
近隣情報としては、

 七沢温泉があります。
また、厚木から城址へ向かう途中に毛利台とか毛利の里ナドの町名がみえますが、そこは鎌倉時代大江広元4男所領(相模国愛甲郡)で、後の毛利発祥の地であります。


 *七沢城とは関係ないですが追加。

いままで、毛利氏と氏は同一姓(出自)と思っていましたが、同じ愛甲郡出身でも源氏系の氏と大江氏系の毛利氏の2系統あるようです(明確に分類できるかは??)
 大江氏以前は森の庄と呼ばれ源義家4男森の冠者の子孫氏がおります。後の森可成はその系統であるらしいです。

七沢城 地図 
「七沢病院」バス停下車、0分

近くには、愛甲城。

2014年5月26日月曜日

弘前 さくらまつり(さくらまつり:青森)

青森県弘前市下白銀
弘前城Blogは写真点数が増えすぎたので、
チョットかぶりますが、さくらまつりを別ページにしました。

写真撮影は25~26日です。

さて、
今年のサクラの状況は・・・

 宿の予約を入れた時点での満開予想は4月29~30日、

ところが!
当日の26日発表では外堀満開、他の場所ではが少々とゆう状況でありまして、、

本当にラッキーなで花見日和を過ごすことができました♪

なんでも、
リンゴ剪定技術がいかされていて、花が咲く数が他所とは比べ物にならないそうです。
 タカマルくんは何処??
どこでもくまモンフナッシーは人気ですね。
北の丸はお店がいっぱい!
ちょっと遠いですが亀甲橋(搦手)。
わたくしも自転車でアッチコッチ廻ろうと計画したのですが、
レンタルの「サイクルネットHIROSAKI」の多くはは5月9日からでした、、
唯一、駅前で、さくらまつり期間中にレンタルしてましたが、
とうぜん観光館ナド の施設で乗り捨てができないため、駅へ往復と返却門限があるので自由が利かず断念!
その他 交通、
100円バスが循環しているようです、1日券は500円也。
昼間はボートがたくさん浮いてますが、今はひっそり。
夜の賑い!
昼間の大手前は弘前城Blogに載せてますが夜も。

弘前城にやってくる道すがら、国道7号線のサクラ並木もきれいですよ!!







弘前城Blog
2014/4/26 サクラサク 弘前城
2014/5/18 外堀は満開だった 弘前城

2014年5月18日日曜日

第3回 戦国 滝の城まつり(たきのじょうまつり:埼玉)

埼玉県所沢市城

現地から、
弘前城ブロクが完成してないのに滝の城にきてしまいましたー
剣術演武が終わり、いまから寸劇に突入!

携帯からです、あとで画像アップします。





追加- - - - - -
甲冑隊が到着する前は、模擬店で買ったタコ焼ナドいただきながら和太鼓やコンサートを堪能!!



そして、
城址から城公民館の方で待っていると・・・
武者行列がやってきました。
新影流、演武。
戸山流居合
スパンスパンと綺麗に切れてゆきます!

劇開始!
小田原合戦で攻め手の浅野長政に開城を拒否し、開戦し善戦するが多勢に無勢、やむなく・・・
と去年と近い内容でした。
城方の足軽が主人の楯になるシーンもあります。

少人数で全体にうまくまとまっていました。


ステッカー買いました!
タキジョーくんの着ぐるみはできないのかな?








過去Brog
2011/11/20 滝の城
2011/12/11 滝の城 Part2 現地説明会
2012/5/20 第1回 滝の城まつり
2013/3/15 滝の城 発掘調査 現地説明会

JR「東所沢」駅下車、東へ
駐車場:あり(祭の場合は臨時駐車場あり。)
トイレ :あり

*2015/5/16追記 2015の「戦国 滝の城まつり」は5/17(日)開催! 今後は5月の第3日曜日に固定となるそうです。
*2019/5/16追記 2019年の「戦国 滝の城まつり」は5/26(日)です!


外堀は満開だった 弘前城(ひろさきじょう:青森)

青森県弘前市下白銀町
青森県最終は、今回のメインとしていたサクラの弘前城です。

現地からのBlogアップで8~9分咲きと書きましたが、現地さくら情報では外堀は満開と発表されていたようです。
大浦(津軽)為信は津軽地方を征服していく過程で、大浦城→1594年堀越城へ移るが洪水に悩まされた→弘前城築城を計画し町割りナドするが着工を見ず京で病没、2代信枚に引継がれます。
弘前城の建築資材は大浦城堀越城大光寺城ナドから運ばれ僅か1年2ヶ月とゆう短期で完成します。
現在残る天守(御三階櫓)は現存12天守の1つに数えられ、
城門5棟と3棟は重要文化財指定です。
また、与力番所東内門背後に1棟だけ残されております。
100年ぶりの石垣修復のため、2014年秋に堀が埋められ、2015年さくらまつり終了後に天守を本丸内側に70m曳きます。
今回を逃すと10年間は堀に映る天守サクラを拝むことはできません。
弘前城4万7千石居城としては立派で、徳川家康幼女嫁入りしており(準親藩扱い)、 対 佐竹南部への圧力をかけるためともいわれています。
津軽藩自体も他藩への貿易など石高以上に相当な利益があったのではないかと推察しますが如何でしょう??
また、岩木川分流(外堀)から水を引込み三の丸北の丸の間の賀田門前を水没させ切り離すための仕組みがあったりして良く考えられた縄張りと関心させられます。
コチラも天守から。
天守内にある本丸模型。
暗いのと透明アクリル板の反射でヒジョーに撮りにくい模型です。
ブルーシートは多聞櫓跡。
市では本丸を復元するため情報を集めているようですが、
石垣修復完成までにこの多聞櫓ナド建ちあがったら楽しいのですが・・・??
旧天守台。
館神跡
東内門の中に与力番所がみえます。
さくらまつりの最中に番所は抹茶をいただける休憩所となり、たくさんの人で ゆっくり見学できませんでした。

コッチに気がついたタカ丸くんがポーズを・・・

さて、
現存12天守、残るは 丸岡城、高知城、宇和島城、
の3城となりました。
いつの日か全制覇したいと思います!!








弘前市立博物館(今回、企画展「大名家の美術」を拝観しました。)
タカ丸くん公式webページ

弘前城 MAP 追手門のところ
駐車場:多数あり
トイレ :要所にあり




2014年5月17日土曜日

和徳城(わっとくじょう:青森)

青森県弘前市和徳町210
 翌朝、でサクラを愛で弘前城をゆっくりと一回りして、時間に余裕があったので和徳城までやって来ました。

場所は和徳稲荷神社とされていますが、特定はされていないようで、境内を含めたもう少し広い範囲になるらしいです。
神社周辺には土塁らしき盛土は何ヵ所か見受けられ、前面の鳥居傍の用水はのようにみえます。
しかし、近隣の他の城郭と同じく背後の土淵川は河川改修で直線的に流れていて往時の姿を偲ぶのは難しいてすね。
石川城を落とした大浦(津軽)為信は間を置かず和徳城に攻め寄せます。
そして、南部氏方の和徳城主 小山内讃岐守は討ち取られてしまいます。
この稲荷神社元和年間津軽2代藩主 信枚の再建です。
小山内讃岐守の頸は境内のどこかに埋められたと謂われており、稲荷社の横にある金毘羅堂小山内讃岐守を祀ったところとされています。



この後、三味線居酒屋へ向かい 「じょんから節」を肴に1杯ひっかけ、夜の弘前城桜見物に向かうのでありました~!






和徳城 MAP 稲荷神社のところ
奥羽本線弘前」駅下車。弘南バス五所川原線和徳北口」下車、南へ。

駐車場:なし
トイレ :なし

近くには、西に弘前城大浦城。 北北東に藤崎城。 東北に田舎館城。 東北東に黒石城黒石陣屋。 南東に、堀越城石川城がある。