2009年7月16日木曜日

奥沢城 (おくさわじょう:東京)

東京都世田谷区奥沢7-41(浄真寺)
3棟のお堂に3体づつ計9体の仏像を安置
城址碑
虎口? 後世の開削なのか?
正面に近いところの土塁

世田谷城主吉良氏の家臣大平出羽の城館で、その領地は世田谷区等々力から目黒区碑文谷辺りまでだったようです。
後北条氏の台頭で、吉良氏とその家臣達は勢力下に組み込まれ大平氏は北条氏の直臣になっていったようです。
その後、1590年に豊臣秀吉による小田原合戦が起こり北条氏没落後は奥城は廃城、大平氏は帰農して(他説あり?)名主となりました。

地形は微高地の舌状大地の先端で三方を深田に囲まれた要害で、現在 中核部は浄真寺(通称九品仏)が建っていて その周囲に土塁が廻っています。
城の西500m程のところに中丸跡の石柱があり、これは出丸の跡なのか?ただいま調査中です。

吉良頼康に側室として嫁いだ大平出羽守(清九郎)の娘常盤姫の悲話「 常盤木記 (鷺草伝説) 」 があります。因みに世田谷の区の花は鷺草となっています。

奥沢城 地図
田園調布の隣駅九品仏駅から北へ50m程で参道に至ります。

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