2023年5月10日水曜日

三島市の 谷田城(やたじょう:静岡)

静岡県三島市谷田136付近
谷田城を西側から

矢田城には石碑しか無いですが近くを通ったので寄ってみました。

場所は三島バイパス(国道1号)の「矢田交差点を折れて、すぐ1本目を入ったところに石碑があります。

石碑

刻印史跡谷田堡址となっています。案内板は劣化で解読不能のため写真無し。
近年まで土塁が残っているところが有ったそうです。

城主は、渡辺照雄が守ったとされています。

中心部は坂道を登ったところ

右の登り道は城址の真ん中を貫いているようです。

写真の左方は低地であり、城周囲も低湿地であったかと思います。

西側は大場川が北から南へ流れ低湿地を形成したのかもしれない。川が城の際を洗っていたのかもしれません!?

城址西側田んぼ脇の水路鯉生川と云う堀跡のようです(※未確認)。


谷田城 MAP 石碑のところ
伊豆箱根鉄道三島二日町」駅下車、北東に徒歩9分
駐車場:なし
トイレ:なし

近くには、北西に川原ケ谷城。西南西に泉頭城。南西に戸倉城。南南東に仁田氏館韮山城。東に田中城がある。

2023年5月5日金曜日

移築・姫路藩 酒井家 上屋敷門 (さかいけかみやしきもん:東京)

東京都文京区向丘2-1-11
メトロ 東大前駅1番出口の辺りから

場所は、前回の東大赤門前の国道17号(中山道)を北へ進み写真の所を曲がった先が移築酒井家上屋敷赤門がある西教寺です。
西教寺は東向き

東大農学部グランド(水戸藩邸跡)の正面にあります。
西教寺表門

この姫路藩酒井家上屋敷から移築されたモノで,酒井家に11代将軍 徳川家斉の息女を正室に迎えその御守殿門として建てられました。
赤門

関東大震災後に瓦葺から銅板葺に改められています。
案内板

この門は,江戸城大手門前の酒井家上屋敷の中庭の辺りに建っていたそうです(現・パレスホテルの辺り)。

門扉

コチラの東大赤門同様に将軍家から姫を迎えて建てられたようです。
屋根裏

はよく手入れされており、見たところ改変は僅か? かと思います。

細部を見ると手の込んでいて優雅な造りです。東大赤門から850mと近いので同時にに如何でしょうか?!



東京メトロ 南北線東大前」下車、1番出口から北東へ120m
駐車場:すぐ近くにコインPあり
トイレ:西教寺向かいに公衆トイレあり

近くには、南に東大の赤門(加賀藩上屋敷門)。

2023年4月28日金曜日

東大の 赤門-三四郎池-懐徳館(あかもん、さんしろういけ,かいとくかん:東京)

東京都文京区本郷7-3-1
赤門(加賀前田家御守殿門,国重要文化財)
表から赤門

中山道(現 国道17号に面する赤門加賀100万石 前田家の門。
この門がある東京大学敷地は加賀藩,富山藩,大聖寺藩,水戸藩,高田藩の各藩邸合せたところにあります。
斜めから

現在、は修理中のようで扉は閉じています。(2023/3月)
案内板

文政10年(1827)に13代藩主前田斉泰11代将軍徳川家斉娘の溶姫正室に迎えた際に建てた御主殿門赤門

*御守殿門:大名(三位以上)が将軍家から正室を迎えたとき居所を御主殿と言い御守殿に出入する朱塗りの門のこと。
赤門内側

東大附属病院際のベルツ銅像の辺りに加賀前田家の分家である大聖寺藩邸跡碑もあります。




三四郎池(育徳園心字池)
三四郎池

加賀前田家上屋敷心字池夏目漱石の「三四郎」に出てくる
三四郎池中島

本来より水位が高いようで庭石が沈下している。
土地を有効利用するため谷筋を埋めたので池の所が窪地になっていて水が溜まり易いようです。
庭園らしいところ

回遊式庭園とおもわれますが樹木の手入れが為されておらず,よくある公園のようです。
庭石か?

すこし登ったところ。
この場所は池より上の場所にあります。
四面石

この石には銘文が刻まれている。
東側に隣接する前田支藩富山藩邸(東大医学部付属病院の辺り)から移転した




懐徳館庭園
懐徳館

前田家の本郷本邸昭和3年(1928)に前田家から東大寄進され懐徳館となりました。
庭園明治時代の作庭

✽毎年10月中旬「東京大学ホームカミングデー」に懐徳館庭園開放日があります。

過去Blog:2017/10/9 富岡の 七日町陣屋 (前田家支藩)


都営地下鉄 大江戸線「本郷三丁目」駅下車、北へ3分。
東京メトロ 南北線「東大前」駅下車、南へ6分
駐車場:近隣のコインP
トイレ:なし

近くには、北に姫路藩酒井家門。北東に鳥取池田家黒門

2023年3月27日月曜日

下鶴間城(しもつるまじょう:神奈川)

神奈川県大和市下鶴間727-3付近
台地上からアプローチ

下鶴間城台地東の縁りを利用しています。
木立の向う側の150m程の下方には境川が流れています。
上の写真のところから進む

この城は小田原 北条氏配下の山中氏の城であるそうです。
同じく、別方向から

の規模はどれ程であったか? 小学校の辺りも城域であろうか?
正確な位置は分かりませんが発掘で古銭、堀、土塁ナドが確認されていて、発掘調査報告書は出ているので何処かで閲覧できたら加筆します。
小学校脇の斜面に来ました

先の写真の少し南になります。コチラは木が伐採され分譲住宅が建ち並ぶようです。

地図をピンポイントで探し難いですが、境川 対岸の台地には南町田グランベリーパークSNOOPYミュージアムがあるので探し易いかと思います。



東急電鉄 田園都市線「つきみ野」駅下車、東へ徒歩6分
 同、「南町田」駅下車、西へ徒歩10分
駐車場:なし
トイレ:なし

近くには、北に成瀬城。北東に恩田城。南に深見城上和田城山がある。

2023年2月28日火曜日

江戸東京たてもの園にある 大正時代の伊達家屋敷門(だてけやしきもん:東京)

東京都小金井市桜町3-7-1
大正時代港区白金に建てられた旧・宇和島伊達家の大名屋敷風の門です。
それが江戸東京たてもの園内に移築されたもの。
伊達家屋敷門 裏

表の片袖番所の部屋は裏側まで繋がっています。
高橋是清邸の辺りから伊達家屋敷門

庭園側から見ると良い感じ!
案内板

案内板の劣化で読み難い!
大正時代の建築なので武家屋敷形式風の門と云ったところでしょうか⁈
門の意匠1

元・大名家の誇りか? 宇和島藩伊達家家紋が付けられています。 
仙台伊達家と違う宇和島笹が特徴のようです。
門の意匠2

縦ミツ引両家紋も付いています(これは裏紋か?)。
総ケヤキ造りの重厚な門で元・大名家品格がありますね。


JR中央
武蔵小金井」駅下車、北北東へ徒歩で1.9km、又はバス利用
東小金井」駅下車、北北西に2.1km。又はバス利用
西武鉄道 新宿線「花小金井」駅、南へ2km、又はバス利用
駐車場:あり 有料
トイレ:あり

2023年1月30日月曜日

五島美術館で 茶道具取合せ展 2023年版(ごとうびじゅつかん:東京)

東京都世田谷区上野毛3-9-15
出品リスト表

先日、五島美術館で開催中の 「館蔵 茶道具取合せ展 」(2022/12/19〜2023/2/12)に行って来ました。

茶釜楽焼織部焼ナドの展示の見どころは多いですが、
戦国ファンとしては、「豊臣秀吉消息 おちゃちゃ宛」をはじめ千利休古田織部小堀遠州安国寺恵瓊蒲生氏郷安国寺恵瓊片桐石州斎松平不昧 他、の縁のある茶道具が出品されているので興味がある方は是非!
出品リスト裏

展示は2020年にあげたBlog茶道具の取合せ展と同じような構成で、今回は消息文ナド手紙をユックリ拝見してきました。 崩し字は少々読めるようになりましたがまだまだ難しいです!!


東急電鉄 大井町線「上野毛」駅下車、西北西に徒歩5分
駐車場:あり(無料)
トイレ:あり

2023年1月23日月曜日

猪苗代城 或いは 亀ヶ城(いなわしろじょう:福島)

福岡県摩耶郡猪苗代町字古城町132-7
大手駐車場の案内板

猪苗代城は、会津黒川(若松)の蘆名氏の一族である猪苗代氏のです。
会津若松猪苗代湖には幾度か来ていますが猪苗代城は初めてになります。
案内図

亀ケ城の別名から分かるように亀のようにが広がっており、現地に在るどの猪苗代城ではなく亀ヶ城となっています。
磐梯山方面からの火山灰溶岩流ナドを巧みに利用した縄張で、北側鶴峰城(555m)があります、猪苗代城(551m)の一部に取込まれていたようです。
 
*各郭名がよく分からないので便宜的にⅠ郭Ⅱ郭
••• とつけました。
枡形跡

枡形冠木門があり石垣には多聞櫓がのっていた。
鐘撞堂と井戸

上の写真の枡形から石垣の間を進むとすぐに井戸が見えてきます。
登ってきた大手道を振り返る

両側に石垣があるので当時の大手道と思っても良いかと思います。階段は改修かもしれないですが、、
Ⅰ郭櫓門跡の下からⅡ郭虎口

古絵図で、Ⅱ郭虎口は屋根無しで簡単に描かれているので冠木門かもしれません。
Ⅱ郭

Ⅱ郭は周囲に土塁野口英世像が建っています。
Ⅱ郭からⅠ郭

現在崩れていますが古絵図にこの部分に石垣が描かれています。

Ⅰ郭からⅡ郭虎口

大手道を登ってきて階段写真右へ登るとⅡ郭虎口左へ行くとⅠ郭の櫓門跡
Ⅰ郭から北方面

写真右寄りの猪苗代小学校野口英世の出身校案内板には英世がこので遊んだであろうコトが書かれていました。
Ⅰ郭から堀と細尾根

痩尾根は手前のの掘り残しであろうかと思います。
鶴峯城土塁状痩尾根の向こうのにあり、猪苗代城縄張に取込まれていたようです。
Ⅲ郭

Ⅲ郭から猪苗代湖が見えました。
Ⅲ郭側からⅡ郭虎口とⅠ郭

Ⅰ郭石垣の辺りににかつてがあり、石垣上にはそのを睨むが建っていました。
旧山内家住宅前から

間の堀の状態がよくわかる。
図書歴史情報館駐車場の西側の堀と思われる辺り

蘆名vs伊達摺上原の戦いの頃には猪苗代氏は伊達政宗に従い合戦に負けた蘆名氏は滅びます。
会津を手にした政宗ですが一年余で豊臣秀吉傘下となりこの地を失う→会津黒川(若松)蒲生氏郷が入り猪苗代城には家臣を入れた→上杉景勝城代が置かれる→蒲生秀行城代が置かれる→加藤嘉明堀主水を入れる→保科正之城代を置く。

今回は時間の都合で寄れなかったですが摺上原古戦場猪苗代城から西へ直線4kmほど。
図書歴史情報館脇から城

図書館裏の斜面はⅥ郭
図書館はかつてのであったか?
保科正之展のチラシ

この時ちょうど 猪苗代町図書歴史情報館で「没後350年記念 保科正之展」をやっていました。(2022/10/25~11/27)
写真、パネル等60点ほどの規模でした。

から北へ2.2km走ると土津神社があります、その奥の院保科正之公墓所奥の院の近くの駐車場が便利。
戊辰戦争で被弾した城の鐘

城内にあった時の鐘
戊辰戦争の折りに会津若松に向かう官軍に向けて発砲して空いたもののようです。





猪苗代城 MAP(大手側駐車場、案内板)
JR 磐越線「猪苗代」駅下車、北へ徒歩21分
駐車場:あり
トイレ:あり

近くには、北隣に鶴峯城。西に摺上原古戦場跡。東南東に八手山城。北北東に音高城