2009年9月23日水曜日

岡崎城、時間なし (おかざきじょう:愛知)

愛知県岡崎市康生町561

きょうは仕事で岡崎に寄りましたが、予定がつまっているため、一瞬で携帯写真を撮っただけでこれより中に入っていません。
ココは徳川家康の居城だったので説明はいらないですよね。

岡崎城 地図

2009年9月19日土曜日

西尾城 (にしおじょう:愛知)

愛知県西尾市錦城町229
復興門
別名:西条城、鶴城、など
足利一門が三河の守護となり吉良を姓とし西条を本拠としました。
その後酒井氏(西条から西尾に改名した)や大給松平氏など徳川譜代の大名が多く、江戸幕府の要職を務めています。

早足に門、櫓、資料館をまわり、二の丸に移築された近衛邸(元は京都にあった)で抹茶もいただきたかったのですが時間がなく断念しました。
写真の玉石で表現された馬出しですが江戸時代の絵図には描かれていないのでそれ以前の遺構ではないでしょうか?
Naviの候補地でそれらしい「鶴城公園」にセットし、現地へ行ってみると、図書館のある普通の公園だった、次に「西尾市歴史公園」でNaviしてもらいやっと到達することができました。
鶴城公園のあたりは総構えより外で、幕末に武家屋敷として拡張されたところでした。


西尾市資料館
西尾城 地図
無料駐車場あり

2009年9月8日火曜日

新津城 (にいつじょう:新潟)

新潟県秋葉区山谷町2 (旧 新津区)

由緒が書かれている
教習所内
新津氏の居城で、年代は古く館は鎌倉時代から存在したようです。
新津勝資は上杉謙信の重臣の一人でしたが、慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封に伴い15代 新津勝資も一緒に移り廃城となりました。

JR東日本新津車両(製)から北へ400mほどのところにある新津自動車学校コース内に城址の標柱があるのみで、残念ながら何も残っていません。

新津城 地図

2009年9月2日水曜日

矩口城 (たけのくちじょう:兵庫)

兵庫県洲本市炬口
炬口城は、永正2年(1505)淡路水軍の安宅秀興が万歳山(96m)に築城。
織田信長配下の秀吉の侵攻により、本城である由良城と共に開城された。
場所は、洲本城から洲本の町を挟んで反対側にあり、矩口八幡神社の奥から登れるようですが、道は足元が悪いようです。
堀、土塁が残り、虎口形状もしっかりしているそうです。
残念ながら時間がなく上まで登れず、今回は写真のみです。

写真は炬口台場のあたりから見上げたところ。
炬口城 MAP

2009年9月1日火曜日

矩口台場 (たけのくちだいば:兵庫)

兵庫県洲本市炬口1-1

表
裏側へ回ると・・・

文久元年(1861)に徳島藩の命により洲本城城代稲葉氏が構築しました。規模は東西・南北ともに40m程と推定される。
現在は、
淡路水産センターの駐車場脇に一部が残っているもので。
案内・説明板の類は何も無く、センターからは内部、海側の民家の間からは外側の石垣をみることができます。
そのため写真を撮るのに非常に気を使わなければなりません。

炬口台場 MAP
駐車場は海側すぐのところにあります。

2009年8月29日土曜日

洲本城 (すもとじょう:兵庫)

兵庫県洲本市
大手側 
登り石垣
築城したのは三好氏の重臣 安宅治興で。織田信長に圧迫されると1581年に安宅信康は本拠由良城を羽柴秀吉らに明け渡し、洲本城も開城となった。
1582年、淡路に仙石秀久が入り石垣の城を築きはじめる。ところが久秀は九州攻めで失態を演じ蟄居させられた。
変わって脇坂安治が淡路を治め、水軍の城として拡張し、いまのような形態になったようです。その後、蜂須賀至鎮の家老の稲田氏が洲本城代となりました。


さて、城址ですが
三熊山(133m)を主要部分とし、麓の居館跡は今は庁舎や住宅ですが、淡路文化史料館・検察庁・家庭裁判所の前には堀と石垣が残っています、しかも堀であったと思われるところに足湯がありまして私は迷わず浸かりました。

城郭の本でこの模擬天守の写真を見せられつづけてきたので、私の中では他愛も無い城と位置付けておりました。
ところが! 本丸をはじめ各郭の見応えある石垣、西の丸・武者隠しの広い平場、日月池、登り石垣ありで高得点です。
残念なのは町からでも よく目立つ模擬天守(昭和3年築)、これがまったく色気の無いもので 城址を台無しに・・・
おそらく訪れたことの無い方は城そのもの低評価でしょう!?

南側は車道が通り、大手門跡上馬屋の駐車場のところにとめると、「本丸4分」と案内板がありますが、
現地案内図に載っていない西の丸や麓からの登山道途中にもチョクチョクと石垣&郭(平場)があるので、時間がある方は居館部の裏から徒歩でを登ってみてください。

洲本城 MAP
駐車場、麓(洲本八幡神社など)、山上の馬屋跡

2009年8月23日日曜日

石川重政屋敷 (いしかわしげまさやしき:神奈川)

神奈川県横浜市戸塚区上矢部町690
遺構わからず!?
徳川家康が関東にきてからこの辺りは石川重政の知行地なり館を構えました。
ところが後に罪科に問われ、現在の東京都中央区佃に幽閉されてしまいました、故にこの幽閉地が石川島となり、石川島播磨重工業の名称の元となっています。

現在の館はかもめプロペラの工場周辺は開発されてしまって何も残ってないように見受けられました。
何か御存知の方はいらっしゃいましたら教えてくださいまし!

石川重政  館地図
駐車場:なし