2009年3月21日土曜日

夜陰に浮かぶ フェイク豊田城 (とよたじょう:茨城)

茨城県常総市
仕事帰りの車窓から、夜陰にポッカリと浮び上がる怪しい天守を発見!
それもかなりの大きさである。
十年くらい前にココの前を通ったことはあるが、こんなにデカかったっけな??


その中味は図書館・展示室・ホール・展望台といった 豊田の「地域交流センター」のようです。
更に 少し離れたところに櫓2基も発見!!
これは地域センターにしても怪しすぎでしょ~~~
地元の人はこんな無駄使いを怒っていないのかなぁ~

ともあれ、デカイだけで安っぽい偽物天守でした。


因みに本物の豊田城は南東へ2km程の小貝川のほとりで石碑が建ってます。 平氏の血統である豊田氏の城



偽物 地域交流センター(豊田城)(livedoor 地図情報)
本物豊田城(livedoor 地図情報)

常総市のHP:http://www.city.joso.lg.jp/modules/section066/content/index.php?id=14

2009年3月17日火曜日

小田原。元祖、外郎(ういろう)

小田原市
きょうは、歌舞伎の二代目 市川団十郎の自作演目外郎売り(薬売り)の口上でおなじみの小田原の「ういろう屋」さんです。

ういろうと言えば名古屋のお菓子ですよね! 中学生の時に小田原駅でういろうの看板をみて名古屋のういろうのパクリか?とず~っと思ったくらいです。
 が、

ナント、元祖は600年の伝統がある外郎家(薬屋)さんです。
中国で元が滅亡したとき、元の官吏で礼部員外郎だった陳延祐の二代目(姓を外郎と名乗る)が渡来。
朝廷や室町幕府で典医として活躍し薬 透頂香を製造しながらお菓子のういろうをもてなしとして出していました。 
その5代目外郎藤衛門が北条早雲(伊勢早瑞)によって都より招かれたおりに京の家を弟に任せ(こちらの家系は絶えています)小田原に知行地を与えられ移住しました。
 この頃の都は応仁の乱で荒れたために文化人がたくさん地方に疎開していたようです。

建物は模擬城郭建築のようでもありますが、コチラは伝統のある建築で、代々 掛造りを踏襲しています。

中へ入ると正面ショウウインドウにういろう等お菓子が並び、その左側は薬コーナーでケロリンなど売っていたような・・、 そして右側は喫茶室になってます。
私はそこでぜんざいをいただきました、 味は勿論おいしかったですよー♪

因みに現在24代目のご当主の通り名も外郎藤衛門さんです。

(株)ういろう
ういろう本店 地図
(livedoor 地図情報)

お江戸 昌平坂はどっち??

相生坂
昌平坂

投稿のため写真を編集しながらはたと考えたら、それだと碑の位置がおかしい??

そこでGoogleしてみると・・・
どうやら、そこから90°折れた神田明神方面に向かう短い坂が本物の昌平坂らしいのだが、、
昔から昌平坂・相生坂・湯島坂、湯島聖堂周囲のどの坂も呼ばわれていたようです。
これでナットク! スッキリです~~

因みに、御茶ノ水駅から向かいに見える塀は 江戸百景 歌川廣重(財団法人 東洋文庫 所蔵 岩崎文庫) の版画にある練塀らしいです。
江戸周辺には潮見坂、皀角坂(さいかちざか)、男坂、女坂、神楽坂、などなど沢山の坂があるので順に訪れてみるのも悪くないですね。



昌平坂、相生坂 地図

2009年2月23日月曜日

復元が進んでいた河村城 (かわむらじょう:神奈川

神奈川県山北町岸、山北
ココから登城
土止め対策路
チョット前になります、久しぶりに河村城を訪ねてみました。
6年前とは大違い!
思っていたより大規模に発掘しているようで木立と藪だったところがきれいに整備されつつあるようです。
今は本郭と蔵郭の間に堀切が復元され橋がかかっていて、更に東側、蔵郭と近藤郭の間の城内最大級の大堀(畝堀)が復元されるようです。
発掘後の埋め戻し後か?
埋め戻し後か?

石垣山一夜城もそうですが、公園整備されているとはいえ元々はミカン畑だったので現場に残された木に残されたミカンの実に哀愁が漂ってました。
大堀の復元が完成すればそれなりになるのでしょうが どこまでの再現で、畝を保護して埋め戻されているのかお話を伺ってみたいもんです。
城内最大級の堀、畝堀も復元中
これは、既に復元されている畝堀

河村城への地図

2008年11月22日土曜日

春日山城 本丸登城 (かすがやまじょう:新潟)

新潟県上越市
たまたま仕事がはやく終わったので、急ぎ足ではありますが春日山城頂上と文化財センターへ行くことができました。

春日山神社の謙信公銅像前に駐車して登城しました。
謙信公も見下ろしたであろう日本海と上越の町を眺めると心が大きくなった気になりますね~~
が、ユックリする暇もなく文化財センターへちょっと寄って帰ってきました。
何はともあれ、本丸に立てたし 来年の大河ドラマ絡みの「直江屋敷跡」も見られて良かったで~す♪

春日山城の由来は麓に春日神社があったからだそうです。 神社名からすると奈良の春日大社の分社でしょう? 春日大社の神域「三笠山」に対し、春日神社の神域が「春日山」だったのでは? かとおもいます。

春日山城(livedoor 地図情報)
日本海まで見渡せる春日山城本丸
復元減毘沙門堂。謙信公はココで護摩を焚いたのか、感慨ふかし
直江屋敷跡

2008年9月7日日曜日

本丸まで辿りつかなかった春日山城 (かすがやまじょう:新潟)

上越市

早朝の僅かな時間しかとれませんでしたが、復元された濠と土塁・東城砦・林泉寺と春日山神社をめぐって参りました。

僅かな時間でしたが、じゅうぶんに堪能できました。
写真は後日

春日山城史跡広場地図

  ------画像追加しました------
東出丸より復元土塁と堀
東出丸2段目

林泉寺 伝、春日山城搦め手門

2008年9月2日火曜日

謙信亡き後に勃発した「御館の乱」舞台(おたて:新潟)

新潟県上越市五智1-22
小田原の北条氏康から関東の地を追われた関東管領上杉憲政のために長尾景虎(上杉謙信)が造営した館で、謙信の政庁としても使われたと言われています。
現在は、信越本線から僅か数40メーターほど北側にあり、区画整理されたところに御館公園があり説明版と碑があるのみです。


*御館の乱
 謙信亡きあと、二人の養子 景勝(長尾)と影虎(北条氏康7男)の跡目争い、越後を二分して争い約2年間続きましたが、景虎の自害で収束しました。

御館の現況は区画整理事業で遺構は消滅してしまったようですが、発掘時には実射されて変形した鉄砲玉、皿、かんざし、などが出土しています。

徒歩:JR信越本線「直江津」駅から西へ10分
地図(御館公園):新潟県上越市五智1-22