◆獅子の段(梅の段)
本丸黒鉄門の前から西方(搦手)方面
獅子の段から本丸石垣獅子の段(梅の段)には何も残っていないですが、かつて倉や櫓があり、黒門を出ると西の丸、搦手へ下るコトができた。
*梅の段より獅子の段の方が引用例が多いので梅の段→獅子の段に修正しました。
高知城3では、は北側の石垣の雰囲気が良かったので獅子の段と杉の段から二の丸、三の丸の石垣→追手門→内堀沿いに搦手門跡へと廻ります。
この櫓と石垣を見ると本丸へ攻められる気がしません。
獅子の段のトイレ背後の石垣上にかつて二の丸乾櫓が建っていました。
二の丸北側の石垣
搦手門跡 MAP
搦手門跡の目と鼻の先に吉田東洋が開いた藩校の表門があり、現在は高知県立武道館の門となっている。
この日は風雨の中、傘をさしながらの登城だったので全体的に中途半端な写真になってしまったのが残念でした。
高知城には このような鈍角の隅石垣が散見されます。
綿倉とは倉庫になっていた櫓門であろうか?
◆三の丸下(杉の段)
綿倉門跡から下って来ました。
獅子の段もそうですが、曲輪の範囲が良く分からず? ココを杉の段と呼んで良いのか不安!?
北側下方を見ると証文蔵跡の案内板が見えます。
その背後の建物はトイレです。
その背後の建物はトイレです。
写真では分かり難いですが、雨のためシットリした石垣が良い感じ。
苔生した石垣。
ココから左方に進むと山内一豊の妻像を経て追手門へ下る。
◆追手門、御馬場(現・丸ノ内緑地)
追手門まで戻ってきました!
撮影している所に塀でしきられていました。
トイレの向う側が御馬場跡。
土佐藩、表高20万4千石の門扉。
幕末の裏高は50万石近くの収入があったようです。
今は丸の内緑地となり馬場の存在は感じられません。
時代が下ると内堀の外に新馬場ができたようです(内堀跡西側地区のところ)。
◆下屋敷まえの内堀
思いのほか堀幅が狭いので道路ナドに取られたのであろうかと思います!?
ココには御殿が立ち並んでいました。
高知県庁からの登城路が無いので追手門か搦手門跡へ廻る必要があります。
◆内堀跡西側地区
内堀跡西側地区既に埋められてしまった内堀の位置を砂利で表現しています。
奥の山裾を進むと100m程で搦手門跡です。
案内板によると発掘調査と古絵図から堀位置を確定したそうです。
もう一つの案内板には異なる時代の絵図を並べて表示されていて参考になるがそれぞれの絵図の方角がバラバラなので混乱するかも・・・
◆搦手門跡
ココは当時からある道のようで、90度右折して搦手門を通ります。
門のおおよその位置に赤線を入れてみました。こんな感じで櫓門が建っていたようです。
門はこの先で土橋で接続。先に見えている道路は水堀となっていました。
堀は無くなったのでピンときませんが石垣がいい感じに残っています。
搦手門跡 MAP
◆藩校 致道館表門(県指定重要文化財)
搦手門跡の目と鼻の先に吉田東洋が開いた藩校の表門があり、現在は高知県立武道館の門となっている。
他にも、ココから北西方向に向かい江の口川を渡った先の小津高校の所に土佐藩 開成館の移築門も残るが悪天候のため断念!
また、追手門近くに教授館跡があります。
この日は風雨の中、傘をさしながらの登城だったので全体的に中途半端な写真になってしまったのが残念でした。
過去Blog:
◆桜馬場・外堀 *追加2021/9/4
搦手門跡から西の城西公園の所に架かるのが桜馬場橋です。
この後は龍馬記念館ナドを見に上町に向かいました。
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