2021年8月31日火曜日

高知城下B 幕末の足跡(こうちじょうか2:高知)

■坂本龍馬生誕地
高知県高知市上町1-7-33
坂本龍馬誕生地

とさでん交通路面電車が通る国道33号線沿いの上町病院🏥の所が龍馬の誕生地
坂本龍馬誕生地碑

上町病院がほぼ坂本家であるようですが詳細は不明。
毎年11/15日にココで龍馬の誕生祭が行われる。
龍馬ベンチ

誕生地碑の正面に龍馬の肖像が付いたベンチが設置されており良い撮影ポイントとなってます。

とさでん交通上町一丁目」停留所下車、すぐ
駐車場:なし



■坂本龍馬由縁の秋葉神社
高知県高知市上町1-8-1
秋葉神社

神社坂本家の東方にあり坂本龍馬が小さいころココで遊んだとのことです。


とさでん交通「桝形」停留所から南西へ徒歩150m
駐車場:なし



■高知市立龍馬のうまれた町記念館
高知県高知市上町2-6-33
記念館を西から

道路の真ん中に水路があるので城下の風情が感じられます。
坂本乙女、坂本龍馬、近藤長次郎像

龍馬より乙女姉さんの存在に威圧されます。
幕末の上町の模型

模型の手前左側には「才谷屋」がみえます。
 
 ※新型コロナの影響で休業中(2021/8/31時点) 
とさでん交通上町一丁目」停留所下車、南西へ徒歩150m
駐車場:あり。建物正面は障害者用! 東へ80mに10台(無料)
トイレ:あり



■才谷屋跡
高知県高知市上町3-7附近
才谷屋附近

坂本家の本家「才谷屋」は住宅街となっています。龍馬の変名 才谷梅太郎はココからとったそうです。
現代の才谷屋

かつてコーヒーショップ 才谷屋でしたが、今は学習塾 才谷屋になっているようです。

司馬遼太郎氏の「竜馬が行く」が云うところの饅頭屋! 近藤長次郎邸跡は見落としました~ 残念

駐車場:なし



■河田小龍邸跡、塾跡
高知県高知市上町3-15附近
水天宮

アメリカから帰国したジョン万次郎を取調べをしたのが河田小龍であり、その塾で坂本龍馬は大いに影響されました。
ココが河田小龍邸に含まれるかは分かりません。
月の瀬橋の下から河田小龍塾跡

住宅街の一角を歩いてみましたが往時の雰囲気は味わえません。月の瀬橋のたもとの西側となっているので場所はココで間違いないようです。

駐車場:なし



■日根野道場跡
高知県高知市上町2-10附近
日根野道場跡

龍馬が世情を仲間と語り合ったであろう道場の跡。 土手の下方に日根野道場が存在したようです。

右に見える水丁場の石柱は、鏡川の氾濫ナド災害時武士・町人に割り振られた丁場(持ち場)の一つ。

駐車場:なし



■オマケ 龍馬郵便局と龍馬POST
高知県高知市上町1-8-18
龍馬郵便局

秋葉神社から日根野道場跡を探しに行く途中で龍馬の名が冠した郵便局を発見!
龍馬像がドンと迎えてくれます。
龍馬POST

POSTの上には桂浜の波地球龍馬のオブジェが載ってます。
龍馬ファンの方はゼヒ!


駐車場:郵便局利用者用あり



2021年8月28日土曜日

高知城下 A(こうちじょうか A:高知)

■藩主下屋敷
高知高知市鷹匠町1ー3ー35(三翆園)
山内家下屋敷跡

藩主の下屋敷(別邸)で鷹匠公園三翆園の周辺です。
山内容堂西郷隆盛と面会したのもこの屋敷であり、明治時代になると山内家の本邸となりました。
鷹匠公園

下屋敷の場所は、元々はに囲まれた一角にあった数軒の家臣屋敷を移転させ藩主の屋敷を建てたようです。
山内家屋敷跡長屋展示館

この先に鏡川が流れているので奥には土手状に高まりがあります。


案内板

隣接するホテル三翆園から高知市長屋寄贈され、現在は無料公開されています。
長屋の展示から

銭箱などの道具類。
船の模型展示

夕顔丸土佐藩蒸気船
坂本龍馬から後藤象二郎への船中八策はこの船の中で行われた。他にも和船の数隻の模型があります。
三翠園側から長屋

ホテル三翠園からの裏側。
南から長屋

山内容堂西郷隆盛と面会したのもこの屋敷であり、明治時代になると山内家の本邸となりました。

山内家下屋敷長屋展示館:年中無休(臨時休あり)、入館無料
とさでん交通県庁前」停留所下車、南へ徒歩3分
駐車場:なし、近隣のコインP
トイレ:鷹匠公園利用



木曜市

この日はあいにくの雨でしたが鷹匠公園前の道路脇に毎週木曜日がたちます。
後方には下屋敷長屋が写る。
木曜市

売り物はイロイロありましたが自分は柑橘類を求めました。







■山内神社
高知県高知市鷹匠町2-4-65
山内神社 東参道

写真は旧山内家下屋敷長屋前の道路を登り切った所。
反対側の西参道からも参拝できます。
山内神社

廃藩置県の年である明治4年祖霊を祀るため社殿を造る。最終的に昭和15年に歴代藩主を合祀した。
山内容堂公像

像は大政奉還を慶ぶ山内容堂公となっていて、片手に盃を持っています。

駐車場:あり


■武市瑞山殉節の地
高知県高知市帯屋町2-5-18
武市瑞山殉節の碑

ひろめ市場を南側へ出た四国銀行の角です。
いやぁ~ 武市瑞山(半平太)はココで襲撃されたのですね~



■ひろめ市場(深尾広人邸跡)
高知県高知市帯屋町2-3-1
ひろめ市場

この付近に土佐藩の家老 深尾広人の屋敷跡に由来するのがひろめ市場です。
自分はココで藁焼き鰹のたたきをいただきました。

駐車場:あり(有料)
トイレ:あり


■北會所竝教授館跡
高知県高知市追手筋2-3
北会所竝教授館碑

教授館土佐藩最初藩校ジョン万次郎もココで講義をしました。
場所はひろめ市場の北側の道路(追手道)を隔てたところに石碑があります。



■立志社跡(中央公園)
高知県高知市帯屋町1-11-27
立志社跡

自由民権 板垣退助らが立ち上げた立志社の跡地。
今はが建つのみ。

とさでん交通はりまや橋」と「堀詰」停留所の中間
駐車場:なし
トイレ:公園内にあり



■はりまや橋
高知高知市はりまや町1
はりまや橋の堀跡

模擬的に堀割りが表現されている。
はりまや橋

コンクリート再現で短いですが、その昔に播磨屋さんが実費で架けた橋。

とさでん交通はりまや橋」駅下車、北へ1分以内


■高知駅前
高知高知市来た本町2-10-17
土佐三志士三傑の像

高知駅前の武市半平太坂本龍馬中岡慎太郎の銅像
高知駅前

高知観光情報発信館とさてらす」(レンタサイクルあり)
パビリオン龍馬伝幕末志士社中(龍馬伝の撮影セットあり)
お土産販売あります!
パビリオン「龍馬伝」幕末志士社中

大河ドラマ龍馬伝」の撮影セットが移設されています。
模型

龍馬伝」撮影風景の模型
喫茶コーナー

一部の部屋が喫茶コーナーになっています。
内部を一周するとココに出ます

屋敷内に水路が流れてます。
セットとはいえ中々よくできたものです。

JR土讃線「高知」駅下車、とさでん交通高知駅前」停留所下車



■新堀川 堀割り発掘現場
高知高知市菜園場町1
国道55号線の橋の上から新堀川
 
現場は横堀公園西側の新堀川です。
横堀新堀2つの堀を総称して新堀川となったようです。
新堀川の発掘現場

護岸を発掘したところ4.5mあったそうです。更に護岸の内側に石積みが出土した模様です。
*訪れた時から月日が経っているので現在どうなっているか不明?

■武市半平太邸跡、道場跡
高知県高知市菜園場町1(横堀公園)
高知高知市桜井町1-2-31(絵図による実際の位置)
横堀公園

を中心としてみると横堀の外側横堀公園があり、その北側に武市半平太邸跡とその道場跡立看板があります。
案内板 1

中岡慎太郎岡田以蔵らが世情を語り合って剣の鍛錬したところ! 何も残りませんが感慨深いですね~
案内板 2

この案内板のお陰で本来の武市邸の位置を確認できます。
公園から実際の武市邸跡を見る

上の案内板によると正面に見える駐車場の隣のビルの辺りと思われます。


横堀公園 MAP(案内板のところ)
とさでん交通菜園場町」停留所下車、北北西に1分
駐車場:なし
トイレ:あり

2021年8月16日月曜日

高知城3 獅子の段→杉の段→県庁前→搦手(こうちじょう3:高知)

◆獅子の段(梅の段)
本丸黒鉄門の前から西方(搦手)方面

獅子の段(梅の段)には何も残っていないですが、かつてがあり、黒門を出ると西の丸搦手へ下るコトができた。
*梅の段より獅子の段の方が引用例が多いので梅の段→獅子の段に修正しました。
獅子の段から本丸石垣

高知城3では、は北側の石垣の雰囲気が良かったので獅子の段杉の段から二の丸三の丸石垣追手門内堀沿いに搦手門跡へと廻ります。
獅子の段から廊下門櫓と西多門櫓

この石垣を見ると本丸へ攻められる気がしません。
獅子の段から二の丸乾櫓台

獅子の段のトイレ背後の石垣上にかつて二の丸乾櫓が建っていました。
二の丸北側の石垣

高知城には このような鈍角の隅石垣が散見されます。
綿倉門跡
跡は、この先の石階段の所ではなくこのスロープのとちゅにありました。
綿倉とは倉庫になっていた櫓門であろうか?


◆三の丸下(杉の段)
杉の段から三の丸石垣

綿倉門跡から下って来ました。
獅子の段もそうですが、曲輪の範囲が良く分からず? ココを杉の段と呼んで良いのか不安!?
証文蔵跡

北側下方を見ると証文蔵跡の案内板が見えます。
その背後の建物はトイレです。
こちらも三の丸石垣

写真では分かり難いですが、雨のためシットリした石垣が良い感じ。
三の丸北側の石垣

苔生した石垣。
同じく杉の段から

ココから左方に進むと山内一豊の妻像を経て追手門へ下る。


◆追手門、御馬場(現・丸ノ内緑地)
追手門を内側 

追手門まで戻ってきました!
撮影している所に塀でしきられていました。
トイレの向う側が御馬場跡。
追手門

土佐藩、表高20万4千石の門扉。
幕末の裏高は50万石近くの収入があったようです。
御馬場案内板

今は丸の内緑地となり馬場の存在は感じられません。
時代が下ると内堀の外に新馬場ができたようです(内堀跡西側地区のところ)。


◆下屋敷まえの内堀
内堀

思いのほか堀幅が狭いので道路ナドに取られたのであろうかと思います!?
下屋敷(現・高知県庁)

ココには御殿が立ち並んでいました。
県庁前の案内板

高知県庁からの登城路が無いので追手門搦手門跡へ廻る必要があります。



◆内堀跡西側地区
内堀跡西側地区

既に埋められてしまった内堀の位置を砂利で表現しています。
奥の山裾を進むと100m程で搦手門跡です。
内堀跡西側地区案内板

案内板によると発掘調査と古絵図から堀位置を確定したそうです。
古絵図入り案内板

もう一つの案内板には異なる時代の絵図を並べて表示されていて参考になるがそれぞれの絵図の方角がバラバラなので混乱するかも・・・



◆搦手門跡
致道館表門前から搦手門跡

ココは当時からある道のようで、90度右折して搦手門を通ります。
搦手門跡

のおおよその位置に赤線を入れてみました。こんな感じで櫓門が建っていたようです。
内側から搦手門跡

門はこの先で土橋で接続。先に見えている道路は水堀となっていました。

は無くなったのでピンときませんが石垣がいい感じに残っています。

搦手門跡 MAP


◆藩校 致道館表門(県指定重要文化財)
致道館表門

搦手門跡の目と鼻の先に吉田東洋が開いた藩校表門があり、現在は高知県立武道館となっている。
致道館表門の屋根

他にも、ココから北西方向に向かい江の口川を渡った先の小津高校の所に土佐藩 開成館移築門も残るが悪天候のため断念!
また、追手門近くに教授館跡があります。

案内図を基に作成

この日は風雨の中、傘をさしながらの登城だったので全体的に中途半端な写真になってしまったのが残念でした。

過去Blog


◆桜馬場・外堀 *追加2021/9/4
桜馬場橋

搦手門跡から西の城西公園の所に架かるのが桜馬場橋です。
案内板によれば橋を渡ったところに二町三十三間桜馬場がありました
案内板

寛文9年(1670)の図をもとにしている。
桜馬場橋から南を見る

この後は龍馬記念館ナドを見に上町に向かいました。