2020年12月22日火曜日

ただいまPC不調!!

現在 PC不調につき更新不能です!

高知城をアップ予定ですが 文章ならスマホでいいのですがPCで写真編集が出来ないので少々お待ちください。

2020/12/22

2020年12月10日木曜日

高知市の 潮江城 山容のみ!(うしおえじょう:高知)

高知県高知市筆山町10
山内家下屋敷跡の前から潮江城

鏡川を境にコチラが高知城の城下となります。
遺構は少ないようだが竪堀が確認できるそうです。
また 筆山の北側下方土佐藩主 山内家の歴代の墓所(施錠、要申込み)があります。
潮江城の歴史は古く南北朝時代南朝方大高坂山城(高知城)を救援すべく南朝方の軍が潮江城に拠りました。 当初は臨時の陣城であったのかも!?
高知城天守から潮江城を眺める

時代は下って戦国時代、前回Blogで触れた長宗我部元親 初陣戸の本の戦い本山方を破った長宗我部軍は余勢を駆って潮江城をも難なく手に入れました。その後もとして機能していたようです。

現在は筆山公園として地元の方の憩いの場で夜景スポットにもなっております。
自分は登城したかったのですが台風絡みの雨でそれどころでは無く遠景写真のみとなりました。
岡豊城本山氏の朝倉城も断念したので機会があったらもう一度行ってみようと思ってます。

とさでん交通梅の辻」停留所下車、西へ徒歩で9分で登山口(山内家歴代墓所の辺り)、そこから標高118.3mの登山
駐車場:あり
トイレ:あり、第2駐車場ナド

2020年12月6日日曜日

一領具足の碑、長浜の 長宗我部元親公銅像(いちりょうぐそくのひ、わかみやはちまんぐう:高知)

■一領具足の碑
高知県高知市浦戸
石丸神社

浦戸城下方にある一領具足の碑へやって来ました。

関ヶ原の戦い西軍が敗れると長宗我部盛親領地没収。 上使井伊直政らが浦戸城の受取り出向いたが明け渡しに抵抗した長宗我部家臣のおよそ270名を粛清した。その後山内一豊浦戸城に入りました。
一領具足供養の碑

打ち取られた遺体を埋葬し石丸塚を建立、これが石丸神社となっています。
は道路建設のため西北20m移設されています。
忠魂不滅の碑

昭和14年(1939)建立、土居晩翠が刻まれています。
五輪塔

一領具足:兵農分離が遅れた土佐では農作業の傍らに一領の具足を田の傍に置き陣触れがあれば直ぐに城へ駆けつけた。それが長宗我部軍の強さでもあった。


駐輪場:あり(脇に駐車できます)
トイレ:あり(県道34号線を西へ60m)



■若宮八幡宮・長宗我部元親公銅像
高知県高知市長浜
初陣像の看板

ココは鎮守の森公園となっています。
この案内は目立ちますが油断していて通り過ぎそうになりました💦
駐車場脇の馬防柵

駐車場前には模擬的に馬防柵が設えてあり柵の向う側は八幡宮参道です。
因みに、長宗我部軍は浦戸城を弱体化させるために若宮八幡宮から海岸までを設置したと書かれています。
やぐら台

この案内板を読むと模擬的やぐら台と比定しているようで実際はわかりません。
北へ進むと長宗我部元親初陣像

浦戸城本山茂辰は奪われた長浜城奪還するため攻め寄せて来ます。
一方、長宗我部元親両軍は戸の本で激突し元親は勝利します。
余勢を駆って元親潮江城まで攻略しました。
1
戸の本の戦い初陣長宗我部元親若宮八幡宮の松林本陣を構えました。
元親初陣像

没後400年に当たる平成11年(1999)に有志により建立された。
周辺案内地図

元親公の命日に近い5月の日曜日に開催とのことですが2020年第9回長宗我部まつり は新型コロナ禍の影響で中止となっています。



駐車場:あり
トイレ:なし(若宮八幡宮利用か?)

 

2020年12月3日木曜日

土佐の 浦戸城(うらとじょう:高知)

高知県高知市浦戸
■浦戸城・坂本龍馬銅像
桂浜駐車場から浦戸城

かつては海の中であったであろう所から浦戸城
右側に見える浦戸大橋の辺りは浦戸湾で、その奥へ進むと大高坂山(高知城)まで船の便が使える。
浦戸城跡碑
1
豊臣大阪城を見ている元親はそれなりの天守があったとおもわれます。
領主本山氏→長宗我部氏→山内氏→廃城令
移設石垣①

国民宿舎 桂浜荘の改修時に出土
そこから30mほどの移設
桂浜荘に沿って奥へ進むと移設石垣②があります。
天守台登り口の案内板

本山氏時代には天守は無く長宗我部氏以降であるとおもわれています。
天守台跡

5間四方天守台三重の天守が建っていました。
今では見る影もありませんが天守台斜面に一部の石垣が埋もれているようです。
天守台から下る

階段は坂本龍馬記念館の眼前。
詰(本丸)にある龍馬記念館

詰の段造成はなはだしくの手掛かりが無い中で建物の後方へ向かって下る駐車場(海側)の段が曲輪の平場であろうと想像できます。
龍馬記念館のシェークハンド龍馬像

2017年目黒雅叙園で開催された「土佐から来たぜよ! 坂本龍馬展」で握手した龍馬像と同じ像かと思います。
記念館の展示パネルから古図

館内には同じパネル内に同サイズで香川元太郎氏描いた鳥瞰図があり両方を参考にして廻るとヒジョーに分かり易いです。
龍馬記念館から太平洋側

下方の海の近く一領具足の碑がありますが次のBlogで載せます。
くじら日時計脇の公園図

地図緑色の部分がほぼ浦戸城城域です。
詰からすこし下りてきたところ

ガードレールの道路を上った先の駐車場の平場(曲輪)跡のようです。
桂浜へ下りて来ました

この日は台風が近づいていて酷い風でした!
宿泊した高知市街はマシだったのでこの浦戸城居城とすると台風ナドで甚大な被害が出そうなので山内一豊高知城への移転は正解ですね。
但し長宗我部元親大高坂山(高知城)へ移転しようとしたが朝鮮半島出兵のため浦戸城に居続けたようです。
坂本龍馬像

太平洋に視線をおくる龍馬像と同じ目線で周囲を眺められる有料展望台が脇にあります。
古図には燈明台と書かれていて物見灯台(曲輪)に使われたようです。

10月なのに台風の影響が酷く天守台付近に埋もれた石垣や下方にある三重堀ナドを細かく見て廻れなかったのが残念です!

BlogLink(坂本龍馬像関係):

浦戸城 MAP(坂本龍馬資料館のところ)
JR 土讃線「高知」駅からとさでん交通 バスS3で「桂浜」バス停下車(40分ほど)
駐車場:あり(龍馬資料館利用は無料。桂浜公園駐車場は有料。)
トイレ:あり

近くには、南西に一領具足の碑。西に長宗我部元親公墓所若宮八幡宮(長宗我部元親の初陣像あり)、戸の本古戦場。西北西に長浜城がある。


2020年12月1日火曜日

岩崎弥太郎生家、野良時計(いわさきやたろうせいか、のらどけい:高知)

■岩崎弥太郎生家
高知県安芸市井ノ口甲
岩崎弥太郎生家駐車場

先の安芸城 追手から北西へ1.6km、カーナビのおかげで難なく到着!
駐車場岩崎弥太郎像がお出迎え!
貫禄の岩崎弥太郎像

弥太郎天保5年(1835)生まれで土佐藩が設置した商社 土佐商会大阪商会九十九商会三菱商会、最終的に三菱財閥の礎を築いていきました。

この生誕150年を記念して別の場所に建立されましたが、H27年(2015)に生家近くに移されたようです。
弥太郎生家入口

駐車場からすぐ、反対側には まる彌カフェ農産物ナドを扱うショップあり。
案内板

17:00の閉館まで数10分の余裕がありましたが閉ざされておりました!
コロナ禍のため仕方ないか・・・(2020/Oct)
垣根越しの岩崎弥太郎生家

生家樹木は当時のままとのことです。現在も岩崎家の所有です。
弥太郎日本列島を表した石列もありますが中へ入れなかったので写真ありません。

左方に見える石碑岩崎弥太郎誕生之地」は三菱グループ有志協賛建立されたそうです。

岩崎弥太郎生家駐車場 MAP 弥太郎銅像のところ
土佐くろしお鉄道 ごめん・なはり線「安芸」駅下車、北北西に徒歩40分。ぢばさん市場でレンタル自転車が便利
駐車場:あり
トイレ:あり



■野良時計
高知県安芸市土居638-4
駐車場から歩いてすぐ

土居郭中武家屋敷から300mほど南にあり県道213号線(チクタク通り)沿いあるのが野良時計です。
、お隣りには高園茶屋があります。
野良時計

明治20年(1887)に地主畠中源馬氏が家にあった米国製時計を分解研究して歯車ナド部品を自作して造り上げた時計台です。
野良時計全体

以来、120年にわたって時を刻み続ました。
現在は、観光シーズンやイベント時ナドで動かしているようです。
野良時計駐車場

野良時計前から、
駐輪場は広さがあるので台数制限の心配はありません。



野良時計 MAP(野良時計駐車場)
土佐くろしお鉄道 ごめん・なはり線「安芸」駅下車、北北東へ徒歩20分。ぢばさん市場でレンタル自転車が便利
駐車場:あり
トイレ:あり