高知県高知市浦戸
■浦戸城・坂本龍馬銅像
かつては海の中であったであろう所から浦戸城。
右側に見える浦戸大橋の辺りは浦戸湾で、その奥へ進むと大高坂山(高知城)まで船の便が使える。
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豊臣大阪城を見ている元親はそれなりの城と天守があったとおもわれます。
領主は本山氏→長宗我部氏→山内氏→廃城令
国民宿舎 桂浜荘の改修時に出土。
そこから30mほどの移設。
桂浜荘に沿って奥へ進むと移設石垣②があります。
本山氏時代には天守は無く長宗我部氏以降であるとおもわれています。
5間四方の天守台に三重の天守が建っていました。
今では見る影もありませんが
天守台斜面に一部の
石垣が埋もれているようです。
天守台から下る
階段は坂本龍馬記念館の眼前。
詰の段の造成はなはだしく城の手掛かりが無い中で建物の後方へ向かって下る駐車場(海側)の段が曲輪の平場であろうと想像できます。
2017年に目黒雅叙園で開催された「土佐から来たぜよ! 坂本龍馬展」で握手した龍馬像と同じ像かと思います。
館内には同じパネル内に同サイズで香川元太郎氏描いた鳥瞰図があり両方を参考にして廻るとヒジョーに分かり易いです。
龍馬記念館から太平洋側
下方の海の近くに一領具足の碑がありますが次のBlogで載せます。
地図の緑色の部分がほぼ浦戸城の城域です。
ガードレールの道路を上った先の駐車場の平場は段(曲輪)跡のようです。
この日は台風が近づいていて酷い風でした!
宿泊した高知市街はマシだったのでこの浦戸城を居城とすると台風ナドで甚大な被害が出そうなので山内一豊の高知城への移転は正解ですね。
但し
長宗我部元親も
大高坂山(高知城)へ移転しようとしたが朝鮮半島出兵のため
浦戸城に居続けたようです。
坂本龍馬像太平洋に視線をおくる龍馬像と同じ目線で周囲を眺められる有料展望台が脇にあります。
古図には燈明台と書かれていて物見や灯台(曲輪)に使われたようです。
10月なのに台風の影響が酷く天守台付近に埋もれた石垣や下方にある三重堀ナドを細かく見て廻れなかったのが残念です!
BlogLink(坂本龍馬像関係):
JR 土讃線「高知」駅からとさでん交通 バスS3で「桂浜」バス停下車(40分ほど)
駐車場:あり(龍馬資料館利用は無料。桂浜公園駐車場は有料。)
トイレ:あり
近くには、南西に一領具足の碑。西に長宗我部元親公墓所、若宮八幡宮(長宗我部元親の初陣像あり)、戸の本古戦場。西北西に長浜城がある。