■一領具足の碑
高知県高知市浦戸
浦戸城下方にある一領具足の碑へやって来ました。
関ヶ原の戦いで西軍が敗れると長宗我部盛親は領地没収。 上使の井伊直政らが浦戸城の受取り出向いたが城の明け渡しに抵抗した長宗我部家臣のおよそ270名を粛清した。その後山内一豊が浦戸城に入りました。
一領具足供養の碑打ち取られた遺体を埋葬し石丸塚を建立、これが石丸神社となっています。
碑は道路建設のため西北20m移設されています。
昭和14年(1939)建立、土居晩翠の詩が刻まれています。
一領具足:兵農分離が遅れた土佐では農作業の傍らに一領の具足を田の傍に置き陣触れがあれば直ぐに城へ駆けつけた。それが長宗我部軍の強さでもあった。
駐輪場:あり(脇に駐車できます)
トイレ:あり(県道34号線を西へ60m)
■若宮八幡宮・長宗我部元親公銅像
高知県高知市長浜
ココは鎮守の森公園となっています。
この案内は目立ちますが油断していて通り過ぎそうになりました💦
駐車場前には模擬的に馬防柵が設えてあり柵の向う側は八幡宮参道です。
因みに、長宗我部軍は浦戸城を弱体化させるために若宮八幡宮から海岸まで柵を設置したと書かれています。
この案内板を読むと模擬的にやぐら台と比定しているようで実際はわかりません。
浦戸城の本山茂辰は奪われた長浜城を奪還するため攻め寄せて来ます。
一方、長宗我部元親両軍は戸の本で激突し元親は勝利します。
余勢を駆って元親は潮江城まで攻略しました。
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戸の本の戦いで初陣の長宗我部元親は若宮八幡宮の松林に本陣を構えました。
没後400年に当たる平成11年(1999)に有志により建立された。
元親公の命日に近い5月の日曜日に開催とのことですが2020年は第9回長宗我部まつり は新型コロナ禍の影響で中止となっています。
駐車場:あり
トイレ:なし(若宮八幡宮利用か?)
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