高知県安芸市土居953-イ(歴史民俗資料館のところ)
蘇我赤兄の子孫が国人化した安芸氏が居城としたところが安芸城。と云われています。
(城主は安芸氏→長曾我部元親の弟 香宗我部親泰→山内一豊の家臣 五藤氏)
遠くからでも城の麓に城郭建築風の書道美術館が見えるので城跡への目安になります。
奥の土橋のところが追手土橋。
追手門跡(大手)
追手は枡形となっております。
同じく県内の高知城でも大手は追手となっているので追手で統一します。
追手門跡は立派な石垣で構成されています。
山内一豊が入れた五藤氏時代の石垣が現在残っているようです。
追手を入ると五藤家があります。
この日は定休ではないのに閉ざされておりました。
五藤家安芸屋敷と
廓中武家屋敷は貴重な遺構です。
資料館と美術館の間から東側の土塁
見てのとおり内側が石垣となっています(外側は土塁)。
資料館には五藤家家宝の矢じりが展示されています。
これは
織田信長の
朝倉攻めの際に
山内一豊の頬に
矢が刺さった時に
五藤為浄が
主人である
一豊の顔を踏みつけて抜いた
矢が興味深いです。
毒井戸
安芸vs長宗我部の抗争で矢流れ合戦で安芸国虎を破った長宗我部元親は国虎の安芸城を攻めました。その時に城内の横山民部を内通させ、民部はこの井戸に毒を入れて戦意を喪失させたと伝わっています。国虎は自刃し安芸氏は滅びます。
落城後に
元親は弟の
香宗我部親泰を入れました。
五藤氏を祀った藤崎神社
関ヶ原の戦の敗戦で長宗我部盛親の代わりに山内一豊が土佐国に入り その家臣の五藤氏が安芸を任されました。
本来の上り口なのでしょうか?
城の
南から
西に
内堀を廻らせ、その延長の
北にはの
城ヶ淵が
天然の堀となっていました。
外堀としては
東側の
安芸川、
西側の
矢の川が流れていました。
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五藤家安芸屋敷の背後には石垣があります。
三ノ段は狭く、先端が小山が櫓台では?と思います。
眺望が開けていて監視所として良し!
ココが虎口跡のようです。
詰は建物を建てるナド充分な広さがあります。
ニノ段(虎口)側に土塁がありますが北ノ段側には土塁はありません。
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ココは三角形の曲輪で。北ノ段から詰に上る段差のところに石垣があります。
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GoToキャンペンーン利用で
駐車場:追手の前に歴史民俗資料館・書道美術館利用者用駐車場あり(手前4台分)。
他には、歴史民俗資料館・書道美術館の東側の土居の外が駐車可となっています。
また、徒歩圏内の廓中ふるさと館にも駐車できそうです。
安芸市立歴史民俗資料館:大人¥330、9:00-17:00(2020/10現在)
書道美術館:大人¥330
*「安芸」駅にある「ぢばさん市場」に無料レンタル自転車あり。
土佐くろしお鉄道 ごめん・なはり線「安芸」駅下車、東北東へ徒歩26分
駐車場:あり
トイレ:あり(資料館利用、廓中ふるさと館、野良時計駐車場利用)
近くには、北西に岩崎弥太郎生家。南西に浄貞寺(安芸国虎墓所)。西南西に矢流古戦場。東に姫倉城がある。