2017年7月31日月曜日

豊臣氏大坂城内武家屋敷跡 と 適塾跡(ぶけやしきあと、てきじゅくあと:大坂)

大阪府大阪市中央区石町2-5-3
豊臣氏大阪城内武家屋敷跡

場所は、エル・大阪(大阪府立労働センター)の南館になります。
そのエントランス前に、地中から発掘された遺物地上へと移設展示されています。
案内板

現在の道路豊臣時代同じ地割であるそうです。


豊臣氏大阪城内武家屋敷跡 地図


大阪府大阪市中央区北浜3-3-8
適塾跡

1845年(弘化2)に緒方洪庵が購入した江戸時代後期の町屋(現存)で、現存唯一蘭学塾遺構
この適塾は、々塾々斎塾ナドと呼ばれいました。
適塾石碑

福澤諭吉橋本左内大村益次郎大鳥圭介 他多くの偉人を育て、
また、多くの塾生各地医療を広め、多方面に渡って影響を与えた感慨深いところです!

一般 ¥260、高校・大学生等 ¥140、中学生以下 無料

Link: 大阪大学 適塾記念センターH・P

適塾 地図

オマケ!
大阪府大阪市北区堂島1-4-30
国産ビール発祥の地

国産ビール!となっていますが、

①明治3年(1870)に外国人横浜で(現・麒麟ビール)、
②明治5年(1972)に日本人堂島で、とゆうことのようです。

③明治2年(1869)に東京品川でもビールが造られていたようですが、短期で終息したようです。その為品川ビール発祥の地と名乗っています。

場所は、大阪駅から徒歩で東南東に9分くらいです。


過去BlogLink:山内家 土佐藩 下屋敷 2014/12/23 (ビール発祥絡み)


国産ビール発祥の地碑 地図 (ANAクラウンプラザホテル前の三角地帯)

2017年7月25日火曜日

大阪城の櫓 内部特別公開 2017(おおさかじょう:大阪)

大阪府大阪市中央区大阪城2
重要文化財の 大手の多聞櫓千貫櫓焔硝蔵3棟が特別公開されている大阪にやって来ました!(厳密には4棟)
特別公開大手門続櫓から入場 渡櫓へ移り、一旦 外に出て千貫櫓へ向い、千貫櫓から外に出ると、そこは西の丸です。そして西の丸北辺の焔硝蔵まで歩くとゆう順路になっています。
櫓内部特別公開券売所

この後ろから入場します。

☆大手口多聞櫓(続櫓)


階段を上ったら靴を脱ぎ袋に入れて先へ進みます。

大手口 続櫓

廊下の左手が桝形内で、大手から進入してくる敵をココと渡櫓から攻撃するのだが、石狭間が強力そう!
廊下の右側には6部屋あり、敷居の落差があるのでが入っていた可能性が高い!そうです。
ココが続櫓渡櫓との連結部

中に居ると別棟の感じはしません。
渡櫓に入りました

この下には渡櫓門があります。
渡櫓天井なし

コチラは部屋がしつらえられて無い分、広いスペースがあります。

☆千貫櫓


千貫櫓!は、
「御はしら立 元和六年九月十三日(1620年)」の墨書が見かったので、徳川氏大阪城初期建築と考えられます。
千貫櫓から

大手門と併せ、敵を確実に防御できますね。
鉄砲射手の人形

ココは石狭間格子窓と併せ攻撃できます。
千貫櫓部屋

ココも敷居の高いのでが入っていたか?

☆焔硝蔵

西の丸に存在するため、普段は「西の丸庭園入場料を払い外観のみ見ることができます。
焔硝蔵の厳重な二重扉

は緑色をしているので銅の合金か?
石壁が強烈

厚さ2.4m花崗岩で出来た、石造りの火薬庫。
漆喰でしっかり目止めされてます

※特別公開は2017/3/8~11/26迄(通常は土日のみ、夏休み中は連日!)
櫓内部特別公開:
櫓と天守閣のセット券 大人(高校生以上)¥1200
櫓入場券 大人(高校生以上)¥700



⚪︎乾櫓(西の丸)


今回は、公開されていません外観のみ!)
乾櫓を内側から

この乾櫓は、ヘラ書元和6(1620)の銘が残っているので初期徳川大阪城と思われています。

大阪城パークセンターH・P

2017年7月18日火曜日

東京フォーラム、太田道灌像 と 江戸城天守模型 (おおたどうかんぞう、えどじょうてんしゅもけい:東京)

東京都千代田区丸の内3-5
東京国際フォーラム

太田道灌像とその道灌が造った江戸城の関連の展示をみてきたのでアップします。
太田道灌像

この像は旧・都庁に存在しましたが、都庁新宿に移転した後にこの東京国際フォーラム(元 都庁)に設置したそうです。
展示の一部

展示は多くは無いですが、いま巷で注目されている応仁の乱に間接的に関係する関東の様子を時系列で表示している。
江戸城天守模型(長谷川進氏制作)

東京国際フォーラムNPO法人江戸城天守を再建する会連携でこの場所に関東戦国史ナドのパネルやこの天守模型を設置しています。
(2017/3/28から常設)
道灌築城の江戸城想定図

もあり(品川湊と連携して)当時としては物資も豊かなところだったのでしょうね!
香川元太郎氏のイラストはどれを見ても分かり易く、現地と見比べてもイメージが涌いてきます!(監修:西ケ谷恭弘氏)
江戸城内の案内板から

加工写真追加!
上の想定図は現在の二の丸、三の丸を活かした図になっていますね!!


さて、話はかわりますが
来週は休暇をとって「大阪城 内部特別公開」と京の街ををブラブラしてきます。

東京国際フォーラム 地図 (道灌像のところ)
JR有楽町」駅下車、北北東に徒歩3分
JR東京」駅下車、南へ徒歩5分

2017年7月1日土曜日

鬼薗山城 と 西方院山城 の遠景(きおんさんじょう、せいほういんさんじょう:奈良)

奈良県奈良市高畑町1096(鬼薗山城:奈良ホテル)
奈良県奈良市高畑町1059附近(西片院山城)

筒井氏、越智氏ナドの取り合いの場となった鬼薗山城西方院山城ですが、時間の都合で登城できず! ですが、せっかくなので紹介しときます。

興福寺から谷を隔てたの南側の台地先端を削平して造ったのが鬼薗山城
そこに連なる隣の山が西方院山城であります。
両城とも近いので一見、本城と出城のような位置関係ですが それぞれが築城されました。

□鬼薗山城

ココは興福寺奈良町に来たときに良く眺めていますが奈良ホテルが建っているため中へ入ったことがありません。
築城途中でストップがかかり未完で西方院山城に移ったり戻ったり 二転三転しました。(興福寺の都合だろうか?)。
鬼薗山城の旧地図

写真正面の大乗院庭園城域でしょうか?
かつてはホテル北西の外側に曲輪残存していたようですが現在は開発で削られています。

鬼薗山城 地図
近鉄奈良線近鉄奈良」 駅下車、東南へ徒歩13分
駐車場:ホテル、コインパーキング等
トイレ :未調査

□西方院山城

土塁が良好に残っています。
写真で見えていない瑜伽神社曲輪跡ですが、神社からは直に上がれないようです。
地理院地図より

奈良ホテルバス停」のところにある「奈良ホテル臨時駐車場(1日¥3000)」と掲示されているところから登れるようですが、私有地っぽく進入は微妙です。

両城北側にも見える荒池天然ではなく用水です。
因みに、
荒池西150m程にある猿沢池天平時代人工池西側南側は堤状になっていて宅地猿沢池より土地が低くなっています。

その後Blog:
2018/3/10 リトライ!西方院山城
2018/3/12 興福寺塔頭 大乗院附近ににあった鬼薗山城

西方院山城 MAP
近鉄奈良線近鉄奈良」駅下車、東南に徒歩16分
駐車場:コインパーキングなど
トレイ:なし

北に多聞山城。 南南東に古市城。西南西に今市城がある。