江川邸 門と桝形
戦国期は江川曲輪と呼ばれた江川邸。 背江川砦(背後の山)と併せ韮山城の一角を為していました。
平安時代末期に大和から移り住み、江戸時代には伊豆韮山代官を務めた江川家の邸です。
江川邸の門と入場券販売所
ココで江川邸+韮山郷土資料館 共通券を求めます!
土間
1600年頃に建てられた主屋 に50坪の土間!!
なにげに大砲(レプリカ)が展示されています。
蔵
江川邸には蔵が3棟あります、コチラは時代の新しい蔵ですが、もう1棟は兜造りの蔵です。
邸内の役所跡
いわゆる代官所の跡ですね!
江戸時代末期は甲州の代官も兼務していたようです。
日本初の パン発祥の地の碑
邸に江川塾を開設し佐久間象山ほか入門者が集まってきました。
幕末に韮山反射炉やのお台場(東京湾)を造った36代江川英龍は日本初のパン(乾パン)も焼いたそうです。
江川邸裏門
小田原合戦時に豊臣軍との戦闘での矢玉の古傷が残るほどの古い門であります。
江川氏菩提寺 本立寺
このあと韮山城の砦群の一つである江川砦へ登るべく、取り付きを探しウロウロと歩き、地元の方と挨拶を交わしながら江川砦への道を聞くと、、 昔はココかから登ったとゆう所へ案内してくれたのですが眼前が藪状態で進むに敵わず断念!
韮山城 江川曲輪の堀らしきところ
このとき案内してくれた方が仰るには 「うちは奈良から江川さんと一緒に逃げてきた家だ」だそうで、13人の従者の末裔らしいです。
韮山郷土資料館
江川邸裏門を出てすぐに資料館があります。
◇江川家 (清和源氏)
源頼親が大和守となり赴任し大和源氏の祖となる。
後に宇野氏を名乗ります、保元の乱の頃に大和から13人の従者と共に伊豆に移ってきます。
資料館の韮山城模型
宇野(江川)氏は源頼朝の挙兵を助け、伊勢宗瑞(早雲)が伊豆を平定するにあたり宗瑞に臣従し、韮山城の土地を提供するなど早くから仕え北条家中では重職にあったようです。
天正18年(1590)小田原合戦では徳川へ寝返えり、韮山代官にったようです。
過去Blog: 2016/11/16 太閤の大軍を迎え撃った 韮山城
江川氏邸 地図 (駐車場のところ)
伊豆箱根鉄道「韮山」駅下車、東へ
駐車場:あり
トイレ :あり
近くには、南に韮山城。
周囲に対 韮山城付城群。南西に守山城、北条氏邸、堀越御所。南東に韮山反射炉。
0 件のコメント:
コメントを投稿