2012年8月22日水曜日

香取神宮にある要害 遺構 (かとりじんぐう ようがい:千葉)

千葉県香取市香取1697(神宮のところ)
 前々回、前回の鹿島から香取にやってきました。
 神宮無料駐車場から参道産物屋さんの間をぬけ、鳥居をくぐった先を左に登る要石道があります。そこを登る上がると香取要害です。
主郭らしきところに土塁や、周囲には腰曲輪ナド削平地が散見されます。
  土塁平場を有しており、荒れた時代は、当然、神社仏閣武装自衛しなければならなかったでしょうから城郭と捉えても問題なさそうですが・・・

見ようによっては神社仏閣によくある 建物のための削平地と、社殿お堂或いはナドを守るための施設にもみえます?
城郭体系6によりますと、香取坊山砦 として紹介されており、一時はお寺長吉寺になっていたようです。
個人的に・・・
城址と併せ神社仏閣もよく廻りますが、寺院平場も郭にみえてしまうこともあるし、廃寺に至っては城址にいるような錯覚に捉われるようなところもあります。 小領主自衛する村単位でのナド多々ありますが、廻っていると考えすぎて判別が難しい場合が多々あります。
また、道路を走っているとふいに丘が数基並んでいるところに出くわし、これは土塁か?か?と調べてみると古墳であったりします。 お城のことばかり考えていると耕作地すら曲輪にみえてしまいますのでシッカリ調べていきたいところです。

ただ、城郭とおもって訪れているので写真はその気で撮影しています。
拠りどころとなる資料不足で微妙なレポートですみません!  

このあと神宮でお参り、宝物館に寄っている間に雷雨に襲われしばらく身動きがとれなくなり、イカズチ(雷)の神に見送られて佐原、江戸崎へと廻るのでありました。

香取神宮HP 
香取神宮 城・砦遺構 地図 東関東自動車道佐原香取IC」を降り、北西へ1km
JR成田線「香取」駅下車、南南西へ
 同じく成田線「佐原」駅下車 バス利用
東京」駅から関鉄グリーンバスで「香取神宮前」下車、徒歩5分
駐車場:無料P (参道入口)
トイレ :あり

2012年8月18日土曜日

鹿島市にある 館山城 (たてやまじょう:茨城)

茨城県鹿島市鉢形
 ココは、鉢形にある館山城とゆうややこしい名です。
場所は鹿嶋市役所の南南東方向で、光福寺の南200mのところにある鷲神社のところになります。
台地と切り離すような(天然地形か?)があり、期待して神社に登ってみると、
掘り残し状の土壁があり、これは土塁にもみえますが実はなんとも微妙な感じです。

また、神社裏山土取りが為されているようで遺構は壊滅的のようです。なので社殿の後ろは高くなっているが大きくエグられているらしいです。

帰りがけに南方に下り、そこから眺めるとの雰囲気は十分なんですけどね・・・ 

館山城 地図
JR鹿島線「鹿島神宮」駅下車 南東へ4km
駐車場:なし
トイレ :なし
近くには、南東に800mで粟生城。 北西に鹿島城

2012年8月17日金曜日

鹿島城 (かしまじょう:茨城)

茨城県鹿嶋市城山1-1

常陸大椽氏の子孫で、鹿島神宮と関係の深い鹿島氏の居城です。前回のブログ塚原卜伝もその家臣です!

大手門国道51号(舟津の堀)の「鹿島小学校 」信号のあたりですが、今回は、北端から城址へ入ったので写真の順は大手が後半になります。
 線路脇の辺りに2段ほど跡のようで、登ると帯郭、そこから一段登ると三角形のがあり、もう一段登ると犬走りor帯郭
(外周を一周していたのだろうか?)に出て、更に登ると本丸と呼ばれる空間です。
登ると平地が広がり、その内部を土塁で直線的に3区画に区切りられていたようで、これは御殿を建てても余裕の規模であります。
ココで「本丸と呼ばれる」と書いた理由は、鹿島城山公園本丸鹿島高校二の丸とされてますが、主郭内が仕切られ1,2,3郭 又は 1,2郭+玄関スペース と区画されているならば、高校のところは3~4郭とゆうことになるような??


 主郭虎口前には想像以上の深く広いがあります。

主郭の北から西には水堀、その外には霞ヶ浦が今より近くせまり舟入を持ち、東側の卜伝像の辺りも外堀内であったようです。北は国道51号(鹿島バイパス)から南は国道51号(旧道)に及ぶ立派なであったことは間違いないですね!

鹿島城 地図
JR 鹿島線「鹿島神宮」駅下車、南西400m
駐車場:あり。 本丸内にとめられるようですが要確認。神宮参堂200m程手前に無料Pあり(日中のみ)
トイレ :あり
近くには、北北西に塚原城。南東に館山城、その先に粟生城

2012年8月14日火曜日

剣豪 塚原卜伝 墓所 (つかはらぼくでんぼしょ:茨城)

茨城県鹿嶋市須賀
 夏季休暇は鹿島香取へいってきました。

剣道道場に必ず掲げられている「鹿島香取大明神」ですが、鹿島の太刀上古から伝わり剣術元祖ともゆうべきもので、当時この辺りが蝦夷対応拠点であったのも由来の一つのようです。
 早朝に鹿島に到着、まずは 塚原卜伝の墓所に向かいます。 墓所に近くなると要所に案内板が立てられているので迷わず到着できます。
現地に駐車場も用意されております。
塚原卜伝鹿島神宮 神官卜部 吉川家出身で塚原家へ養子入り。 鹿島新当流を興し、将軍 足利義晴義輝義昭伊勢国主 北畠具教武田信玄剣術指南したことでも有名。
生涯200度以上の戦いで一度も負けなかったそうです。
お墓参りをして、そのお言葉「剣は人を殺める道具にあらず、人を活かす道なり」 を肝に命じて、次の目標 鹿島城鹿島神宮を目指すのでありました。


塚原卜伝銅像 地図

塚原卜伝の墓所 地図
JR 鹿島線「鹿島神宮」駅下車、北西へ3.2km。
JR鹿島線、鹿島臨海鉄道鹿島サッカースタジアム」駅下車、西へ3km
駐車場:あり
トイレ :なし

近くには、塚原城。南南東に鹿島城。南東に館山城粟生城

2012年8月13日月曜日

三田氏館 ( みたしやかた:東京 )

東京都国立市谷保6003周辺。都指定文化財・旧跡
 国立市HPでから・・・
 
 『 「城山」は、比高差8メートルほどの青柳段丘崖をうまく利用してつくられた中世の居館跡です。土塁と空堀により方形に曲輪がつくられた「方形館」の特徴をもつもので、およそ14世紀以降につくられたものと考えられます。 』 
三田氏館谷保の城山(やほのじょうやま)とも呼ばれ、現在は城山公園となっています。

ずいぶん経ちますが、友人が近くに住んでいるのでこの辺りをウロウロとしていましたが、登城は初めてになります。


台地上はかなりの密度で住宅が建っているのでこれだけ遺構が残っているのは嬉しい限りです。
上記HPを信じるなら、方形の外側もが構築されているようなので、後から拡張されたものでしょう?
主郭部付近に櫓台状盛り上りもあるようですが、先を急いでいたのと、駐車場を見つけられなかったこと、主郭は個人宅なので、下の城山公園と堀底部あたりまでで撤収となりました  また寄ったら画像など追加いたします。

*注:「マムシ」と「蜂の巣」に注意の看板が立っています。自分が堀底を歩いていたら蜂が羽音を鳴らし私の真横を飛んでいきます、巣に近かったので偵察にきたのでしょう。

三田氏館 地図
駐車場:城址の南側に入ったがありませんでした。(柳沢家住宅のあたりにありそう?)
トイレ :不明 公園にありそうですが?

JR南武線「矢川」駅下車、東南へ1km。 同じく「谷保」駅下車、西南西へ1.1km
中央自動車道国立府中ICから北西へ600m
近くには、北西に立河氏館。南東に分倍河原古戦場
 多摩川を渡河->西南西に関戸天主台。西南には高幡城百草城

2012年8月3日金曜日

将門公首塚・酒井家上屋敷 (まさかどこうくびづか・さかいけかみやしき東京)

東京都千代田区大手町1-2
 今を遡ること千五十有余年前、平将門公が天慶の乱に散り、頸は都で晒された。
だが、その頸は東方に飛び、江戸湾近くに落下し祀られます。
この「将門首塚」こそが頸が落下した その地であります。
 

 徳川家康公が江戸築城にあたり大手門近くののため、神田に祀り神田明神として現在に伝えています。
誰もいないかと思いましたが、男女を問わずスーツ姿でお参りしていかれる方がけっこういらっしゃいます。
また、この首塚付近は酒井家上屋敷の一部になっていたようです。
帰りに、大手門-修復がもう少しの石垣-坂下門ー桜田門-溜池と歩いてみたので写真もアップしときます。


 と、

真面目に書いてきましたが
あまりの暑さと、週末の開放感から、大手町の 「一番搾りFrozen Garden」で一杯やってからの堀端廻りなのでありました~ 首塚-大手門-皇居前広場-桜田門と進み、警視庁の前を赤ら顔で歩いたのは内緒です!!
お粗末さま!  *一番絞りFrozenは8/31迄。