青梅街道 |
青梅街道の下り線の「荻窪警察署前」を右折 |
これは今川義元から4代目の直房が江戸幕府の旗本(高家)として仕え、知行したところで、知行地は当時の井草村、鷺宮村、中村村(中村か?)で。土地の面積が八町歩あったので青梅街道の八丁交差点にその名を残します。 遺構は完全宅地化により地名にのみ残っています。
明治維新を迎えた最後の当主 範叙の嫡男が早世したため明治になってから今川嫡流は絶えてしまいました。
*追記2015/10/4
今川氏真が駿府に居たころ、
北から武田、西から徳川からの圧迫を受けた氏真は城を支えられなくなり掛川城に移り、2勢力に抗しますが駿河国掛川城から室の実家である小田原北条氏政を頼り退去しました。
北条家の庇護を受けた氏真ですが、しばらくして徳川家康を頼ります。
この時期に長篠の戦い、諏訪原城攻めにも参加し、牧野(諏訪原城)城主となりますが解任され、
氏真はに京都に移り住みます。 ←京都へ移った理由は詳らかではありません!
*2015/10/9 品川の今川氏真の館 今川氏館 (品川区)
今川陣屋 地図 (八丁交差点のところ)
観泉寺 地図 (今川家菩提寺は氏真の孫 直房が建立)
駐車場:なし
トイレ :なし
近くには、南西に牟礼城。北西に石神井城。東には和田館。 離れますが品川区に今川氏真館。品川氏館(今川一族)の伝承地あり。
今川陣屋 地図 (八丁交差点のところ)
観泉寺 地図 (今川家菩提寺は氏真の孫 直房が建立)
駐車場:なし
トイレ :なし
近くには、南西に牟礼城。北西に石神井城。東には和田館。 離れますが品川区に今川氏真館。品川氏館(今川一族)の伝承地あり。
0 件のコメント:
コメントを投稿