2010年10月28日木曜日

佐倉城 (さくらじょう:千葉)

千葉県佐倉市城内町
 

 

 臼井支城->佐倉武家屋敷->歴博 とまわり、いよいよオフ会メンバーと合流。
お城のエキスパートの方々から興味深い話を聞きながら佐倉城->本佐倉城へとまわってゆきます。
前々から訪城したかった佐倉城址ですが、来てみると思っていたより広く、各郭は大きな面積をもちます。
立地は鹿島川を外堀とした鹿島台地上に広がり、その先端部を本丸とします。 支尾根を造成して武家屋敷ナドを構え独立した防御にもなります。
全体に角馬出しが多く、各門は櫓門で守られていました。 が埋められてしまった三の門あたりも角馬出し状になっていた模様です。

アッチコッチ眺めながら本丸へいくと、これまた想像以上の大きな天守台があります。 この天守(御三階櫓)の構造は珍しく、3層なのに半地下5階建(外から見えるのが2階)、模型復元図でみると小さくみえますが、実際に見上げれば迫力!のある建物であったようです。
本丸の銅櫓太田道灌江戸城内にあった静勝軒を移築したものと云われています。古写真をみると城郭櫓としては1階から2階への逓減率が高く、原型は金閣銀閣寺のようなもであったのか? 興味は尽きません。
:合成写真。模型と天守台のサイズは合わせましたが、合成の都合上大きくなっているいかもしれません。

佐倉城 地図 (公園センターのところ)
京成本線京成佐倉」駅下車 西南西へ1.3km 19分
JR総武本線佐倉」駅下車 北北西へ1.2km 18分
駐車場:歴博前は舗装。臨時を含め7箇所あり。 基本無料ですが歴博前は未確認
トイレ :あり。
国立歴史民族博物館 HP (大人:¥420。 一乗谷館、鎌倉城の模型あり。 2010/10/24)
御三階駐車場の近くに印旛沼を周遊する屋形船の発着場あり(夏期のみ)
近くには、西に臼井城と支城群。 東に本佐倉城

2010年10月27日水曜日

佐倉城下、武家屋敷 (ぶけやしき:千葉)

千葉県佐倉市宮小路町57番地
 

  
 とある佐倉城オフに初参加してきたので、集合前に武家屋敷へチョット寄り道!
地図を見ていると迷いそうですが方向さえつかんでおけば案内板がシッカリしているので迷うことなく辿りつけます。
佐倉には旧河原家、旧但馬家、旧武居家3軒武家屋敷があり、いい雰囲気を醸しています。 欲をいえば、ここは埋設電線にしてほしいところです。
開館直前で係りの方が待機してましたが、この後 国立歴史民族博物館にいく予定だったので入館をあきらめ、小路の雰囲気だけ楽しんで参りました。

入館料 : 210円(河原家にて支払い)
      : 三館共通券(武家屋敷・堀田邸・佐倉順天堂記念館) 一般 520円、学生260円
開館時間: 9:00-17:00(入場は16:30)
   休館日        月曜日(祝日の場合は翌日) 12/28~1/4

武家屋敷 地図 (駐車場のところ)
京成本線京成佐倉」駅下車 南南西へ1.3km 17分
JR総武線佐倉」駅下車 900m 13分
駐車場:あり (無料らしい? 普通車10台)
トイレ :あるはずですが、入館してないので不明。

近くには、西に臼井城。 東に本佐倉城

2010年10月26日火曜日

臼井城の支城、宿内砦 ( しゅくうちとりで:千葉 )

千葉県佐倉市宿内臼井田
 臼井城支城として築かれた宿内砦

上杉謙信に二万で攻められたときの動員守備兵は、
 二千+援軍 数百 = 二千強
他のの守備もあるこだし、この数から察すると本城が手薄にならない数百規模(100~200位か?)であろうかと思われます。
 注:個人的推察宿内公園の入口付近に壊れてしまったのか 案内板が放り投げられてたし、存続は大丈夫でしょうか?
せっかく公園化したのだから、ここはゼヒ残していただきたいところですね。


宿内砦 地図
京成本線 京成臼井」駅下車 北へ0.5km 約6分
駐車場:なし  (駅前駐車場を利用、徒歩)
トイレ :なし
近くには、謙信一夜城。東に佐倉城。 さらに東には本佐倉城

2010年10月25日月曜日

謙信一夜城 ( けんしん いちやじょう:千葉 )

千葉県佐倉市王子台3-14
 この上杉謙信臼井城を攻めるため一夜で構築したとゆう単郭陣城です。
いまは案内図も無く一夜城公園となり城址碑が建ってしるばかりです。
さて、
謙信といえば、敵なしのイメージがありますが、
原胤貞守る臼井城攻めでは、どうしたことか? 二千の兵僅かな援軍しかいない城兵に翻弄され、多数の犠牲者をだし撤退してしまったそうです。
信州上田城の攻防然り、無勢のといえど油断なりませんね~

以前は虎口がのこっていたそうですが開発で消滅してしまいました。 
一夜城 地図
京成電鉄本線京成臼井」駅下車 南へ0.4km 約6分
駐車場:なし
トイレ :なし

近くには、 北に臼井城とその支城群雷電為右門のお。 東に佐倉城国立歴史民族博物館。 本佐倉城

2010年10月22日金曜日

田代城 (たしろじょう:神奈川県)

神奈川県愛川町田代
先述の三増合戦場から南西へ1kmほどの愛川中学校のあたりに存在した城です。 城主の内藤氏は137貫文(250石くらいか?)の領主ですから、館規模の 城であったようです。

 この内藤氏は津久井城主内藤氏の縁者であると思われます。地元では永禄15年(1569)武田信玄が小田原に侵攻した際に落城した と伝わっています。


遺構はほとんど失われておりますが、案内板には石垣が残存していると書かれています。
自分で歩いてみた限りでは石垣は 見つけられませんでした。 また、裏山は烽火台跡で火急の時は烽火をあげたもとと思われます。 当時の石垣や、うまや仕置場、などの地名が残るそうです が、学校建設、宅地や耕地に化けているので縄張りを見極めるのが困難な状態になっているようです。

田代城 地図
バス神奈川中央交通 循環「愛川中学校前」下車 すぐ
駐車場:なし
トイレ :なし

近くには、東に三増峠合戦場あと。西側の対岸には細野城。北に津久井城。東には小沢城(愛川町内)

2010年10月19日火曜日

細野城 (ほそのじょう:神奈川)

神奈川県愛川町半原191 付近
 細野城は、田代城から近く、中津川を挟んで北西400mほど、蛇行する中津川とその支流の深沢に3方を囲まれた台地上にあります。
 城主は田代城と同じ内藤氏であり、信玄の小田原侵攻途中に武田軍により細野城・田代城の両城は落城したと地元で伝わっています。
現在主郭部は会社と駐車場になってしまいました。残存していた土塁はバイパス412号線の建設などで破壊された模様です。先端に近い方に社がありそこも郭跡(主郭か?)です。






細野城 地図
駐車場:なし
トイレ :なし

近くには、田代城と三増峠の合戦場。 西へ、相模川の河岸段丘上に小沢城と小沢古城。北北東に津久井場

三増合戦まつり (みませかっせんまつり:神奈川)

神奈川県愛川町田代 付近
三増合戦まつり_ポスター三増合戦まつり_石碑三増合戦まつり_会場三増合戦まつり_乗馬旗立の松案内板三増峠_浅利明神前回のブログ三増峠の戦は 四百数十年前に思いを馳せながら書いていた。
合戦を語るには見残した場所が多いなぁ~
  と! 
思いブログのタイトルの通り徒然なるま三増せ合戦祭り(10/17)を観覧してまいりました。

現地に着いて、焼き鳥などを食しながら2騎で行う馬上薙刀などを
しばし見物。
次に、警備の方に旗立の松の状況を確認すると駐車場は東名厚木カントリークラブ内の駐車場でOKとゆうことでした。
そこから走り出しすと、分かりやすい案内板が要所々に立っており、旗立の松まですんなりと到達できます (駐車場から松までは山道になるのでスニーカーがベストです)
下を見下ろすとまつり会場がよく見え、横に広がった戦場の旗色をみるには絶好の場所かもしれませんね。
山深いので現地案内板のとおり、ココに旗を立て戦闘はもっと下の方で行われたと思われます。

浅利明神へも旗立の松ほど分かりやすくありませんが、カントリークラブの東端とゆうこともあり、さほど迷うことなく辿り着けます。
浅利信種は地元の方に篤く敬われいるようで、祈願するときには木太刀を奉納する習慣があります。

周辺を歩いた感じでは北条領内なのに、ナカナカ武田も人気があります。
小山田氏の本拠は町田市であったり、武田滅亡後相模原辺りに土着した武田旧臣がいたようであるから、そのためもあるのだろうか・・・
三増合戦碑 地図
浅利明神 地図
*2011年の三増合戦まつりは9月11日です!
*2012年は10月21日です!