2023年7月31日月曜日

土浦城 ①中心部(つちうらじょう ①ちゅうしんぶ:茨城)

茨城県土浦市中央1-15 (博物館第1Pのところ)
博物館脇から

土浦市立博物館令和6年1月まで大規模改修のため第1駐車場と共に利用出来ません。そのため東櫓を公開しているようです。

※クルマは第二駐車場へ!
博物館脇から本丸西櫓

このは後世に架けられたのモノで、は改変されています。
本丸側から振り返る

この先の博物館角の辺りは三の丸
本丸内から西櫓

元和6~7年(1620〜1621)の建築。
コノ西櫓昭和24年の台風で小破し、解体保存した部材を使い復旧
本丸土塁から内側

本丸は野球が出来そうな広さ。
霞門外から

霞門外枡形を形成、本丸進入路は太鼓門とコノ霞門の2ヶ所。
※博物館側は後世のもの
霞門

は旧来のモノです。
連なる東櫓復興のようです。
霞門部分

木材の継ナド年代を感じます。
東櫓

再興された東櫓
東櫓内部

現在、特別公開中
立派な建築です。

西櫓の鯱

博物館側にある西櫓にあがっていた
東櫓展示

瓦葺き、壁構造木組み模型ナドが飾られています。
東櫓2階窓から

の向こうはが建っていました。
二の丸土塁でへだてられていたが、のスペースは二の丸に内包されるようです。
太鼓門

再建される前は土浦城と云えばこの太鼓門でした!

太鼓門前から前川口門

太鼓門外は二の丸
見えている本丸二之門(前川口門)の間はのスペース。
二之門跡(移築 前川口門)

土塁の手前は
撮影者後方は外丸
堀跡と思われる所


右は外丸
二の丸西側

現在は直線に改変されていますが横矢をかけるため土塁には折れがありました。
この他 随所に折れが存在したようです。
太鼓門前の案内板より

かつては霞ヶ浦に面した水城の様相であったと想像できます。







JR 常磐線「土浦」駅下車
駐車場:あり
トイレ:あり

近くには、西に高井城。東北東に木田余城。北東に土浦城移築がある。

2023年7月3日月曜日

宇治川太閤堤跡(うじがわたいこうづつみ:京都)

京都府宇治市菟道丸42(歴史公園の茶ずな のところ)
お茶と宇治の町歴史公園

前回の先陣争いの碑から宇治川をっ渡って宇治川太閤堤の野外展示があるお茶と宇治の町歴史公園まで足を伸ばしました。
 

写真はは京福電鉄宇治」駅から徒歩1分ほどのところ。
石出し①

先のところから公園に入って行くと川の流れを緩める石出し①がある。
左先に石出し②

進むと、
・左、石出し②
・中央、丸山古墳(菟道稚郎子尊宇治墓)と浮舟宮跡
・右手、ちゃずなはレストランやお茶の石臼で挽きナド体験型情報発信施設
石出し②

石出しはほぼ90m間隔です。
黒い幕は茶畑の日除け。
石出し③前の碑

更に進むと石出し③の近くに宇治川太閤堤跡があります。
石出し③

コチラは平面復元されています。
石出し③案内版

見る角度によっては素通しの案内板と現物を重ねて見られそうですが傘をさしながらの撮影なので確認していません。
展望デッキから石積みと石出し④

ココが一番広くデッキから石積石出し④松杭がを一望できます。
石積みの案内板

案内板の絵の様に当時は土手上を歩いたようです。
宇治川太閤堤の整備案内板

遺跡は土中にと保護されています。
復元された松杭

なかなかリアル。

石出しは、構築されて間も無く宇治川の氾濫で埋もれたので良好な状態で発見されました。
石出し④案内板

他の3ヶ所石出しのみですが公園北エリアでは護岸石積から突きだす石出しが見られます。

案内板

太閤堤:豊臣秀吉伏見築城と共に城下へ水運を集めるために宇治川巨椋池周辺に築いた
以前訪れた伏見城の舟入りは思ったより高い位置にあったのは川の水位がもっと高かったのか? 或は もっと堀下がっていたのだろうか??(上流に天ヶ瀬ダム)
 
太閤堤槙島堤小倉堤ナドがありますが、今回訪れたのはどちらにも属さない2007(平成19年)に発見された宇治川太閤堤となります。



京阪電鉄宇治」駅下車、北へすぐ
JR 奈良線「宇治」駅下車、北東へ徒歩12分
駐車場:有料あり
トイレ:あり

近くには、西に槇島城。北東に伏見城。南東に日の出山城