京都府京都市左京区一乗寺松原町
北白川城は勝軍山城、瓜生山城とも呼ばれる・
写真右手の方(城の南)は近江の滋賀里へ抜ける白鳥越え、志賀越え道(山中越え)を抑える拠点かとおもいます。
まだ傾斜は弛いが城址がある瓜生山まで全てが登り!
この奥 右手に詩仙堂と宮本武蔵所縁の八大神社があります。
この祈祷所を横目に通り過ぎ その先に参拝者用駐車場ある。
奥の院と書かれている所が瓜生山・北白川城。
宮本武蔵は不動院の滝で修業したと云われています。
この日は火渡り祭の当日で、護摩木運びナド準備に追われているようでした。
不動様はガン封じで有名らしい
この先は京都東山トレイルともダブる。
三十六童子めぐりのコースを上がって行くと北白川城に行けます。修験道の寺院らしく 場所によっては鎖場もあるようです(自分は通っていない!)
上方に土橋状の尾根が見えます。
ココはwebで幾つかの縄張図を見ると城域に入っていないようですが敵を狙い撃ちでき守りに良いポイントと思います(妄想)。
上の写真の痩尾根に登りました。
※追記。歴史群像 No.176 (2022/12月号)の戦国の城【山城】北白川城塞群、香川元太郎氏のイラストを見るとこの痩尾根は城内を通過する白鳥越え道と推定されています。
この尾根を瓜生山と逆方向に歩いて散策撮影したので別の城郭群に少々侵入していたようです。
全体的に遺構が明瞭ではありませんが城域に入ってきました。
郭を隔てる堀とみて間違いないでしょう!?
本丸は平らに均されています。
東山三十六峰の9峰目の守りである幸龍大権現が祀られている。
城は幾度となく争乱の舞台となりその度に拡張されていったようです。
足利将軍家、細川、畠山、三好、松永、六角 他。
織田vs 浅井・朝倉の争いでは明智光秀が北白川城主となったようです。
瓜生山(301m)の最高所はこの石室のようです。
ココに安置されていた勝軍地蔵像は、瓜生山→勝軍地蔵山→北白川幼稚園の辺り→現在は禅法寺に移されている。
下方に郭が連なっています。
広くない郭が重なっている。
ココへ行く前に地図+航空写真を見る限り不動院と瓜生山はそれ程離れていなかったのであまく見ていました!
バス停から城址がある瓜生山頂まで全て登りで、更に真夏の京都は厳しく流石に北白川城郭群全体は諦めました~
よって今回は中心部のみの散策でした。
時代とともに改修・拡張さながら利用され続けたので広範囲に城域が広がり最低4~5ブロックにも及ぶ城郭群となっています。
一部しか廻っていないので歩きやすい季節にゼヒ来て全体把握したとおもっています。
京都市営バス、京都バス「一乗寺町」バス停下車、狸谷山不動院まで徒歩20分、更に20分で瓜生山
駐車場:狸山不動院参拝者用あり
トイレ:あり
近くには、周辺に北白川城城郭群。北北西に宮内少輔城。南に大山出城、中尾城、如意ヶ岳城。北東に一乗寺山城。北北東に雲母坂城。西南西に下鴨城がある。
◆一乗寺下り松
京都府京都市左京区一乗寺町花ノ木町
一乗寺下り松
•地名はかつて此付近に一乗寺が存在しました。
•宮本武蔵vs吉岡道場の決斗の候補地の1つ。
•足利尊氏vs楠正成の係争で楠正成が本陣を置いたところでもあります。
•詩仙堂:徳川家康の譜代。大坂の陣で戦功をあげるが抜駆けの為叱責され牢人→浅野家に士官するも致仕→詩仙堂に隠棲し文人となる。
※下り松の木は現在5代目。
※一乗寺は中世に廃寺となっている。
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