2021年12月27日月曜日

八王子市 大久保石見守陣屋跡(おおくぼながやすじんや:東京)

東京都八王子市小門町82(産千代稲荷)
北から産千代稲荷神社

横山氏館跡滝山城500年記念講演会のあとは大久保長安陣屋跡にやって来ました。
産千代稲荷角に「大久保石見守長安」の看板発見!

一般的には、
大久保長安の父親の大蔵信安上方から甲斐に移り武田家のお抱え猿楽師となる。
その子の長安信玄に才を見出され武士になり大蔵から土屋へと改姓金山開発ナドをしていたようです。
武田家滅亡の前後に徳川家に仕え、更に大久保へと改姓。
天正19年(1591)八王子8000石所領(実質数万石)を与えられ陣屋を構えました。

家康武田遺臣多摩に集め八王子五百人同心(のち千人同心)を置きます。
これには長安武田遺臣を束ねさせ武蔵甲斐国境を防備する目的があったと思われ、実際に明治維新の際に新撰組ナドを甲府城に差し向けたのが興味深いところです。
産千代稲荷神社

この産千代稲荷大久保永安陣屋南西に位置すると云われています。
産千代稲荷神社前の案内板

佐渡金山石見銀山に関わり大和代官甲斐奉行石見奉行美濃代官佐渡奉行伊豆奉行ナドを勤めるほど家康から信頼されていたようです。
大久保長安事件:権力を持ち過ぎ疎まれたのか?不正蓄財した為か? 長安死後に一族や与親だった小田原藩 大久保忠隣他が連座で取り潰しになるほどの大事件になりました。権力者の悲しい末路ですね。
朽ちかけた「大久保長安」看板から小門公園
東京都八王子市小門町77-1(小門公園)

産千代稲荷の西方の小門公園に「周辺のみどころ案内板があります。
公園そのものは陣屋跡ではなく撮影者の手前(東側)にあったようです。
小門公園にある案内板

武田信玄 松姫(信松尼)が開基信松院も載っています。
また、正徳4年(1714)製の帆に武田菱が付いた軍船のひな形模型 2艘を所有しています。
小門公園の案内板

新旧地図を見比べても縮尺と歪みで判読が難しくお寺ナド番号がふってある箇所を頼りに見るしかないですね。
古図では③信松院④金剛院は同じ通りに面していますが現在はズレています。これはどちらかの寺域が減少したかと思います。このお陰で陣屋特定が余計に難くなっています。
気になるので こんど資料館ナドで尋ねてみようと思います。


JR中央線八王子」駅下車、西へ徒歩18分
 同 「西八王子」駅下車、東へ徒歩16分

近くには、

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