東京都八王子市小門町82(産千代稲荷)
一般的には、
大久保長安の父親の大蔵信安は上方から甲斐に移り武田家のお抱え猿楽師となる。
その子の長安は信玄に才を見出され武士になり大蔵から土屋へと改姓し金山開発ナドをしていたようです。
武田家滅亡の前後に徳川家に仕え、更に大久保へと改姓。
天正19年(1591)八王子に8000石の所領(実質数万石)を与えられ陣屋を構えました。
家康は武田遺臣を多摩に集め八王子五百人同心(のち千人同心)を置きます。
これには長安に武田遺臣を束ねさせ武蔵甲斐国境を防備する目的があったと思われ、実際に明治維新の際に新撰組ナドを甲府城に差し向けたのが興味深いところです。
この産千代稲荷は大久保永安陣屋の南西に位置すると云われています。
佐渡金山、石見銀山に関わり大和代官、甲斐奉行、石見奉行、美濃代官、佐渡奉行、伊豆奉行ナドを勤めるほど家康から信頼されていたようです。
大久保長安事件:権力を持ち過ぎ疎まれたのか?不正蓄財した為か? 長安死後に一族や与親だった小田原藩 大久保忠隣他が連座で取り潰しになるほどの大事件になりました。権力者の悲しい末路ですね。
東京都八王子市小門町77-1(小門公園)
産千代稲荷の西方の小門公園に「周辺のみどころ」案内板があります。
武田信玄の娘 松姫(信松尼)が開基の信松院も載っています。
また、正徳4年(1714)製の帆に武田菱が付いた軍船のひな形模型 2艘を所有しています。
新旧地図を見比べても縮尺と歪みで判読が難しくお寺ナド番号がふってある箇所を頼りに見るしかないですね。
古図では③信松院と④金剛院は同じ通りに面していますが現在はズレています。これはどちらかの寺域が減少したかと思います。このお陰で陣屋特定が余計に難くなっています。
気になるので こんど資料館ナドで尋ねてみようと思います。
JR中央線「八王子」駅下車、西へ徒歩18分
同 「西八王子」駅下車、東へ徒歩16分
近くには、
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