国道264号線のLAWSONの辺りから亀之城
前Blogの鶴峰窯は亀之城の裏手になります。
江戸時代の中郷村には薩摩藩の外城である中郷麓が存在し地頭仮小屋がこの辺りに置かれたものと想像します。
立派なエントランス
他の県内に残る武家屋敷と同様な静かな佇まい。
コチラは南東面。
北側は鶴峰窯前の道路から眺められる。
正面に塚のような高まりが!
塚でろうか??
上の写真にある高まりは何かの塚?ではないかと思います。
場合によっては土塁?か物見台か?
個人宅なのでこれ以上は入れない!
高まりの後ろ側は空堀のようにもみえる??
●亀之城から川を隔てた東の丘陵
亀之城 東端から諏訪神社側
この道路は国道267号線に対して旧道であろうかと思います。
この橋のすぐ左側に かつて石橋が架かっていました。
渡ってすぐ左へ曲がると諏訪神社。
諏訪神社方面に左折したところ
ココは後世に開削された道路と思いますが、丘の上を歩くと城郭の様相が漂っているので出丸、物見台、家臣屋敷や城内にあった諏訪神社ナドを勝手に想定しています。 ←あくまでも妄想!!
諏訪神社 社殿
諏訪神社と云えばに武士が崇敬する軍神であるので亀之城の城主或いは中郷麓の地頭と関係するのでは?と思って載せました。
薩摩国絵図 元禄9年(1696)~15年(1702)
今回、亀之城を探すきっかけとなった絵図この中に「中郷村 高千八佰八十八石」の記述のそばに「古城」の文字を見付けたとことからはじまります。
※追記 国立公文書館デジタルアーカイブの元禄国絵図→薩摩国PDFが載っている。
Webの限界でヒットする資料が殆んど無い中 この絵図に載っている「川内川」、「国分寺」、「泰平寺」、「安国寺」の それぞれの位置から推察し、もう一つ 見付けた資料「鹿児島県教育委員会 鹿児島県の中世城館 」S62年刊に「川内市、亀之城、中郷町字山崎、空堀、別称:」の記述とおおまかな地図も載っていたのでおおよそ推定しました。
自分は地元の人間では無いので 時間があれば薩摩川内市川内歴史博物館の方に亀之城(麓)関連を質問してみたかったのですが叶わず、この資料だけでも助かりました。
亀之城周辺図
亀之城の北西~北東は丘陵地、南東~南の平野部の住宅街は川内川の氾濫域と思われるので、湿地or田かと思います。
〇薩摩国分寺史跡公園:堂・塔・回廊の伽藍配置の表現が為されています。
〇安国寺:後醍醐天皇、元寇の役、南北朝の争いの戦没者の供養のために足利尊氏、直義兄弟が各国に一寺づつ造った寺で実際には既存の寺を改めたものも多かった。昔の安国寺は育英小学校から国道267号線の辺りまで大寺であったようです。
現在の安国寺は浄土真宗の寺として廃仏毀釈後の再興。
〇泰平寺:和銅1年(708)創建。豊臣秀吉の九州攻めで島津義久が秀吉に降伏したところ。和睦像や和睦石がある。
〇宅万寺跡:豊臣秀吉は泰平寺を本営と定めたため泰平寺住職はこの宅万寺へ移った。廃寺だが五輪塔や12世紀の古い石搭あり。
●万葉の散歩道
前回の鶴峰窯でも触れていまる万葉の散歩道
大伴家持が薩摩守として赴任した国府跡・国分寺跡から川沿いに亀之城、鶴峰窯跡方面に向かう道です。
道すがら大伴家持像や短歌を刻んだ石碑が点々と置かれています。
万葉の散歩道の歌碑
前回Blog:
2020/2/22 薩摩国分寺の瓦を焼いた 鶴峰窯
2013/12/29 九州攻めの一夜城?猫岳
2008/3/25 秀吉の九州攻めで最後まで抵抗した城、平佐城
亀之城 地図
JR 九州新幹線、肥薩オレンジ鉄道「川内」駅下車、北へ徒歩50分。
肥薩オレンジ鉄道「上川内」駅下車、東北東へ徒歩32分。
駐車場:なし
トイレ:なし
近くには、すぐ北側に鶴峰窯跡。南東に薩摩国分寺跡。南南東に碇山城。南に平佐城。北東に鶴ヶ岡城。北東に斧淵城。南西に隈之城麓、二福城。西に宮里城、猫岳。