2018年6月29日金曜日

益子町の七井城 (なないじょう:栃木)

栃木県芳賀郡益子町七井
虎口パノラマ

幾度となく近くを通っている七井城なので勝手知ったる・・・ とから近づいたが、道がわかり辛く、一旦 西側へ廻込みクルマ一台分の路地を入ると程なく虎口が目に入ってきました。 駐車スペース確保が厳しいので今回はオートバイで正解でした!!
虎口に寄る

木が伐採されているのは史跡整備の為であろうか?
発掘の様子も無く、開発か? どうなるのか確認していませんが残った遺構を大事にしていきたいですね。
畑の奥には土塁が!

虎口の所から道路の反対側を見ると、畑の奥土塁が!!
こので農作業をされていたのでカメラを向けるのは気が引け、あまり写真を撮れなかったのが残念!
図は「益子町歴史文化基本構想(教育委員会)」を参考にしました

今回載せた写真は図中の虎口とL字型に残る土塁部分です。

益子氏から分派した七井氏のですが、現在は1部しか残っていませんが、の形状からみると方形館から拡張したようにみえます。
現在の立地をみると、七井城微高地にあり防御力が弱そうですが、北に小宅川、東に小貝川、南に大羽川に囲まれているので、3方を湿地に囲まれた要害とみても良いかと思います。

七井城 MAP (虎口のところ)
真岡鉄道七井」駅下車、北東に徒歩7分
駐車場:なし
トイレ:なし

近くには、南に益子城生田目城。南南東に益子古城がある。

2018年6月22日金曜日

真岡市の 東郷陣屋 (ひがしごうじんや:栃木)

栃木県真岡市東郷823 付近
県道61号線沿いの陣屋石碑

Blogの御前城から東北東へ1.6kmほど。
案内板

この案内板では何処が陣屋跡なのか判断できず?
できれば現況に沿った地図入りでお願いしたいところですね。
陣屋石碑と案内板

案内板によれば、幕末慶應4年(1868)に官軍の焼打ち焼失。そのため遺構はありません。
また、市内桜町陣屋附近で地域の復興に尽力した二宮尊徳ですが、東郷陣屋にも入ったそうです。


東郷陣屋 MAP
真岡鉄道北真岡」駅下車、東北東に16分
駐車場:なし
トイレ:なし

近くには、西南西に御前城。西に真岡城真岡陣屋。北東に七井城がある。

2018年6月20日水曜日

真岡市にある芳賀氏の 御前城(ごぜんじょう:栃木)

栃木県真岡市田町1256 付近
国道294号線「御前信号」から御前城

5月奈良京都、下旬は AirRace 第3戦 千葉
6月上旬は TwinRing茂木トライアル世界選手権観戦+GPコース体験走行。 と、モータースポーツづいていて更新が遅れがちでした。
TwinRingついでに幾つか城廻りしたのでアップしていきます。
城址主要部真岡東中学校ではなく、1枚目写真右側の住宅から切れている所と田圃の辺りですが、時刻は早朝4:00、エンジン音が響くのでサッ!と見てすぐにその場を離れたので撮りそこないました。
城址碑と案内板

中学校西側道路沿い城址碑があります。
案内板からの想定堀位置

案内板を参考にの位置を入れてみました。本来はを伴った土塁があったと思われますが見ての通り何も残っていません。

芳賀氏が源頼朝奥州征伐後従軍後に築いたので単郭館であったろうと想像します。 このでの恩賞でこの地を得たのかは不明!?
芳賀氏が真岡城に移った時に御前城廃城となったようです。

栃木県さくら市氏家に同名の御前城があるので注意!

御前城 MAP(案内板のところ)
真岡鉄道真岡」駅下車、東へ徒歩23分
駐車場:なし
トイレ:なし

近くには、東に真岡城真岡陣屋。南西に八木岡城。北東に東郷陣屋

2018年6月14日木曜日

奈良市高畑の史跡 頭塔(ずとう:奈良)

奈良県奈良市高畑921
西方院山城周辺を歩きながら頭搭へ!

奈良時代仏塔と思われる、国指定史跡 頭塔G・Wに特別公開されていたので見学してきました。
ホテルウェルネス飛鳥路から入る

特別公開時は自由に通れますが、当然 ホテルの宿泊者が居るので静かに通過! 駐車場は🈲利用禁止
頭塔の復元部を北東角から

各層屋根が葺かれていたようです。外周には木製デッキが廻っている。
案内板から1

30m x 30m x H10m ,7段版築で囲んだで、1面に11体4面で44体石仏が納められていた。
案内板から2

奈良時代日記土塔と書かれているが、平安時代に早くも玄昉の首塚であると書かれているそうです。 土塔(ドトウ)が訛ったのと玄昉の首塚説と併せ頭の搭(ズトウ)となったようです。
重要文化財の石造の1つ

仏様44体納まっていたが、現地では28体しか発見されていません。
その中に大和郡山城石垣の中に同様石像があり、どうやら石垣用材として頭搭から持ち去られたモノらしいです!?
上の石仏の拓本

拓本では中央に如来両脇持仏、下方に2持者がわかります。
南面の露天石仏

復元されていない部分は露天石仏が置かれている。
頭塔の南側

過去に発掘調査が為され、北半分の2面を復元、南半分は現状維持としている。
受付でいただきました

入場には¥300也の協力金が必要ですがリーフレットクリアファイルが付いてきます。
南側の門

通常 空いていません! 特別公開していない時は史跡頭塔保存顕彰会(FaceBookあり)」に申し出ればこの門から入れてもらえます。
*現在はホテルウェルネス飛鳥路受付しているようです(9:00-17:00)。

*類似の塔に大阪府堺市中区大野寺 土塔(国指定史跡)がある。

頭塔 MAP(ホテルウェルネス飛鳥路入口)
近鉄奈良線近鉄奈良」駅下車、南東に徒歩19分。
ホテルウェルネス飛鳥路前に「破石町」バス停あり(奈良交通)
駐車場:なし(南へ100mに、コインP有)
トイレ:なし

2018年6月6日水曜日

多聞櫓発祥の地と云われる 多聞城(たもんじょう:奈良)

奈良県奈良市法蓮町1416
多聞城全景

佐紀城から法華寺を廻り多聞城に来ました。
戦国時代松永久秀眉間寺移転させ、聖武天皇稜仁正皇太后稜を含む地に築城しました。
案内板がある中学校門

舗装されているが、ココまで来るとの雰囲気が漂います。
案内板

案内板門の手前にあるが、石碑は奥の階段下なので門が閉まると見られないかも!?
多聞城石碑

写真の若草中学校の校舎のところが1郭にある。 G・Wで閑散としていたので撮影し易かったですね~
校門から市街

中学校から興福寺五重塔県庁が良く見える。

因みに、県庁周辺には かつて一乗院ナド興福寺塔頭が建ち並んでいました。
堀跡

当時もが架かっていたかどうか?
中学校東にある曲輪

上の写真の堀跡から少し下ると曲輪跡があります。

縄張り

*妄想図のため参考くらいに!
近畿の名城を歩く」吉川弘文館を参考に書いてみました。
空堀がグルリと麓を廻っていたのか?
或は、佐保川を結び城下を形成していたか? これらを想像するに楽しい!!
運動場を東端から

この場所は、周囲より高台になっていて家臣屋敷ナドが建っていても良いのでは と思います。
東大寺方面

松永久秀敵対する三好三人衆東大寺大仏殿布陣。一時は多聞城付近まで攻め込まれたようです。

翌日に地元の方から、若草中学校多聞城の資料が置いてあると聞いたのですが「あとの祭り」貰いそこないました~!
今回が初登城でしたが、ずいぶん前に来た東大寺天害門から城址碑まで徒歩500m程、こんな近いのならチョット寄っておけばよかったと 今更ながらに思うところです。

多聞城 MAP(城址碑のところ)
近鉄 奈良線「近鉄奈良」駅下車、北北東へ徒歩17分。
駐車場:なし
トイレ:なし

近くには、西南西に宿院城。 東に佐紀城超昇寺城。 南南東に鬼薗山城西方院山城がある。

2018年6月4日月曜日

超昇寺城の隣にある 佐紀城 (さきじょう:奈良)

奈良県奈良市佐紀城町2715(亀畑 佐紀神社)
佐紀城を北側から

平城京一条大路が通っていた辺り、佐紀神社(亀畑)が鎮座しているところが佐紀城であるが近にある超昇寺城支城のとみられています。
佐紀城神社(亀畑)の鳥居

佐紀城に関しての情報が少なく、はじめに御前池を挟んだ反対側の もう1つの佐紀神社(西畑)があるので、そちらが佐紀城と思い込んでいました。
*2つの佐紀神社(亀畑、西畑)があるので行かれる方は注意!!
鳥居の左手には・・・

平場があり城郭的ですが遺構かどうかはわかりません?
本殿

階段を上がり本殿にお参りしてから塀の裏側最高所へに向かいます。
最高所の祠

奥には土塁と思われる盛土あり!
堀跡

最高所の東側がり、底には現在の水路があります。 木が生い茂っているのでよく分からないですが深さも充分です。

また、平城京大内裏の北辺超昇寺があり、兵火で荒れたのを元禄の頃に復興しましたが、明治廃仏毀釈廃寺となっています。

過去BlogLink:2018/5/29 大和 超昇寺城 

佐紀城 MAP(佐紀神社 亀畑)
近鉄 奈良線、京都線「近鉄西大寺」駅下車、東北東へ徒歩12分
駐車場:なし 県道104号線沿い駐車場(平城京資料館北)にとめれば北東へ徒歩5分。
トイレ:なし

近くには、北西に超昇寺城。東北東に多門山城があります。