神奈川県小田原市南町4-4
小田原駅西口「早雲公」像
2017/12/2に 早川口 二重戸張で発掘による調査見学会があったので行ってきました。
まずは、駅で早雲公に挨拶して徒歩で20分程の遺構を目指します。
早川口遺構入口(国道135号沿い)
小田原から国道1号線と135号線の「早川口」交差点を越え80m程でこのポイントに着きます。
早川口遺構入口
現場は、それほど広い範囲ではありませんが、想定外!が幾つか有りました。
3トレンチ
入ってすぐ左側。
受付で資料をいただきました
現場の説明をかいつまんで、
①この場所での発掘は初めてである。
②明治時代に庭園として改変されている。
③二重土塁間の堀とされる窪みは江戸時代に水田だった。
④その窪みは小田原大海嘯で打寄せた砂の捨場になった。
⑤土塁低層を川原石で葺き、そこを盛土で覆って土塁が構築されている。
調査見学会資料より(加筆)
⑥過去に浜町の外郭土塁で大量に石が出土→それと同じ状況と推察される。
⑦鉢形城の土塁の石積との共通点がある!?
⑧2本の土塁の間から石敷き通路と思われるところがでた。
⑨石敷がもっと続いていたら土塁間は堀は無く通路だった可能性もあり。
⑩8トレンチの平石列は側溝の蓋かもしれない(掘らないとわからない)。
⑩絵図ナドから土塁は二重であるのは確かでる。
1トレンチ
ココは石垣が2段になっていました。
手前に見える砂の層は明治時代に起きた小田原大海嘯の砂を処分したゴミ捨て穴のようです。
5、6トレンチ
城内(内側)を見る。撮影者後方が城外
6トレンチ
早川ものと思われる川原石を葺き、その上に土を盛り上げた土塁であったようです。
これは、低部を石で固め、早川の氾濫に備えた造りであったのであろうか? ←私見
7トレンチ
粘りのある土なので江戸時代の水田跡であろうとのことです。
8トレンチ
石葺きとその上層の土の状態が分かる。
真中辺りの平たい石は側溝蓋の可能性あり。最奥は石敷き。
8トレンチの石敷き
土塁の間は堀でなく、土塁に沿った道路? 或は虎口の通路部分?今まで認識は二重の堀と土塁、今後の調査で変わるかも!!
外郭の堀だったはずの水路
調査地外ですが、
当時の堀幅が気になり聞いてみたところ、土塁から1間半(2.7m)くらいと仰っていました。
チョット狭くない?? と感じたが、早川の蛇行と氾濫ナドで前面は天然の要害(湿地帯)とも考えられるので不足は無いか!?
早川から対岸の小田原城方面
太閤目線! 見えてる範囲は小田原城ですが今は西湘バイパスばかりが目出ちます。早川口二重戸張は直線300mくらい先です。
今回、来てみると陶器片ナドの出土は無く、障子堀も発見されていません。無いのはいわゆる撹乱でしょうか?
ただし、土塁の一部に石が使用され通常の土塁形態と違っているので、この先の発掘範囲を広げたら何が出るか楽しみです!!
この他、4トレンチも大量の砂と水田跡が埋っていました。
終了後、ういらう屋さんに寄って、常盤木門2FのSAMURAIの館をみて家路につきました。
早川口二重戸張 地図(案内板のところ)
JR、小田急、箱根登山鉄道「小田原」駅下車、西南西へ徒歩20分
箱根登山鉄道「箱根板橋」駅下車、東南東へ徒歩10分
JR 東海道線「早川」駅下車、北北東へ徒歩10分
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