このところ更新できませんでしたが、敬老の日の連休中に伊豆国の長浜城から沼津、韮山辺りを廻ってきました。 まずは平成26年に整備完了した長浜城から、
②曲輪kから見下ろす
左手の竪堀は、第1曲輪、第2曲輪を隔てる横堀と畝を隔て繋がる。
③曲輪 kから田久留輪
安宅船(軍船)の原寸平面模型を眺める。
船模型前には案内板が並ぶ。
④海側の曲輪から本丸を見上げる
撮影者背後を降りると軍船が停泊していたようです。
そこには、岩礁に柱を立てたピット(穴)があるようですが見に行っていません。
⑤いよいよ中心部
階段を登り復元櫓から第2曲輪へ向かう、
橋はよく分りませんが、奥の櫓は発掘成果を基に建てらています。
⑥第1曲輪と第2曲輪を隔てる堀
堀と竪堀は堀残しの畝で見切っています。
コンクリート加工のようで、堀はもっと深く、岩盤をくりぬいてあるそうです。
⑦第1曲輪から駿河湾方面
直接太平洋に向いて開いておらず、良港としての内浦湾が眼下に広がります。 ココから沼津の街まで思っていたより見通しが効き三枚橋城に拠る武田軍に動きがあればすぐ察知できます。
⑧第1曲輪から城内
1、2、3曲輪は広くも無く狭くもないといったところです。
⑨第4曲輪と堀
コチラは小さなスペースですが、急崖が迫り戦闘的です。
*2018/5/26(土)第4回「長浜城北条水軍まつり」開催!
鉄砲隊もでるようです。
長浜城 地図
駐車場:あり(長浜釣堀観光センター)
トイレ :不明(周囲のお店が開業すれば可能)
撮影者背後を降りると軍船が停泊していたようです。
そこには、岩礁に柱を立てたピット(穴)があるようですが見に行っていません。
⑤いよいよ中心部
階段を登り復元櫓から第2曲輪へ向かう、
橋はよく分りませんが、奥の櫓は発掘成果を基に建てらています。
⑥第1曲輪と第2曲輪を隔てる堀
堀と竪堀は堀残しの畝で見切っています。
コンクリート加工のようで、堀はもっと深く、岩盤をくりぬいてあるそうです。
⑦第1曲輪から駿河湾方面
直接太平洋に向いて開いておらず、良港としての内浦湾が眼下に広がります。 ココから沼津の街まで思っていたより見通しが効き三枚橋城に拠る武田軍に動きがあればすぐ察知できます。
⑧第1曲輪から城内
1、2、3曲輪は広くも無く狭くもないといったところです。
⑨第4曲輪と堀
コチラは小さなスペースですが、急崖が迫り戦闘的です。
案内板から1
内浦湾の重須湊を守る長浜城ですが、駿河湾で武田水軍と海戦をしたり、
太閤秀吉による小田原合戦では水軍は他所に集結したので、留守を在地土豪の大川兵庫が入ったそうです。 合戦後、大川家はこの地で網元として後世まで残ったとそうです。
案内板から2
茶色に塗られたところは当時の海岸線です。
城址は発掘調査、それに基づいた公園整備が平成26年に完了したので現在は復元建物や案内板がシッカリ配置されています。
内浦湾の重須湊を守る長浜城ですが、駿河湾で武田水軍と海戦をしたり、
太閤秀吉による小田原合戦では水軍は他所に集結したので、留守を在地土豪の大川兵庫が入ったそうです。 合戦後、大川家はこの地で網元として後世まで残ったとそうです。
案内板から2
茶色に塗られたところは当時の海岸線です。
城址は発掘調査、それに基づいた公園整備が平成26年に完了したので現在は復元建物や案内板がシッカリ配置されています。
*2018/5/26(土)第4回「長浜城北条水軍まつり」開催!
鉄砲隊もでるようです。
長浜城 地図
駐車場:あり(長浜釣堀観光センター)
トイレ :不明(周囲のお店が開業すれば可能)
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