2015年5月31日日曜日

鎌倉古道を制する湯坂城 と 早雲寺(ゆさか?ゆざか?じょう、そううんじ:神奈川)

神奈川県足柄下郡箱根町湯本温泉湯場
駅前渡り廊下から湯坂城

昨日の小笠原大地震で、小田原近くの二宮で震度5だったのでビビりましたが、きようは平穏無事 「箱根湯本」駅に降り立ちました。
駅前から西を眺めると小山がみえます。それが湯坂城で、この山の手前で箱根芦ノ湖から落ちてくる早川須雲川が合流しています。


鎌倉古道(湯坂城)入口。
ここから山道

駅前の国道1号線箱根山方面に向かい、最初に渡る旭橋越え40m程の所に箱根古道の案内があります。

九十九折れの鎌倉古道。

この古道は登れるところまで登って尾根近くを登っていくのでしょうか?  あまくみていたわたしは城址到着までヒジョーに息が切れました。
おっ 削平地が! 曲輪か? 
このあたりからやっと緩やかになり、ココから城域に入るようてす。


城址案内板。場所は城址の真ん中あたり。 


鎌倉古道拡張のためか? 埋まりかけの竪堀っぽいところがあり、当時ココはもっとクビレていたのでは??と見受けられる部分もあります。 
また、現在の古道と城の虎口は必ずしも同じ場所ではないように感じました(道を開削したように見える)。

室町時代大森氏築城と伝えられております。 幾筋かの竪堀もみられ後北条氏も利用したようです。 案内板では小田原合戦時に補強されたようだと書かれています。
 見所少ないですが個人的には概ね良好と思います。




早雲寺
国道1号線(旧道)から早雲寺山門
いわずと知れた北条早雲(伊勢宗瑞)公の菩提寺を弔うために建てられたお寺です。

湯坂城の登り口脇にある日帰り温泉「和泉」で温泉に浸かり、そこからノンビリ歩いて10分以内で早雲寺に着きました。

北条五代飯尾宗祇お墓山上宗二追善碑を お参りしました。

鐘楼 

伽藍小田原合戦時に豊臣秀吉によって焼かれ今の建物は再建。

*現在、早雲寺本堂はじめ各所の工事をしており、見学
 じゃなかった! お参りがヒジョーに不自由です。
この工事に伴い今年の除夜の鐘は行わないそうです。





湯坂城 MAP

箱根登山鉄道小田急電鉄箱根湯本」駅下車、国道1号線を西へ向かい温泉「和泉」の先を登る。
駐車場:どちらも古道入口まで250mほど
 湯本観光駐車場(西) 有料
 湯本観光駐車場(東) 有料トイレ:なし

 
早雲寺 MAP

箱根登山鉄道箱根湯本(小田急直通あり)」駅下車  
駐車場仲町駐車場(山門脇、16台、有料)。
トイレ:あり

2015年5月28日木曜日

由良兵庫助 兵庫島 (ひょうごじま:東京)

東京都世田谷区玉川3-2-1
兵庫島はこんなところ

南朝方
である新田義興(新田義貞次男)は矢口渡し謀略にあい船上で切腹して果てた と前回書きました。
その主従の中に由良兵庫助とゆう人物がおります、その兵庫助亡骸が流されたどり着いたのがこの兵庫島です。
兵庫島案内板

兵庫島は現在の二子玉川駅すぐ上手にあり、周囲が公園整備される前はよく単車に乗って遊びに来ていました。当時は由良兵庫助のことも気にせず、案内板すら無かったような!?
今では毎週末に家族連れで賑わっていて謀略事件があったとはとてもおもえません!
兵庫島公園図

矢口から数Km上流にある兵庫島に流れ着くのは不可能なのでチョットばかり考えてみました。

◎ 由良兵庫助ではなく別の兵庫に関する事件だったのがすり代わった? 
◎ 当時は氾濫で流れが変わるし分流もあったでしょう! なので、渡しの位置も変わると思います!? 矢口渡しは二子玉川寄りにあったのかもしれない? 
 だとすれば、由良兵庫助兵庫島付近で討たれ兵庫島 に流されたか? 
◎ はたまた、大田区矢口ではなく稲城市矢野口ごが現場であろうか? ←唯一、下流兵庫島に流されたと思える場所。
◎ 同じく現場矢野口の場合、大田区新田神社新田義興が流れ着き埋葬された! ←この説もあるようです

と色々と想像しましたみますが、いま分かるコトといえは謀殺現場伝承地が2ヵ所あるとゆうコトです。

過去Blog:2015/5/20 多摩川に散った 新田義興 主従


兵庫島 MAP

東急田園都市線、大井町線、「二子玉川」駅下車、北西に2さ分

近くには、北北東に伊木家 武家屋敷門。北東に瀬田城。 北西に大蔵館、喜多見氏陣屋

2015年5月18日月曜日

多摩川に散った新田義興 主従(にったよしおき:東京)

東京都大田区矢口1-21-23 新田神社
東京都大田区矢口2-17-28 十寄神社

 南北朝時代南朝方である新田義興(新田義貞次男)は一度は鎌倉公方 足利基氏鎌倉から追いますが、越後に潜伏後鎌倉へ上る途中江戸遠見守竹沢右京亮らに謀られ(足利基氏主導)の多摩川 の船上で切腹して果てました。
 矢口渡しで一行が乗った船の船頭は船底に穴を開け逃走、
さらに両岸から矢を射かけられ万事休した義興は船の上で自害従者13名はある者は闘い、ある者は刺し違えて亡くなりました。

この時、由良兵庫の亡骸が現在の二子玉川駅すぐの兵庫島に流されましたがこれは次回!
✳注 謀殺現場は他所の説もあり!

新田神社
新田神社入口。

新田義興新田大明神として祀り、本殿裏には義興のモノと伝わる(胴塚)があります(首塚は入間市)。

神社案内板をみると、すぐ近くの住宅地となっているところに矢口渡しであったようです。
新田神社社殿裏にある義興公の塚。

また、新田神社破魔矢発祥の地平賀源内の考案と伝えられています。



十寄神社(十騎神社)
神社入口。

新田義興の遭難したときに命を落とした従者(世良田右馬助義周、井弾正左衛門、大嶋周防守義遠、由良兵庫助、由良新左衛門、進藤孫六左衛門、堺壱岐権守、(土肥三郎左衛門、南瀬口六郎、市川五郎)を祀る神社。



狛犬の足下に新田の家紋が!


江戸時代は、
ココ十寄神社にお参りしてから新田神社へお参りすると御利益があると云われたそうです。




過去Blog:2010/9/19 伝・池田家 武家屋敷門
2013/7/20 行方氏館
2013/7/21 斎藤氏館
2009/9/19 石浜城(平賀源内のお墓を紹介してます)
新田神社 MAP
十寄神社 MAP
東急多摩川線「武蔵新田」駅下車 南南西へ徒歩4分位。
 新田神社を通り過ぎ更に3分ほどで十寄神社です。

近くには、北西に池田家屋敷門。 北東に池上氏館。 東南東に斎藤氏館。東に行方氏館

2015/5/23編集、写真追加。