細川藤孝(幽斎)・忠興 父子が築城。藤孝(幽斎)は宮津城から隠居城として田辺城に移ります、関ヶ原の折には、忠興は主力を率い東軍のもとに従軍中で、藤孝(幽斎)は東軍に属し寡兵で西軍の攻撃から城を守らなければなりません。
ここで有名な古今伝授の話があり、天皇の勅使が来城して城は西軍に明け渡しとなりました。
城の形が鶴が舞うような形であるため舞鶴城ともいわれ、現在は舞鶴公園となっています。
昭和初期に模擬櫓(彰古館)が建ち、平成になってから模擬櫓門(田辺城資料館)とその石垣が復興されています、そちらは夕方の時間外訪問のため田辺城資料館、彰古館 共に見学しておりません。
学問所、明倫館の門が明倫小学校の門になり現在も残っています。
2012/5/27に「まいづる田辺城まつり」が行われます。
田辺城資料館:入場無料(城の模型があるようです)
彰古館 :未確認
田辺城 地図
JR舞鶴線「西舞鶴」下車、北へ500m 6分(模擬櫓門のところまで)
駐車場:
トイレ :あり
近くには、北西に宮津城。南南西に綾部城。ちょっと離れますが南西に福知山城 ナド
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